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連載 シン・アナキズム 第4章「ポランニーとグレーバー」(その1)

ポランニーの生涯と思想

前回の「ねこと森政稔(全2回)」で新たな読者を得た、政治思想史家・重田園江さんの好評連載「アナキスト思想家列伝」第10回! 毎月のように新しい本が出る「アナキズム」っていったい何なのか? その魅力をビシバシと伝えます。今回は真打ちグレーバー登場。そして彼と意外なつながりをもつ、偉大な思想家を紹介します。
※これまでの各シリーズは下記よりお読みいただけます。
 「序 私はいかにして心配するのをやめ、アナキストについて書くことにしたか」へ
 「ジェイン・ジェイコブズ編」の第1回へ
 「ヴァンダナ・シヴァ編」の第1回へ
 「ねこと森政稔」の第1回へ

 またしてもすっかりご無沙汰になってしまった。この間の諸事情など読者は知りたくないと思うが、秋はやっぱり忙しい。私が勤務している学部ではなぜかゼミ募集が大変な重労働で、インスタグラムで声優の真似事までやって疲れてしまった。そのうえ新しい本の原稿が塩漬けになっていてどうも気持ちが落ち着かず、なかなかこの連載に集中できなかった。

 そしてそして、表題から匂ってくるかもしれないが、今回は今までのような「人と思想と活動と」アプローチとは趣を異にして、思想史研究に寄せた少しハードな内容になりそうだ。「そろそろ現代アナキズムの最前線のような話をしないといけないな」と思い立ち、前回の連載の最後に「次回はデイヴィッド・グレーバーです」などと書いた手前、やらないわけにもいかない。もっとも考えてみれば、これまでも予告と違うことを著作単位でやってきたので(1を出しておいて2が一向に出ない本とか)何を今さら、なのだが。それにしても、今まさに注目を浴びているグレーバー、しかも新著が出たばかりのグレーバー(ポチったが海外との物流が滞っているらしく、まだ現物は届いていない)、そして昨年、突然この世を去ってしまったグレーバーを取り上げるというのはなかなかに気が重い。

『ブルシット・ジョブ』もいいけど『負債論』もね

 そもそもグレーバーにはいろいろなタイプの著作があり、それらを網羅的に紹介することはできない。日本語訳があるものだけでも、民主主義論、アナキズム論、官僚制と新自由主義、そして「ブルシット・ジョブ」など幅広い。もっと以前の経済人類学的な著書もある[※1]。そのため取り上げ方に悩むのだが、他の人が論じていそうで論じていない角度からグレーバー思想を切り取るのが最も適切だろう。そのアクティヴで飾らない人物像やアナキスト運動家の側面についてはこれまでにも紹介があり、また著作の人類学的な内容については、こちらの力量の問題で的確に論じられる自信がないというのも理由だ。

 とはいえ、論じられていそうで論じられていないのは、それだけ骨が折れるからだと相場が決まっている(こういうところに何気なく経済の比喩である「相場」を出してしまうあたり、グレーバーなら現代人がいかにすみずみまで経済の用語で社会を理解するかの嘆かわしいまでの証拠だと言いそうだ)。だからなかなか方針が決まらず腹が据わらなかった。

 とりあえず夏休みの最後の方に、まだまだ暑いと思いながら分厚さのせいでやや暑苦しくもある『負債論』を日本語訳で読んだ。この本の特徴は、まず厚くて重いことだ。寝転がってお腹に載せて読んだりすると息苦しくなる。私の持っているのは、不幸にもページが一部取れてしまった。厚すぎるのだ。そしてこれを先に言うべきだが、内容がとんでもなく豊かだ。ハッとさせられる文章がそこここにあり、俯瞰で書いているようなのに、急に読者に直接語りかけてくる瞬間がある。画面の向こうから急に俳優が語りかけてくる寺山映画みたいでびっくりする。

 たとえば、妻や子どもを売買することについての伝承と逸話を取り上げる中で、グレーバーは次のように言う。「男の妻と子どもたちが……債務不履行の折に清算されるべき財産と見なされることになったのは、どうしてか? 一世紀のパレスチナにおいては、男が自分の妻を売ることは、当たり前だったのか?(そうではない)男が妻を所有していないとすれば、彼が借金を返せないからといって、なぜ彼女を売ることができたのだろうか?」。
 娘が借金のカタにされるネヘミアの別事例については、「なぜ男自身を[借金のかたに]とらないのか? 娘がカネを借りたわけでもないのに」と問いかける(『負債論』p.196―197、[ ]は日本語訳者の補遺)。

 結局グレーバーは、この恐ろしくも印象的な問いへの答えを明示していない。彼はたしかに、人が債務奴隷や負債懲役人となり、さらには大西洋をまたいで売買されるようになる、暴力と残虐の歴史を執拗に描いている。だが、なぜ自分自身を売る前に妻や子どもを売りに出すのかについて、明白な答えは示さない。そのこと自体のうちに、この問いが垣間見せる人間社会の闇と深淵、「家長」という社会的構築物による暴力の普遍性と度し難さを見て取ることができる。また、債務者ですらない人間を債務者の代わりに借金のカタにとる社会が、負債のうちに刻印してきた恐怖と憎しみと諦念はいかばかりのものかと想像させる。負債には、言われなく売り飛ばされた無数の女たち、子どもたちの怨嗟が沈殿しているのだ。

ポランニーとのつながり

 このように、『負債論』という本は書かれていることの間からさまざまな問いを生み、思考を刺激する。その意味で、「『負債論』の文体」で一文書くこともできそうな独特の本だ。さらに、人類学者の常かもしれないが、グレーバーは博覧強記で、そういう人が五千年の歴史(はじまりからだと五千五百年)を扱うのだから、そんな本をいったいどう取り上げればいいのか非常に悩ましい。しかし一方で、『負債論』を読みはじめたときからずっと気になって頭を離れないことがあった。それは「グレーバーとポランニーってどういうつながりがあるんだろう」という問いだ。『負債論』を読んでいるとカール・ポランニーを何度も思い出すのだが、両者の関係についての見取り図は、グレーバーを読んだだけではうまく描けない。グレーバー―ポランニーの関係。これはおそらくなかなかの難題だ。たしかに『負債論』の参考文献にポランニーの『大転換』が挙がっているが、グレーバーがどのような形でポランニーを参照したかは判然としない。

 この二人をテーマにするとなると、両者の市場経済の扱い、貨幣・市場・労働の位置づけ、市場経済以外の経済システムの理解のあり方、正統派近代経済学の何をどう批判したのか、さらには彼らがそれぞれ「経済生活」というものをどう捉えたのかといった点を取り上げなければならない。このように列挙してみると、これは明らかに彼らの経済人類学の核心部分を理解することそのものだ。

 ということで、相当難度が高そうだが気になってしかたないので、「グレーバーとポランニー」というテーマに挑戦することにした。なるべく分かりやすく説明するつもりだが、難しかったら飛ばし読みしてください。だがここで、ふと別の疑問が浮かぶ。そもそもこのテーマってアナキズムと何の関係があるんだろう。この連載ではアナキズムを定義するつもりはないのだが[※2]、グレーバーはアナキストを自称しているからいいとしても、ポランニーがアナキストとは聞いたことがない。本人だってそんなことを言われたら驚くに違いない。「イロナ(カールの妻)はたしかに筋金入りの社会主義の運動家だけど、僕カーロイはアナキストでもマルキストでもないし、ウィーンに亡命してからは政治とは一線を画して生きてきた」と優しく反論されそうだ(ただし、一人称は「僕カーロイ」ではないだろう)。しかしやはり、ポランニーの思想はどこかでアナキズム的だ。それが何に由来するのか、グレーバーというフィルターを通すことによって明らかになるかもしれない。

 一方で、グレーバーが五千年を超える人類史の中で「市場経済」の特異性をどのように捉えているかは、実は『負債論』ではあまり明瞭ではない。それは長い歴史の一コマとして描かれているようにも読める。だが、ポランニーの経済人類学、とりわけ近代という時代についての描写と対比することで、グレーバーが取り上げたことと取り上げなかったことが改めて明確になるだろう。そしてそれらが、実はポランニーとは別の道筋でグレーバーによって論じられており、両者の叙述を合わせてみることで、近代資本主義の一回性・特異性と反復性が同時に明らかになるのではないか。

 というわけで、やや長い前置きになったが、ここから二人の思想を見ていくことにしよう[※3]。

Ⅰ.ポランニー

人間存在への愛情

 カール・ポランニーは、一八八六年ウィーンに生まれた。カール・メンガーの『国民経済学原理』が出版されてから十五年後、バイエルン国王ルードウィヒ二世(ヴィスコンティの映画で有名な方)が死去した年である。もっとも、当時のウィーン独特の知的な爛熟を理解する前の四、五歳のときに、ポランニー一家はブダペストに引っ越した。両親はユダヤ系のハンガリー人で、カールには五人の兄弟姉妹がいる(カールは三番目、一人は早死、兄・姉〔歴史家〕・弟〔マイケル〕・妹〔強制収容所で死去〕)。ポランニーの名前がハンガリー語では「ポラーニ・カーロイPolányi Károly」であること(日本語など東アジア語と同じ順番)、また弟が著名な科学哲学者のマイケル・ポランニーで、カールの妻はこれまた著名な革命家のイロナ・ドゥチンスカ(ドゥチンスカ・イロナ)であること、一人娘のカリ・ポランニー=レーヴィットもまた経済学者で、カナダのマギル大学で教鞭をとったことなど、彼の伝記的事実には定番で書かれることが多い。

 とくに、ギャレス・デイル『カール・ポランニー伝』が日本語に訳されたことで、ポランニーの波乱に満ちた生涯を一望できるようになった。また、ポランニーが育ったブダペストの知的風土については、栗本慎一郎『ブダペスト物語』に生き生きと描かれている。オーストリア=ハンガリー帝国というと首都ウィーンにばかり目がいくが、ハンガリー、そしてその深奥のトランシルヴァニアの独特の文化や風俗を知ることができる貴重な本だ。また、ポランニー思想の入口としては、若森みどり『カール・ポランニーの経済学入門』が最適である。こういったバランスの取れた入門書というのはどうやったら書けるんだろう。話が横やら奥に逸れていく私にはできないので、来世で書けたらと思う[※4]。

 ここでポランニーの生涯を詳しく語っているとそれだけで連載になってしまうので、印象深いことを二点だけ挙げておく。一つは弟マイケルとの関係である。二人の書簡のやり取りを調べたハンガリーの研究者Endre J. Nagyによると、カールとマイケルの間には思想や価値観の対立があったのではないかということである。終生弱き者たちの味方だったカールに対して、マイケルは個人の自由の擁護者だったのだから(彼は自由市場経済を支持していた)、当たり前かもしれない。それでも、カールからマイケルに宛てた一九二三年の手紙の一節は強い印象を残すものだ。

この手の二元論は、よき者と悪しき者の二種類の人間がいるという誤った考えに基づくものだ。でもこれは間違いなんだ……本当に重要なのは、よき者であれ悪しき者であれ、みんながそう遠くない未来に、いまより安らかな生を送れるようになることだ[※5]。

 これはカールによる、弟の愛称Miciへの呼びかけではじまる手紙である。マイケルの思考にある、よき者と悪しき者、あるいは「傑出した者outstanding」と「その他大勢」という、ある種の選民意識の傾向に注意を与えたものだ。こんな崇高な人間愛に満ちた手紙を兄から受け取ってみたいものだ(私には兄がいるが叶うことはないだろう)。この文章からは、カール・ポランニーが信じる「よき社会」が、多様な人々を包摂するものであることが読み取れる。また、人間の善悪や優劣から一歩引いた視点で社会改良を目指すという、社会科学者としての彼のポジションがよく示されている。そしてその底には、人間存在への愛情が息づいている。

 ただし上述の伝記執筆者デイルによると、カールとマイケルはきわめて仲のよい兄弟で、二人が政治的な立場から対立するようになるのは、この手紙のずっとあと、イギリス時代の一九三四年になってからのことらしい。マイケルは一九三三年に物理化学者としてマンチェスター大学に移籍しており、ノーベル賞に近いと評価された第一級の研究をつづけていた。カールが身の危険を感じてイギリスへ移住する際には、そのための資金をマイケルに頼んでいる。マイケルはその後オックスフォード大学に移籍し、「暗黙知」の理論で知られる科学哲学者となる。物理化学研究をきっぱりとやめて哲学に移ったのだ。人間としてはカールよりかなりの奇人と思われるが、ハイエクに気に入られ、その自生的秩序論に利用されることになった。

 カールとマイケルの対立の主な原因は、ソ連体制の評価(カールはずっと擁護しつづけた)、マイケルの裕福な生活とカールから見た冷淡さ、そして対照的な二人の妻が象徴する生き方の違いであった(それぞれの娘と息子は二人ともカナダで大学教授となった。マイケルの息子ジョンはノーベル化学賞を受賞した)。マイケルはソ連体制、カールはアメリカの反共主義、それぞれの悪い点をあまりにも鋭く見透かしたために、二人の溝は深まったといえる。二つの稀有な知性が冷戦で引き裂かれた愛憎劇は、ハンガリー人として翻弄された彼らの生涯を映している。

イギリスで労働者の歴史に着目

 もう一つは、イギリス時代の一枚の写真だ(掲載交渉が間に合わないので各自URLをポチって写真をご覧ください)。
http://karl.polanyi.fr/les-reseaux-autour-de-karl-polanyi/individus/ilona-duczynska/

 ポランニーは激動の学生時代を送った。学生・知識人運動の域を超えた革命的運動と思想の普及をルカーチやマンハイムらと行い、また第一次大戦ではハンガリー軍に志願し戦闘に加わった(弟のマイケルは志願を拒否)。戦争での負傷の治療を兼ねて亡命したウィーンで、看護師として共産党から派遣されていたイロナと一九二〇年に出会う。一九二二年には、イロナは「ルクセンブルク的」思想を理由に共産党から除名された。二人は一九二三年に結婚し、娘のカリが生まれた。非常な難産で、夫妻は次の子どもを考えられなかったという。

 このあとが不思議なのだが、イロナは真の革命家、社会改革運動家で、一九三六年までウィーンでファシズムに抗議して労働者蜂起に参加し、革命活動をつづけた(心労と病気で倒れてイギリスに渡ったようだ)。一方のカールは、ヒトラーが政権を取った一九三三年、イギリスに亡命し、労働者教育の仕事に従事する。翌年娘のカリをイギリスに呼び寄せたようなので、二年間はイロナと別々に暮らしたことになる。革命家の娘であるカリは、どんな風に育ったのだろう。また一九二九年から、イロナはウィーン工科大学で学んだ。もとはチューリッヒ工科大学の学生で、十八歳のころ社会主義運動に目覚めたようだ。本当にすごい女性と結婚したものだと思う。

 ポランニーのイギリスでの仕事は、ずっと不安定で薄給だった。当時のイギリスでは労働者の成人教育への関心が高まっており、労働者教育協会などの依頼でイギリス各地に赴いて講演を行った。そこがポランニーのすごいところなのだが、彼はイギリスの労働者たちと身近に接することで、彼らについての物語を自著の大きな柱とすることになる。『大転換』には講義のために学んだイギリス労働史がたくさん出てくるが、ポランニーが得たものは単なる知識ではなかった。貧しく剥奪された(彼らはウィーンの労働者よりずっと貧困だったという)労働者たちの生と生活の来歴と現状を観察することで、彼らの社会的立場を改善したいという強い思いが、『大転換』を激しく情熱的な書物にした。世界に先駆けて産業革命を成し遂げた国の労働者がとても貧しいというのは、まともに考えればおかしなことだ。そしてなぜそうなったのかを解く鍵が、『大転換』のなかにある。

 ちなみにこの労働者教育協会には、組合主義者のG・D・H・コールが関わっていた。あとで述べるが、ドイツ語圏の左派的な知的風土から生まれたオーストロ・マルクス主義やローザ・ルクセンブルクの思想、またポランニーがいう「機能的社会主義」は、イギリスのギルド社会主義や組合主義と立場上多くを共有している。これがフランス語圏ではモースが支持した協同組合主義やジャン・ジョレスのような独立派社会主義とつながる。こうしてみると、ポランニーとモースという二人の「経済人類学の父」の思想は、それを育んだ土壌をヨーロッパ規模で共有していたことになる。

 写真に戻ろう。一筋縄ではいくはずない革命家イロナとの生活、不安定な経済的基盤、ドーバー海峡を渡って故郷から遠く離れた状況、予断を許さない第二次大戦の戦況。頭がおかしくなりそうな不安のネタだらけの生活のはずだが、ポランニー夫妻はとても楽しそうだ。オンボロの家の前でちゃんとネクタイを締めて写真に収まるカールの目は力強い。彼は労働者たちと写真に収まるときもおしゃれできちんとした格好をしていた。知性と人のよさの両方がどの写真にも滲んでいるので、疲れたときポランニーの写真を見るとネコ写真みたいに心が和む(モースの写真も癒されます)。

 そんなポランニー一家は一九三九年、この写真の家に住んで黒猫を飼っていたようだ。写真を撮ったのは娘のカリだろうか。やはりセンスある思想家は黒猫を飼うらしい(フーコーも)。タヌキみたいなうちの三毛も黒く塗ろうかなと思う。というわけで、この一枚の写真が、ポランニーとその家族についてさまざまなことを示し、想像させるのだ。

『大転換』出版とアメリカ時代

 ポランニーの生涯についてはあまり深入りしないつもりが、気がつけばオタクみたいなエピソードをたくさん書いてしまった。そのくらいポランニーの生涯は魅力的で、一つのストーリーに載せられないほどの多様な側面があるということで許していただきたい。このままでは「シン・アナキズム」というより「カール・ポランニー・ファンサイト」になってしまう。だからといってイギリス時代で話が終わっては経済人類学の話につながらないので、アメリカ時代について簡単に触れておく。

 ポランニーは一九四四年に『大転換』を出版する。ロックフェラー財団から支援を受けてアメリカで研究に専念する機会を得てのことだ。のちには共同研究でフォード財団からも援助されている(シヴァのところで悪の権化みたいに書いてすみません)。『大転換』は何度か世界的に注目を集めることになり、コロナ後の現在、再度注目されている。だが、出版当初はその意図が理解されず、とくにイギリスでは大した反響がなかったようだ。たしかにこの本は重厚かつ難解にすぎ、明確に一つのテーマを引き出すことが難しい。それが古典というものだが、ちなみに私は何度読んでも全体として何を書いている本なのか分からないままだ。

 たしかに『大転換』の反響は、ポランニーが期待したものとは違っていたかもしれない。だが、この著書がきっかけで、ポランニーはアメリカのコロンビア大学から招聘を受け、一九四七年初頭に客員教授として赴任する。他にもいくつかの大学からのオファーがあり、そこにはシカゴ大学正教授の職も含まれていたという(もちろん市場派経済学の牙城であった経済学部でなく社会科学部)。だが、またしても思わぬところから災厄が降りかかる。赤狩りに燃えるアメリカのビザを、社会主義革命運動家歴のあるイロナは取得できなかったのだ。イロナはカールが客員の任期を終えてイギリスに戻ることを熱望したが、カールはコロンビア大学を離れるだけの職をイギリスにもハンガリーにも得られなかった。結局イロナは一九五〇年、カナダのトロント近郊ピッカリングに移住した。その後も夫妻、とくにイロナはイギリスに帰ることを希望していたが、二人の老齢と健康不安もあってカナダにとどまった。娘のカリもカナダで大学教授になっている。

 ポランニーは六十歳を過ぎて新たな環境に身を置いたが、驚くべきはコロンビア大学での精力的な活動である。たしかに『大転換』には人類学、とくにトゥルンヴァルトとマリノフスキーというオーストリア=ハンガリー帝国出身の二人の人類学者の業績が十分に生かされている。だが、多様な時代や場所の非市場社会についての経済人類学研究と、古代以来のさまざまな社会についての考察から市場社会を相対化する試みは、やはりコロンビア大学での共同研究によって開花したものだ。ポランニーが経済人類学の創始者となり、いままさに必要とされ注目される新たな学問領域をひらいたのは、六十歳を過ぎて大西洋を渡り、妻はアメリカに移住できず、国境をまたいで大学と家とを往復する生活からだったのだ。

 こうしてコロンビア大学に生まれた「ポランニー学派」は、人類学における実体主義の中心として、ポランニーの死後も、新古典派的方法をとる形式主義人類学への異議申し立てを牽引した。このこと自体、主流派経済学への異議として出発したポランニーの経済的思索を、人類学というフィールドで反復しており興味深い[※6]。

市場社会と非市場社会

 まさに激動の時代の荒波にもまれながら、その都度得られた経験を糧に誰も真似できない独創的な思想を作り出していく。ポランニーのこうした生涯は魅力にあふれ、人間としてまた思想家として、いかに巨大な人物であったのかと驚嘆するほかない。しかし大思想家の常か、彼の言っていることは重要であることは分かっても、簡単には理解できない。そろそろみなさんポランニーについて相当知りたくなったころだと思うので、ここから彼の思想を、近代経済学(新古典派的思想)批判を中心に見ていくことにしたい。

 ここで次回と言って終わらないで、さわりだけでも内容予告をしてほしいと担当編集者(出前館倉園)に懇願されたので、ちょっとだけ予告編を書くことにする。ポランニーの経済思想は、一方に近代の市場社会批判、他方に非市場的な社会関係の描写の二つから形づくられている。両者は相補的関係にあるが、それぞれのエッセンスをつかむのに苦労する。私がずっと引っかかってきたのは、ポランニーが「自己調整的市場」ということばで何を表現しようとしたかだ。このことばの読解を中心に置くことで、市場社会と非市場社会の両方の特徴を捉えることができるように思われる。

 難しそうだな、とダルくなっているかもしれない。だがこれは私たちの「いま」の課題にリアルにつながる話なのだ。グレーバーも怒り狂ったリーマンショックとその後もつづく不正義の原因、そして資本主義は最低最悪の結果をもたらしているのになぜこんなに強力なのかを、ポランニーは一世紀前から考えていた。そのうえ彼の資本主義への解毒剤はとてもアナキスト的なのだ。次回が楽しみ!!

「ポランニーとグレーバー」(その2)を読む

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※1 グレーバーの単著については、日本語版Wikipediaに掲載されている。日本語訳は、高祖岩三郎訳『アナーキスト人類学のための断章』以文社、2006、高祖訳『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』以文社、2009、酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳『負債論――貨幣と暴力の5000年』以文社、2016、木下ちがや・江上賢一郎・原民樹訳『デモクラシー・プロジェクト――オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力』航思社、2015、酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店、2020、片岡大右訳『民主主義の非西洋的起源について「あいだ」の空間の民主主義』(フランス語刊行書籍に新訳を加えた日本版)以文社、2020。本文でも挙げた最後の共著は、David Graeber and David Wengrow, The Dawn of Everything: A New History of Humanity, Allen Lane, 2021.
※2 先月「アナキズムと政治思想」についてのシンポジウムがあり、梅森直之さん、山崎望さんとともに私も報告をした(公開シンポジウム「政治学におけるアナーキズムの意味 ~社会と国家をとらえ直す~」主催:日本学術会議政治学委員会政治思想・政治史分科会。https://www.juris.hokudai.ac.jp/ad/event/20211112/)。そのなかでコメンテーターの田村哲樹さんも交えて、「アナキズムと民主主義の違いというのはよく考えると不分明だ」という話題が出た。梅森さんは民主主義のメンバーシップとアナキズムの自発的参加との違いを挙げられた。たしかにその通りなのだが、政治学的な観点からは、直接民主主義のある種の形態をアナキズムと区別することは難しいのも事実だ。私自身は、アナキズムには「労働」「生産・流通・消費のための諸組織」「所有のあり方」といった経済的な側面が強く関わっていると考えている。この点で政治の民主主義だけからアナキズムを捉えることはできないと思う。それはともかくとして、アナキズムとは何かを定義することにはあまり意味がなく、むしろ多様なアナキズムの思考と実践を描くことの方が想像力をかき立てる(つまりこの連載)ということを再確認できた。
※3 ポランニーとグレーバーを思想の内実に分け入って描いた論考として、小田亮「「交換の四角形」とその混成体――市場社会を乗り越えるための試論」を挙げる。晦渋な『大転換』について、簡潔かつ的確にまとめた稀有な論文である。しかもその後のポランニーの歩みを、人類学的な観点から『大転換』のテーマと関連づけて整理し、そのうえグレーバーとの比較まで行っている。稀に見るお得な論考で、以下本文でも適宜参照する。
※4 ギャレス・デイル、若森みどり・若森章孝・太田仁樹訳『カール・ポランニー伝』平凡社、2019、栗本慎一郎『ブダペスト物語――現代思想の源流をたずねて』晶文社、1996、若森みどり『カール・ポランニーの経済学入門――ポスト新自由主義時代の思想』平凡社新書、2015。栗本慎一郎の本は、トランシルヴァニア・フリークの石川健治さんに教えていただいた。ポランニー思想をもっと知りたい人は、もちろん『大転換』を読むのがいいが、新書より詳しく全体像を知ることができる著書として、若森みどり『カール・ポランニー――市場社会・民主主義・人間の自由』NTT出版、2011を挙げる。
※5 Endre J. Nagy, ‘After Brotherhood’s Golden Age: Karl and Michael Polanyi,’ in Kenneth McRobbie ed., Humanity, Society, and Commitment: On Karl Polanyi, Montréal, New York: Black Rose Books, 1993, p.81―114.(この手紙はハンガリー語で書かれたもの。シカゴ大学に保管されている)。
※6 実体主義と形式主義の論争については、クリス・ハン、キース・ハート、深田淳太郎・上村淳志訳『経済人類学――人間の経済に向けて』水声社、2017、第4章に詳しい。

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プロフィール
重田園江(おもだ・そのえ)
明治大学政治経済学部教授。1968年西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本開発銀行へ入行、退職後、東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士後期課程単位取得満期退学。2005-07年ケンブリッジ大学客員研究員。2011年、『連帯の哲学Ⅰ――フランス社会連帯主義』で第28回渋沢・クローデル賞受賞。ほかの著書に『フーコーの穴――統計学と統治の現在』(木鐸社、2003年)、『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』(勁草書房、2018)、『フーコーの風向き――近代国家の系譜学』(青土社、2020)など。

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