シン・アナキズム 第5章 グレーバー (その12)
みなさま、おはこんばんちは! 何を言っているんだと思われそうだが、鳥山明を追悼している。「Dr.スランプ アラレちゃん」に心酔して声優を目指したのに、中学の友人たちに「西友」と間違えられてから早43年と思うと感慨もひとしおだ。このアニメのエンディングソングで「ペンギン村からおはこんばんちは 右向いて左向いてバイちゃバイちゃ」と言っていた。高橋留美子と鳥山明とともにはじまった80年代アニメの世界には、ガンダム系とは異なった独自の歴史がある。
というわけで、春休みで調子がいいので連載をつづけよう(この原稿を書いていたのは春休み。大学教員はGWまでぶっつづけで春休みなのか!と誤解なきよう。文科省の計らいで1コマ100分半期15回が義務になり、いま日本の大学は学生を教室に座らせて教員の演説を一方的に聞かせる時間だけは世界標準超えと思われる。その虚しさにお互い日々心を蝕まれている)。この春休みはたくさん仕事を片づけた。そのうちのどれだけがブルシットだったかを考えると暗い気持ちになるが、そもそも業績管理をしていないことに気づいた。いまresearchmapという研究者情報の便利なウェブサイトを見たら、2013年から一つの業績も出していないことになっている。これなら何をやっている人か何もやってない人か、生きているかどうかも定かでないので安心だ。
民衆が政治権力を持つことへの警戒心
グレーバーの連載は珍しく予告通りの順番で進めてきたので、これが最後のテーマになる。グレーバーについて書いてきたことを少し振り返っておくと、なぜか桑田学の『人新世の経済思想史』の紹介からはじめて、グレーバーの生涯と思想、運動について概説した。そして『民主主義の非西洋起源について』→『万物の黎明』→『価値論』→『負債論』→『ブルシット・ジョブ』→『官僚制のユートピア』と、約1年かけて扱ってきた。最後は『デモクラシー・プロジェクト』(2013)を取り上げ、彼の民主主義論について話す。これは実は最初に取り上げた『民主主義の非西洋起源について』とテーマと内容に重なりがあるので、すでに語ったことも少しおさらいしながら読み進めていこう。
『デモクラシー・プロジェクト』は、2011年にアメリカで大規模に展開されたオキュパイ運動の経験をもとに、グレーバーが来るべきデモクラシーについて書いた本だ。日本語の副題「オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力」が、本書の内容を簡潔かつ的確に示してくれている。
ここでは現実に展開した運動の詳細に立ち入ることはせず、グレーバーの民主主義論の特徴を政治思想史的な観点から理解することからはじめよう。グレーバーは、民主主義の故郷のようにいわれる古代ギリシアのアテネ民主制について、古代の著述家たちが必ずしもそれを礼賛していたわけではないことに注目している。
古代都市国家アテネで行われていた民主制は、女性、子ども、奴隷、居留民、外国人などを除いた、「市民」である成人男性だけで構成されるものだった。そのため人口の一割程度の人しか参加資格を持たなかったともいわれる。また、アテネで数世紀にわたって実践されていたのは直接民主制であり、代議制度は存在しなかったとされる。主要な決定は市民がアゴラに集って開かれる民会における多数決方式で行われ、公職は公平を保つために抽選制を採っていた(この抽選制は、現在「くじ引き民主主義」として再度注目されている)。
グレーバーが注意を促すのは、このようにして運営された当時の民主制に対して、古代ギリシアの哲学者たちがあまり好意的でなかった点だ。代表的なのがプラトンだ。ただ、古代ギリシアの中でもアテネの民主制だけが有名なのは、書き残された資料が多いからで、他にも民主制を採用した都市は多かった。また、民主制にきわめて批判的だったプラトンの時代はアテネ民主制の末期に近く、形骸化した制度の矛盾が噴出していた。そのため、古代民主主義全体の評価をプラトンに代表させるべきではないということには留意が必要だ。
それでもプラトンの批判は辛辣かつ鋭いもので、エリートたちの民衆に対する「野蛮さ」「思慮のなさ」「多数の暴力」といった、その後の民主主義批判の原型をなしてきた。そしてグレーバーが指摘するように、民衆に政治的意思決定を委ねることは危険だという考え、エリート以外が政治的影響力を持つことへの警戒は、近代に至るまでずっとつづく。
民主制に冷淡な社会契約論者たち
たとえばホッブズは、近代主権国家を理論化した人といわれる。彼はバラバラの個人がお互いに約束(コヴェナント)を交わして主権国家を定立するという図式を作った。これはある種の民意による国家形成なのだが、いったん主権が定まると、主権者以外の政治への関与は許されない。それは、最初の約束のなかに、全員が自らの権利と力のすべてを主権者に委譲するという条項が入っているからだ。そのためホッブズは、絶対王政の理論的な擁護者とされてきた(ホッブズ自身は、主権者は一人以外に集合体もありうるとしている)。
ロックの社会契約論がどうなっているかというと、これは「政府government」という政策の実行者に対して、人民が政治を任せるために「信託trust」するという形になっている。そのため政府が不適切な行いをした場合には、人民は信託を取り消すことができる。これはアテネの直接民主制とは全く異なる政治体制である。当時の歴史的背景から見ると、ロックは名誉革命体制を擁護し、絶対王政ではなく立憲君主制こそがイギリスにとって最もよい政治制度だと立証しようとしたとされる(ロックの直接の論敵は父権主義者のフィルマーだった)。そのためロックのイメージした理想の政体は混合政体(君主制、貴族制、民主制のブレンド)に近く、民主制だけを特別に擁護したと見なすことは難しい。
このように、個人から出発して社会契約を通じた政治体の成立を考えたホッブズやロックにあっても、個人の尊重は民主制の擁護へと直接つながるわけではない。
では、民主主義の権化みたいに扱われてきたルソーはどうだろう。『社会契約論』におけるルソーの激烈な代議制批判は有名である。たしかにルソーは、民意の直接的な発露の結晶を「一般意志」とし、政治体の核心にある崇高なものだと考えた。そのため、一般意志に従わない政治運営はすべて否定された。この意味でルソーは民主制の擁護者のように見える。
一方で、ルソーの『社会契約論』は「主権souverainité」論と「統治gouvernement」論を明確に分けることで成り立っている。議論の建てつけとしては、主権の下に政治の実際的な運営を担う統治が従属している。そのなかで、統治を行うに際しての実際の政体・制度については、君主制、貴族制、民主制のいずれもありうると考えており、民主制がとくに優れているとは言っていない。
このように、近代民主主義を基礎づけたとされる社会契約論者たちさえも、民主制を全面擁護したわけではなかった[※1]。さらに、民衆が直接政治に携わるタイプの民主制は、多数者による暴政や専制につながる可能性が、たとえば19世紀のトクヴィルによって指摘されている。18世紀にフランス革命の暴力性への懐疑を表明したバークや、20世紀にエリートによる政治を唱えたシュンペーターなど、とりわけ民衆が直接政治に参画するタイプの民主制に対する批判は根強い。
グレーバーはこうした観点から、アメリカの建国の父たちもまた、民主主義への懐疑を抱いてアメリカの政治制度を設計したと考える[※2]。『デモクラシー・プロジェクト』では、フランシス・デピュイ=デリの「デモクラシーという語の歴史」[※3]という論文を根拠に、「1770年から1800年の時期、それ〔デモクラシーの語〕はほとんど非難と侮蔑の言葉としてのみ流通していた」[※4]と指摘している。フランスでもアメリカでも、革命家たちは民主主義を軽蔑し、この語を「アナーキー、政府の欠如、物騒な混沌状態」[※5]と同義と見なしていた。
ジャクソンが「民主主義」の意味をすり替えた
それが変化するのはアメリカではジャクソンの時代で、グレーバーによると、ジャクソンによる民主主義という語の使用は重要な意味変化を伴っていた。ジャクソンは黒人奴隷を使役して大規模農園を営み、インディアンの強制移住を断行した人種差別主義者であったが、自らを「民衆の味方」であるとアピールして選挙に臨んだ。彼自身は南部出身の州権主義者で、支持者は金持ち層ではなく農民と労働者であったことから、白人男子普通選挙の実現とともに出現した最初の「ポピュリスト」とされている。
この時期のアメリカの政治制度がそれ以前と根本的には変化していないことを考えても、「ジャクソニアン・デモクラシー」と称されるジャクソンの政治は、直接民主制の意味での民主主義ではなかった。アメリカは建国以来、民主制というより共和制的な権力分立の原則によって政治を運営してきたからだ。つまりジャクソンの時代、民主主義は「建国者たちが民主主義の危険性を抑え込むという明確な目的に沿って精巧に設計した共和政制度そのもの」[※6]を指すようになったのである。この意味のすり替えによって、それまで政治家たちに疎まれ、疑念を向けられてきた民主主義は、何か「よきもの」、アメリカの政治の伝統に根ざした掲げるべき正義であると見なされるようになった。
つまりグレーバーはここで、アメリカではジャクソン以来、民衆の直接関与を抑制するエリート重視の共和制の意味で、民主主義の語が用いられるようになったと指摘しているのだ。その上で一旦視点を変えてこれとは別にアメリカでは長らく、民主主義を「自由」や「平等」として捉えることで、たとえば素朴な農場経営者や商店主であっても、目上の人(もっと金持ち)にも自尊心をもって堂々と接することができるという「民主主義的感性」という発想が流布してきたとする。そしてこの感性こそ、グレーバーがオキュパイ運動に見出し、アナキズム的な民主主義プロジェクトにとってきわめて重要だと考えるような、人々の「民主主義的」態度なのである。
ところが、こうした民主主義における平等性、対等性、そして直接性の要素は、現代では代議制とエリート主義によって覆い隠されている。グレーバーはこうした隠蔽が起こった原因として、上記の民主主義の語義のすり替え以外に、民主主義を西洋文明起源であるとする20世紀に作られた新しい歴史像を挙げている。民主主義が西洋起源ではないこと、また決して西洋の専売物ではなく世界各地に多様な形態の民主主義が見られること、アメリカへの移住者たちはむしろ先住民から民主主義的な制度や態度を学んだことなどについては、この連載では『民主主義の非西洋起源について』のところですでに取り上げたので、そちらを参照してほしい。
〝悪妻〟の目から世界を見てみれば
では、グレーバーが積極的に評価する民主主義とはどのようなものか。そこにはもちろん、各人が自分の意見を表明する場が確保されているという、直接民主主義的な要素が含まれている。だがグレーバーは、こうした直接/間接という形式的な区分では十分説明できない、歴史においてくり返し現れてきた民主主義の実践について、具体的な叙述を通じてその特徴を示そうとしている。
彼はまず、民主主義と理性に関するある意味厳格な基準が、その参加資格を財産と身分ある成人男性に限定することで、より広い参加民主主義の実現を阻んできたという。そして、古代ギリシア以来民主主義にとって必要だとされてきた人間理性なるものについて、もっとゆとりをもって考えてみることを促す。なぜなら、西洋世界における理性概念の狭さは、財産ある成人男性のみによる政治を正当化し、また実際に政治が理性的になされない場合に、それを断罪する口実となってきたからだ[※7]。もちろん政治的理性を純粋理性とは異なる実践に関わるものとして考える伝統は、それこそアリストテレスからカントを経てアーレントに至るまで、連綿とつづいている(経験的な事柄に関する正しい判断を導く賢慮prudenceや政治的判断力についての議論)。だがグレーバーはここで、ロバート・グレーヴス「クサンティッペの真相」[※8]に拠りながら、ソクラテスではなく「悪妻」とされたクサンティッペの側に立って理性や論理について再考することを促している。
グレーヴズは、ソクラテスと結婚するとはどういうことかについて再考する。そして、「家族を支えるためにはほとんど何もせず、会う人誰もが何かにつけ間違っていることを証明しようとすべての時間を費やし、真実の愛は成人男性と未成年の少年のあいだにだけ成り立つと感じているような夫の世話をしなければならないとしたら、愚痴の一つも言いたくはならないだろうか」[※9]と問いかける。このくだりには思わず笑ってしまうが、よく考えると笑い事ではない。私自身も生まれて56年間、こういう視点を持ってほしいと何度マジョリティ男性たちに思ったことか。グレーヴスは1960年にすでにこうした視点を持てた男性だったのだから、詩人恐るべしだ。最近でも日銀で法定金利を決定していた人(前の総裁)が、普段の買い物などは妻に任せているので物価の実感はよく分からないと記者会見で発言していた。こういう人が物価水準を大きく左右する金利政策の担い手なのだ。アダム・スミスだって母親に料理してもらっているのに、肉屋やパン屋の善意や利己心には言及しても、母親のケアと献身については何も言っていない。こういう人たちが、有産階級の成人男性だけに理性と政治的判断力があると考えていたのだとしたら、世の中はほんとうに恐ろしい。
グレーバーによると、クサンティッペの世界はソクラテスの世界と異なり、客観的・論証的理性だけでは通用しない。そこでは、ユーモアや実用性、人間らしいマナーや気配り、言い換えればケアと配慮の発想が重視されている。グレーバーはこれを、歴史的に見て「命令を下す権力を与えられることのなかった人々の知的伝統」[※10]と呼んでいる。
こうした能力は、多様な人々からなる民主主義世界において、「人の話を聞く」という必要不可欠な能力を指しているともいえる。人の話を聞くのは、簡単なことのようでいてそうではない。「根本的に異なる立場を理解するために十分話を聞き、みんなが共有できる折衷的な着地点を探り、参加者に特定の立場を押しつけることを避けるように配慮する能力」[※11]が求められるということだからだ。世の中で人の話を聞いている人がどれだけいるだろうか。そういう私も聞いちゃいないと言われることは多い(同僚や学生や家族によく「話聞いてる?」とキレられる)。しかし、ケアを担う立場としては、ケアの対象となる子どもや動物、高齢の両親などの意向や思いを想像し、尊重せざるをえない。それをしたことがないまま(つまりケアラーにならずにすんだまま)大人になってしまった一部の人たちには、グレーバーがいう民主主義に参画する十分な資格がないということになる。
「解釈労働」の恐るべき実態
グレーバーによると、こうしたケアの関係を含んだ民主主義の実践においては、参加者の立場の多様性はたしかに決定の難しさにもつながる。だが他方で、課題に対して創造的な解決を行うという点では、同質的集団より大きな可能性をもつ。
このことを別の角度から見るなら、民主主義を実践するには、特定の人だけではなく全参加者が他者の意図を「解釈」する作業を行わなければならないことを意味している。グレーバーは『官僚制のユートピア』において、他者の意図や動機、感覚を解読する努力を、特定の人たちだけが仕事として強いられている現状を、「解釈労働」の非対称性として告発していた[※12]。解釈労働とは、声の調子や身振りから簡単に想像される人の気持ちではなく、もっと深く気持ちを理解するためになされる他者への想像と慮りである。ここでグレーバーが問題にしているのは、権力や権威をもち他者より上に立てる人たちは、この種の解釈労働を相手に押しつけることができるため、自分の方ではほぼしなくていいということだ。
私たちは日々の仕事のなかにこの非対称をいくらでも見出すことができる。大学教員というのは大した力もないのにその世界では頂点に立っていることになっており、職員や学生はつねに教員の機嫌をうかがい、その真意を推測しなければならない。これに対して、教授と名のつく人は、学生や職員に対してそんな配慮をする必要はない。彼らは配慮してもらうことにすっかり慣れてしまっている。だから教員同士が対立すると、十分な知性をもたない動物同士の争いのようになる。それは多分に、私も含め大学教員という職に就く者たちが、相手の意図や動機を自ら進んで解釈することに慣れていないからだ。ふだんはその必要がないのでそれに気づくこともない。
グレーバー自身は民主主義と解釈労働を結びつけて論じてはいないが、おそらくこういうことだろう。現代社会において、立場の弱い者、立場が下の者は、つねに上の者の意向を察知し、それに合わせた行動をとらなければならない。それが彼らにとって目に見えない形での大いなる労働となっている。逆にいうと、関係の非対称のせいで立場が強い者の側はそういう努力をする必要がなく、そのため自分の意に沿わないことがあると、すぐに癇癪を起こしてパワハラに走る。
誰もがケアラーとしてふるまうこと
グレーバーが考える民主主義とは、立場が下でも上でも、尊厳をもって自分の意見を披露し、他の人々もそれを尊重しなければならない、そういう種類のものである。その意味で人は民主主義の政治空間においては、金持ちであろうが年長であろうが若輩であろうが貧乏であろうが、あるいは女性であろうがトランスであろうが、アジア人であろうが白人であろうが、皆平等で自由である。それを可能にする条件として、互いに互いの意図や思いを「解釈」しあう労苦を厭わない態度が必要なのである。その意味では、これまで主に女性に押しつけられてきたケアという関係の様態を万人が受容し、誰もが他者に対してその都度ケアラーとしてふるまうことが、立場の対等性や民主的議論の成立にとって不可欠であるということだ[※13]。
こうした民主主義の条件から考えるなら、グレーバーがくり返し、合意を第一目的として設定し、そこに向けて最短距離で突っ走ることの危険について語る意味も分かってくる。皆が意見を表明しあう政治空間において、他者とは自分と異なった考えや意思を持った存在に他ならない。このように異なる者たちが集う場で合意を目指して意思の統一を急ぐなら、小さな声はかき消されケアは吹っ飛んで、強いものの意向の押しつけが再来するだろう。そこに働いている弱者による忖度は、強者の意向を汲み取る一方的な解釈労働そのものだ。
他にもグレーバーが『デモクラシー・プロジェクト』で述べている、権威的なリーダーシップの体制を避けること、固定的な組織を作らないこと、合意形成には「スポークス・カウンシル」モデルを採用することなども、すべてこの意味での平等、自由、多様性を確保するために必要な事柄だ。スポークス・カウンシル(円卓会議)モデルとは、「参加者全員をいくつかのグループに分け、グループ内から一人を「スポークス」として一時的に選出、その人だけが会議に参加し提案する……というモデル」[※14]である。スポークスは交代制を取ることで、代議制とは異なる直接性と偶然性を保障しつつ、人数が多くなった集団において意思決定をスムーズにするための工夫である。
運動が長続きしなかった本当の理由
このような意味での熟慮に根ざした直接民主主義が長つづきしないという言い分に対して、グレーバーはなんと答えているだろう。実際、オキュパイ運動は数カ月でその勢いを失った。だがそこには、警察権力による徹底した暴力的排除があったのだ。人々が直接顔を合わせるには、互いに近くにいなければならない。この物理的距離を破壊することが、運動への打撃として何より有効であることに気づいた警察は、人々がテントを張ったり公園に居座ったりできないように、強制的な立ち退きを徹底した。そして、抵抗する者は治安を撹乱したとして容赦無く逮捕された。逮捕の際にさまざまなレベルでの嫌がらせと露骨な暴力行使がなされ、人々が活動から離れていき、また運動の継続のための熱量を維持できなくなるように仕向けたのだ[※15]。
考えてみればオキュパイ運動は、水平的で多様性を含んだ非暴力の政治運動という挑戦を、ニューヨークのウォール・ストリートという金持ちセレブエリートの中心地で行ったのだ。それ自体驚くべきことだ。そして実際にそのうねりの大きさに驚いた支配者たちは、運動を警察と治安当局の暴力によって押しつぶした。さらに大手メディアは、運動家の側こそが暴力と犯罪を生み出しているというイメージを作り、金持ちと警察を応援したのである。
ここでも歴史がくり返されているように見える。治安当局、スパイ、軍人、警察権力に、無惨にも殺されたさまざまな時代のアナキストたちを思い出してみよう。幸徳秋水、大杉栄、伊藤野枝、サッコとヴァンゼッティ、スペイン内戦でのアナキスト虐殺。果たしてアナキスト的な運動を行う側と、それを極度に恐れて鎮圧する側と、いったいどちらが暴力的と言えるだろうか。
『デモクラシー・プロジェクト』終盤でのグレーバーのアナキスト宣言を引用して、この章の締めくくりとしたい。
次回、最終回「マッドマックス 怒りのデス・ロード」へ続く
* * * * *
[※1] このあたりの解釈は難しいが、思考の端緒となる議論は、重田園江『社会契約論――ホッブズ・ヒューム・ルソー・ロールズ』ちくま新書、2013で行った。
[※2] 政治思想史研究では、アメリカ建国期の共和主義と民主主義との関係、あるいは立憲制および混合政体論と民主制との関係についての研究が、近年大きく展開している。石川敬史「ジョン・アダムズの混合政体論における近世と近代」『アメリカ研究』第53号(2019)(https://www.jstage.jst.go.jp/article/americanreview/53/0/53_35/_pdf)、「『ザ・フェデラリスト』と建国期アメリカの思想対立」『政治思想研究』第12号(2012)( http://www.jcspt.jp/publications/jjpt/jjpt012_2012.pdf)、上村剛『権力分立論の誕生――ブリテン帝国の『法の精神』受容』岩波書店、2021を参照。グレーバーの理解もこうした新しい流れと無縁ではない。だが上記の研究を踏まえれば、建国期の共和主義擁護がそのまま民主主義の用例のうちに流れ込んだという、以下で紹介するグレーバーの主張は単純すぎると言われそうだ。
[※3] Francis Depuis-Déri ‘History of the Word "Democracy" in Canada and Québec: A Political Analysis of Rhetorical Strategies,’ in World Political Science Review, Vol. 6, Issue 1 (2010) . (https://www.researchgate.net/publication/259648867_History_of_the_Word_Democracy_in_Canada_and_Quebec_A_Political_Analysis_of_Rhetorical_Strategies)
デピュイ=デリはカナダのケベック大学モントリオール校の教授。アンチフェミニズムの言説分析やアナキズム研究で有名だが、もとはフランスとアメリカの革命期デモクラシーについての思想史研究が専門である。上記の論文ではフランスとアメリカについては導入部で簡単に紹介しているのみで、表題のとおりケベックにおける民主主義の語の使用が主題である。2001年の博士論文(ブリティッシュ・コロンビア大学政治学部)では、より主題的に革命期以降のデモクラシーの語の使用を扱っている(The Political Power of Words: 'Democracy' and political strategies in the United States and France [1776-1871] , [https://www.academia.edu/97132617/THE_POLITICAL_POWER_OF_WORDS_Democracy_and_political_strategies_in_the_United_States_and_France_1776_1871_])。
[※4] 『デモクラシー・プロジェクト』p.201。
[※5] 同書、p.202。
[※6] 同上。
[※7] ただしここでグレーバーが言っているのは、古代ギリシア以来の政治参加を「まともな大人」に限定することが、実際には男女差別や身分・財産による差別を正当化するための方便だったことである。言い換えると、財産ある成人男性がまともだとか厳格な理性を持っているという意味ではない。
グレーバーは、資産家だけが理性的でそれ以外の者は命令に従うために存在しているという考えを、正当にもアリストテレスに遡って見出している。つまり、理性ということばは実際には支配できることを意味しており、人に命令を下し支配できる者=理性的存在とされたのだ。ここで命令者とは、「他人を黙らせていう通りに従わせる」(p.234)ような人間である。つまりここでは、理性とは人間の尊厳の源泉となる能力ではなく、権力と支配に関わる用語なのである。
[※8] Robert Graves ‘The Case for Xanthippe,’ in The Kenyon Review, Vol. 22, No.4 (1960). (https://www.jstor.org/stable/4334072)
グレーヴスはイギリスの詩人。日本では『アラビアのロレンス』で知られる。また、似た主題を扱った文学作品である佐藤愛子「ソクラテスの妻」には、妻側から見た迷惑千万なソクラテス型夫が描かれている。
[※9] 同書、p.238。
[※10] 同書、p.239。
[※11] 同書、p.240。
[※12] 『官僚制のユートピア』p.96-102。
[※13] ケアの視点を持つことで、社会の不平等や不正義のあり方についての視野が一気に広がる。この点を丁寧に描いているのが、岡野八代『ケアの倫理――フェミニズムの政治思想』(岩波新書、2024)である。この本はソフトな見かけに反してかなり難解で、ケアが一見単純なようでとても奥深く複雑な概念であることが分かる。
[※14] 『デモクラシー・プロジェクト』p.166。
[※15] 場所と空間の問題は、運動の発生と継続にとって非常に重要である。1960年代末に学生運動が熱量を維持できたのも、彼らが集える場所が大学内外のそこかしこに存在したからだ。その後の校舎の建て替えで、こうした場所は大学内から駆逐され、いまでは学内に立て看板を置くこともできないという倒錯的な事態がごく普通になった。また、2015年の安全保障関連法に反対して行われた日本の政治運動(SEALDsを中心とする運動)では、国会前でデモが行われたが、「歩道から出させない」ことと「徹底した移動の管理」によって、群衆が一堂に集まれる場所の形成自体が阻止された。国会前には広場がなく、歩道に縦長かつぶつ切り状態で集結した人々は、その集合形態だけで力が奪われていくという事態にうまく対応できなかった。
[※16] 同書、p.341。