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連載 シン・アナキズム 第4章「ポランニーとグレーバー」(その3)

「自己調整的市場」について(2)

政治思想史家・重田園江さんの好評連載「アナキスト思想家列伝」第12回! 毎月のように新しい本が出る「アナキズム」っていったい何なのか? その魅力をビシバシと伝えます。今回もカール・ポランニーとデヴィッド・グレーバーについて取り上げます。
※これまでの各シリーズは下記よりお読みいただけます。
 「序 私はいかにして心配するのをやめ、アナキストについて書くことにしたか」へ
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「自己調整的市場」の謎

 さて、ポランニーによると、こういうお先真っ暗な感じの市場社会の中心的存在が、自己調整的市場である。しかし思想史研究者としては、ここではたと考え込む。ポランニーがいう自己調整的市場ってなんだろう。他からの介入や干渉を一切受けつけない「市場メカニズム」だとしたら、ワルラス的な一般均衡市場のイメージだろうか。だとすると、それが現実に成立したことが一度でもあるのだろうか。

 これは、「実在する」自己調整的市場と「ドグマとして機能する」自己調整的市場とを、ポランニーがどのように捉えていたのかという問いを導く。ポランニーは一方で、自己調整的市場を守ろうとして世界経済が機能不全を起こし、破局と大転換へと向かっていく20世紀を描いている。守ろうとするってことは、やっぱり実在するんだろうか。他方で彼は、自己調整的市場が一切の干渉なしに存在したことはなく、市場はつねに国家や政治による介入によって作られ、維持されてきたとも言っている。干渉があるのに自己調整とは語義矛盾なので、自己調整的市場はドグマ(机上の教義)にすぎないのだろうか。

 この点についての重大な問題提起がすでになされているので、以下ではそれに答える形で、ポランニーの市場観ついて再検討したい。

 西部忠の『市場像の系譜学』は出版から25年経つ著作だが、そこで提示されたさまざまなアイデアや読解はいまでも新鮮だ。同書の中で西部は次のように書いている。

 ポランニーの市場像は、他の経済システム〔互酬や再分配――引用者〕と並立して比較しうる経済統合形態の側面を重視し、市場の統一性と安定性を過度に強調するものであった。それゆえ、ポランニーは『大転換』において1930年以降の「大転換」しつつある市場経済を、その本来の自己調整機能を失い、崩壊の危機に瀕しているものと速断したのではないか。ポランニーは、批判対象として対峙していた均衡論的な経済学の参照枠をあまりにリジッドに受け入れたがために、新古典派経済学者と同じように市場経済をかえって「合理的」に理解してしまったようにも思われるのである。……
 市場経済は、完全な自己調整機能をもつものではないが、強力な自己革新能力をもつこと、また、市場経済は、ポランニーが資本主義より今や重要であると考えていた産業主義を内在的に推進し活性化する論理を内に含んでいること――これらの点を、ポランニーの市場像は無視してしまうのである[※1]。

 ここで西部は、『大転換』以降の時代に、市場システムが社会主義よりも長く生き延びその強さを発揮したこと、それが社会主義に含まれていた産業主義(産業の発展による経済的豊かさを志向すること。詳細は次回説明する)の要素をうまく取り込んだことを念頭に置いている。そして、市場の強さをポランニーが過小評価したのは、彼がそれを自己調整的で完全なシステムとして捉えたからであると考えている。

 たしかに自己調整的市場は、『大転換』の中である種のマジックワードとして機能しているようにも見える。つまりポランニーは、一度そのメカニズムが作動しはじめると経済活動全体がそれに則って編成され、外部や例外を許さなくなるような完全無欠の装置、「一大市場(One Big Market)」が成立すると言っている。このように言われると、市場は自動的に巨大化し、市場自身を市場機能によって「調整」することで自動的に維持されるとも受け取れるからだ。

市場は自律的か

 だが『大転換』には、ポランニーが自己調整的市場を自己再生的に持続するものではなく、その実現のために政治的な力がつねに加わるような、自己調整に向けた一つの「運動」として捉えているかのような記述が散見される。たとえば、労働組合法と反トラスト法、つまりいわゆる結社の「自由放任」によって市場の自己調整が阻害されると見なされたケースでの、自由主義者の選択に言及する箇所に、次のような記述がある。

 もし自己調整的市場が自由放任の要求と両立しないことが判明した場合には、経済的自由主義者は自由放任に背を向け、反自由主義者なら必ずそうするように、規制と制限といういわゆる集産主義的方法を選択したのである。

 この後さらに決定的な文章が現れる。

 市場システムが確立されないかぎりは、経済的自由主義者は市場システムを確立するためにためらうことなく国家の干渉を要求しなければならないし、実際また要求するであろう。またひとたびそれが確立されれば、それを維持するために、同様に国家の干渉を求めるだろう。したがって経済的自由主義者は、矛盾を感ずることなく、国家による法の強制力を求めることができる。彼らはさらに、自己調整的市場の前提条件をつくりだすために内戦という暴力にさえ訴えることもできるだろう[※2]。

 この文章をそのまま受け取るなら、市場システム確立のためには国家の干渉が要求されるということだ。ポランニーは典型的な例として、イギリスの19世紀史を通じて、市場への巻き込みに反対する「社会による防衛」に対抗するため、力づくで市場化への努力が払われた経緯を『大転換』で描いている。市場経済と価格メカニズムの全面化は、アダム・スミス以来の「物々交換の神話」のヴィジョンとは異なり、放っておけば勝手にあるいは自然に起こるものではない。それはさまざまな方面からの抵抗を排除する暴力を通じて、目指され、作られてきたものなのである。

 さらにポランニーは、自己調整的市場を維持するためにも、つねに国家による干渉が要求されると指摘している。ここでは、一切の干渉を受け付けないことで価格システムを通じた最適な資源配分を達成する、ワルラス的均衡市場の自律性は前提とされていない。たえざる干渉と障害物の排除によってしか成立も存続もしないなら、それを果たして「自己調整的」市場と呼ぶことができるだろうか。ポランニーは、自己調整的市場の自律性というヴィジョンは自由主義経済学者によるドグマに過ぎず、市場の完全な自己調整は現実に存在したことも、未来において存在する可能性もないと考えていたのではないだろうか。

イギリスに現れた「悪魔のひき臼」

 では自己調整的市場に注目し、それによって市場社会を特徴づけることを通じて、ポランニーは何をしようとしたのだろう。彼が自由主義経済学者に喧嘩を売っていたのはたしかだ。だからといって、この喧嘩に勝つことが『大転換』執筆の主要目的ではない。ここでは、ポランニーがウィリアム・ブレイクの詩の一節から取ったという、「悪魔のひき臼」ということばに注目したい。

 ブレイクは詩集『ミルトン』の序の一部として、1804年にこの一節を含む詩を書いた。詩の主題はキリストのイギリス訪問である(史実ではないだろう)。ブレイクが、「この闇の悪魔のひき臼たち(these dark Satanic Mills)」という章句で念頭に置いているのは、彼の住まいの近くにあったアルビオン製粉所であると言われる。この製粉所はワットらによる回転蒸気式の動力を用いた大工場で、高い生産性をもち、中小の製粉業者を破産させたそうだ。一日中煙を出して大きな音を立て、日々糊口(ここう)をしのぐ細民たちを破産に追い込む巨大工場は「悪魔」であり、それを製粉機の動きにかけて「ひき臼」とイメージしたのだろう。さすがブレイクだ。ポランニーはブレイクのこの章句を借り受け、人間、社会、そして自然による数多の抵抗を斥け、すべてを市場システムへと巻き込んでいく運動を「悪魔のひき臼」にたとえた。

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ブレイクが自ら彩色を施した、詩集『ミルトン』の序。真ん中よりやや下にthese dark Satanic Mills の文字が見える。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エルサレム_(聖歌)#/media/ファイル:Milton_preface.jpg

 ポランニーによるなら、19世紀イギリスに出現した悪魔のひき臼は、「人間を浮浪する群衆へとひき砕」き、「古くからの社会的な紐帯を破壊し」[※3]た。労働者は「産業都市と呼ばれた新たな荒廃の地へと押し込まれ」「農村の人々は、人間性を奪われて、スラムの住人と化し」た。自然はどうなったかというと、「国土の大部分は、「悪魔のひき臼」が吐き出した粉灰と廃物の山に埋もれ」[※4]た。

大量生産が市場を必要とした

 こうした恐ろしい状況はなぜ引き起こされたのか。ポランニーはこれについて、機械の発明と工場生産の拡大、つまり産業革命の重要性を強調している。産業革命は通常、石炭にはじまる化石燃料の使用としてのエネルギー革命と、化石燃料を動力に転換して経営される大規模生産工場を二大特徴とする「生産革命」として理解されている。だがポランニーは、これが単なる技術進歩や生産力の増強ではないことに注意を促す。機械の導入は農業および製造業のあり方を根本的に変えた。それが、売るために作られる「商品」を大量に生み出したからである。高価で大規模な機械による商品生産は、莫大な量の原材料および賃労働、そして製品のはけ口となる巨大市場を必要とする。これが圧力となって市場システムが作り出される。

 このことを逆にたどってみると次のように言える。市場システムがなければ巨大工場は不要であり、巨大工場がなければ機械の発明が爆発的な生産力増強に結びつくことはない。そして、生産物の爆発的増大とは、化石燃料をはじめとする資源の濫費(らんぴ)であり、人間の労働力の例外なき商品化にほかならない。つまりここで、自己調整的市場を必要とするのは、機械を用いた大規模生産システムだということになる。この社会は次のような特徴を持つ。

 〔農業社会から機械による大量生産社会への――引用者〕この転換は、社会の構成員における行動動機の変化を意味する。生存動機は、利得動機に置き換えられねばならない。すべての取引は貨幣取引となり、それが、経済生活のあらゆる節目における交換手段の導入を要請する。あらゆる所得は、何らかの物の販売から生み出されねばならず、個人の所得の実際の源泉がどのようなものであれ、それは販売から生じたとみなされねばならない[※5]。

 このシステムは、あらゆる人が例外なく、必要なものはすべて購買によって賄い、何かを販売して利益を得る、こうした行為様式をとることで存続する。私たちの日常生活を思い出してみると、これはとくに難しい話ではない。必要なものを買わずに生活することを想像してみてほしい。一日二日は家にあるストックでなんとかやっていけると思われるかもしれない。でも電気だってガスだって、お金を払って購入しなければ使えないことを思い出すと、何かを買わずに生きていくなど、ほんの短い時間でも無理だと分かるはずだ。

 だが、こうした人間の行為や生存全体への商品経済の浸透は、実は社会的な前提の大きな転換があってはじめて成立する。つまり、「社会の自然的実在と人間的実在の、商品への転化を必要とする」[※6]。ここでポランニーは、自己調整的市場を完全な形で実在する市場機構というより、自然と人間をひっきりなしに商品化へと巻き込む「運動」の観点から捉えていたと言える。

市場は破局まで拡大し続ける 

 機械文明の広範な利用は商品を生産する原材料や労働、そしてできたものを売りさばく場=広範な市場システムを必要とする。市場規模が大きいほど多くの商品を捌けるので、その拡大の勢いを抑えることは難しく、こうしてあらゆるものが悪魔のひき臼に呑み込まれる。グローバル資本主義をイメージすれば分かりやすい。市場機構は商品の存在を必要としており、したがって自然と人間は例外も際限もなしに商品化される。市場社会では、商品経済の渦に呑み込まれなければ人は経済過程に入ることができず、生きていくことも利益を得ることもできない。

 さらに、商品化と市場化のプロセスは無限の過程であり運動なので、決して完成や終局には至らない。市場社会が止まることのない無限運動であることは、マルクスやアーレントの指摘を想起すると分かりやすい。アーレントが『全体主義の起源』で考察した、経済から借り受けて全体主義の政治に持ち込まれたとされる「運動」には、無限に増殖するか消滅するかの二択しかないという恐ろしい特徴がある。また、マルクスが『資本論』で行った予言によるなら、資本は増殖しつづける以外に生き延びる道がない。

 もっとも、これもまた難しい話ではなく、「会社って大きくしないで維持するって無理なんですよね」という、新しい店舗を出すことを常に模索する小売店経営者が言いそうなことばを思い出すだけでよい。

 つまり、市場化に終局があるとするなら、それはカタストロフでしかないのだ。悪魔のひき臼は自然や人間を巻き込みつづけ、地球環境を破壊し尽くし、貧富の差が途方もなく拡大するまで放置され、もはや人間存在の再生産が不可能になるところまでいくしかないのだろう。

 こんな不吉な予言はやめてほしいと言われそうだ。だが地球環境の激変を抑えるために温暖化のスピードを緩めることすらできない現状、またコロナ禍によってさらに金融資産が増加し貧富の差が広がった現実を見ると、これは終末論でも陰謀論でも末法思想でもなく、近い将来十分に起こりうることであると言わざるをえない。

絶望的な現実の「外側」へ!

 いつになく暗い話になってしまった。だが、ポランニーは絶望ではなく希望の思想家だった。それは彼が、絶望するほかない現実の「外部」に、いつも目を向けていたからだろう。次回からはその外部を、「内部から出てきた外部」と「もともと外にある外部」に分けて取り上げていくことにする。前者は1920年代の社会主義経済計算論争の中で生まれたポランニーの「機能的社会主義」論で、後者は経済人類学者としての、互酬、再分配、家政についての議論である。

 すべてを商品化する市場という悪魔のひき臼に対抗するには、その外部に出なければならない。同時にそれは、自己調整的市場を特権視する自由主義経済学のドグマを脱し、市場そのものをもっと幅広く、柔軟性をもって捉える道行きでもあった。ポランニーは脱市場主義というこの道筋において、とても豊かな風景を見せてくれる。これこそ彼の思想の魅力を尽きないものにし、またそこにアナキストの片鱗を感じることができる場所でもある。では気を取り直して、ポランニー思想のもう一つの側面を見ていこう。

「ポランニーとグレーバー」(その4)を読む

*   *   *   *   *

※1 西部忠『市場像の系譜学――「経済計算論争」をめぐるヴィジョン』東洋経済新報社、1996、p.142.
※2 『大転換』p.265―266. ここでポランニーが「内戦という暴力」として念頭に置いているのは、アメリカの南北戦争である。直後の一文に、「アメリカでは、南北戦争時の南軍は奴隷制度を正当化するために自由放任論に訴えた。北軍は、自由な労働市場を創出するために武力干渉に訴えた」とある。
※3 同、p.59.
※4 同、p.68.
※5 同、p.70―71.
※6 同、p.71.

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プロフィール
重田園江(おもだ・そのえ)

明治大学政治経済学部教授。1968年西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本開発銀行へ入行、退職後、東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士後期課程単位取得満期退学。2005-07年ケンブリッジ大学客員研究員。2011年、『連帯の哲学Ⅰ――フランス社会連帯主義』で第28回渋沢・クローデル賞受賞。ほかの著書に『フーコーの穴――統計学と統治の現在』(木鐸社、2003年)、『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』(勁草書房、2018)、『フーコーの風向き――近代国家の系譜学』(青土社、2020)など。

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