シン・アナキズム 第4章 ポランニーとグレーバー (その7)
機能的社会主義について(4)
交渉価格とは
話がごちゃごちゃしてしまっているが、こうした要素を考慮した形での価格決定に際して、生産アソシエーションと協議を行い、価格と財の配分を決定するもう一方の主体が、コミューンあるいは消費協同組合といった消費アソシエーションである。
ポランニーはコミューンを「政治共同体、地域アソシエーション、機能的国家、地域の役所、働き手の代表評議会、社会主義国家など」 [※1]を指すものとしている。ここではコミューンはその政治的役割を中心に定義されているが、別の箇所では消費協同組合と類似の消費者代表の機能も果たすとしている [※2]。つまりコミューンは社会主義国家そのものから地域の消費者団体まで、大きさも役割も異なるさまざまな組織をそのうちに含んでいるということになる。コミューンは、生産に関わる場合を除く、社会に生きる人々の集合体全般を指しており、場合によってはそのなかで消費者集団としての機能が強調される。
価格は基本的に生産者と消費者、あるいはこれに加えて共同体という、二つないし三つの関係者の利害を反映する形で、交渉によって決められる。そしてこうした交渉の場面で、社会的所有あるいは共同性によってそれぞれの組織が構成されている、生産アソシエーション、コミューン、消費アソシエーションは、生産費や生産性の観点と社会的コストの観点、それに消費者のニーズや生産者の労働条件、コミュニティにとっての製品やサービスの意義などをそれぞれ考慮しながら交渉し、価格を決定していくことになる。
多様な利益を考慮し、擦り合わせる
ポランニーの論考のテーマは経済計算にあったため、コミューンの政治社会的機能に関する詳細はこれ以上書かれていない。しかし、機能的社会主義全般に言えることとして、コミューンそのものについても多元性と多様性を特徴としている。
生産アソシエーションが生産者の共同利益に立脚するのに対して、コミューンは共同体に暮らす人々の政治的社会的ニーズの側に立つ。コミューンは小さなものから大きなものまでさまざまな規模と種類に分かれており、それらが相互につながったりまとまったりして全体社会が形成されている。
そのため、コミューン間で互いに交渉や協定のための話し合いが行われるし、生産アソシエーションと消費協同組合の主張の調整主体としての役割も果たす。注意すべきは、こうしたアソシエーション型の共同体形成が、たとえば政治学者ロバート・ダールが発見した「多元的政治」とは異なる点だ。ダールの多元的政治においては、利益集団はロビー活動を展開していわゆる「圧力団体」となる。その利益は、圧力団体から要請を受けた議員によって議会と政策の場に反映される。つまり「族議員」による利益の代弁である。これはある程度、現代の議会政治の特徴を言い当てている。
一方、機能的社会主義におけるアソシエーションは、あらかじめ定められた集団利益を議会や政策に反映させようと政治的働きかけを行うわけではない。ここでは、一つの集団が一つの利益を表明し、他の集団は別の利益をもってそれに対抗するという構図は成り立たない。生産アソシエーションも消費アソシエーションも、たとえば協定価格交渉に臨む際に、さまざまな要素を考慮に入れる。交渉のプロセスを通じて、その要求はさらに「社会化」される。
ここには、団体の上位者が集団の利益と称して、たとえば「業界利益」を主張する、現在よく見られるロビー活動とは全く異なる、多様な利益の考慮と擦り合わせの技法がある。それは、まず自分たちの集団利益を一つにまとめて提出し、複合的な利益の擦り合わせを上位集団に委ねるのではない。こういった場合、集団利益とはしばしば幹部や代表者の利益にすぎず、上位集団はさらに閉鎖的な利益配分スタイルを取ることになる。これに対して機能的社会主義においては、生産の現場、消費の現場、価格交渉の現場、コミューン間の意見調整の場で、その都度社会的観点を組み込んだ最適の決定を下そうとするのである。
効率の陰に本当は何があるのか
以上がポランニーによる機能的社会主義と、そこでの価格決定に関する議論のあらましである。これを当時の経済計算論争で主要論点になっていたことと見比べると、どんなことが言えるだろう。ポランニーは、「社会主義に市場のような資源配分ができるか」「社会主義に合理的な経済計算ができるか」というミーゼスの初発の問いに、どう答えたのだろうか。
まずポランニーは、「市場が効率的に資源を配分している」という際の「効率的」とは何かを問題にしている。そこでは決して考慮に入れられないさまざまな要素があり、それを考慮してこそ、「悪魔のひき臼」は「人間の経済」へと生まれ変わることができると考えていた。たとえば、いま流行のサプライチェーンにおいては、効率性や高い生産性を目指して世界中の労働力が収奪されてきた。そのことは市場の効率性や合理性の観点からは、とくに問題視されることはない。仮に遠い外国の労働条件について非難の声が上がるとしたら、それは人権上の見地という、そもそも経済的な価値観とは別の規範に基づいてのものだ。
また市場経済においては、土地の価値は売れた値段で決まる。そこにもともと何が生えていようとどんな動物が暮らしていようと、木を切って更地にした後は、交通の便や広さなど立地の問題しか商品価値として残らない。効率の陰に本当は何があるのか。そのことを明るみに出し、売れる値段とは異なるやり方で経済活動全般を評価する基準を与えようとしたのが、社会的公正の観点であり、また社会的コストという考えであった。
つまり、「市場のような資源配分ができるか」という最初に設定された問いに対して、市場の資源配分のやり方はそもそも視野が狭く、全然いいものではないんじゃないか、と言ってしまったのがポランニーなのだ。他方でポランニーにとっては、市場の資源配分を再現するために方程式を解き、中央のコントロールによって生産から消費までを管理するソ連型の集産主義もよくないものだった。そこには多様性、多元性、選択や意思の複数性が一切存在しないからだ。つまり、自由の余地がないのだ。
ここでまたまたよく考えてみると、自由や多様性といった価値は(資本主義)経済的な観点からはうまく評価できない、あるいは視野に入れられない何かなのだろう。それらはむしろ政治的な価値だからである。そうなるとポランニーが目指したのは、経済という人間の物質代謝のプロセスの中に、政治的な民主制の諸要件を確保することだったといえる。つまり、経済という利害と損得勘定と欲求充足の世界に、社会正義や公正、そして人々の自由と意思表明の機会、交渉による取り決めなどの政治的な価値観と仕組みを導入するということである。それを可能にするのが機能的社会主義であり、そこでの多元的なアソシエーションの重層化された構造であった。
未来社会の有力候補として
こうして、市場経済と集産主義経済に代わる第三の道というのが、小さな社会的所有や共同性が織り合わさってできる多元的集合であることが分かる。そうすると、そんなものが巨大な悪魔のひき臼のオルタナティヴになりうるのかという疑問が出てくるかもしれない。ポランニーが描く機能的社会主義はかっこいい壮大な理想郷でもないし、いまある小さな協働と協同の試みの寄せ集めにすぎないではないかと思われてもしかたない。だが、ちょうど100年前にポランニーが構想したこの慎ましい理想社会は、いまでも残っているかなり少ない別の世界の可能性ではないかと私は思っている。
世の中大きいことはいいことだという時代は終わった。大国なんてろくなことをしないし、大国意識の肥大化は現に度外れた暴力を生んでいる。企業も産業も小さい方がいい。そうすれば地元での取引が重視され、皆がときには消費者、ときには生産者として交渉に参加し、その経験の中で互いの言い分への想像力を培っていけるだろう。小さく、ローカルに、具体的になっていく経済社会は、これからの時代の希望が向かう先ではないだろうか。
これはちょうど、最近読んだ中山智香子による玉野井芳郎の水利システム観の紹介と発想は同じだ。玉野井は現地調査した台湾の水利システムについて、それが大規模ダム型とは発想が逆になっていることに注目していた。「多数の溜池を連結させてネットワークをつくるアジア的な灌漑の方法」[※3]である。これを玉野井は、「末端がメインになるような水利システム」として評価する。末端がメインとは実にうまい表現だ。ポランニーの機能的社会主義もこれと同型のアイデアからなる。末端である一つ一つの溜池がローカルな特性に応じて周囲にある素材(石や砂利や水流)を用いて作られ、それがネットワークとして繋がれる。これと同じように、末端である工場やローカルコミュニティや消費協同組合がそれぞれの事情に応じて作られ、それらがネットワーク化される。これはいわば「末端がメインになるような社会システム」である。物事の向きと発想を逆にすることで、実はこのシステムは近代以前の多元的共同性の利点を生かし、生活や生存、そして労働の現場に根ざした人々の社会への組み込みを実現するものなのだ。
資本主義は、もっと大きく、もっと多くから永久に逃れることはできない。もっともっと利潤を上げなければいけないので、もっともっと事業を拡大しなければならない。しかしよく考えたら、そんなことどうでもいいことじゃないだろうか。効率性も合理性も、あくまで目の前にある作業や製作プロセスにおいて、可能な範囲で追い求めるだけに止めればいいだろう。交渉に時間がかかることも、結果をすぐに出さなくてよければ無駄ではない。そもそも無駄だとか割に合わないだとか、こういった発想になぜ立たなければならないのか。効率性と経済の比喩への囚われから脱して社会を眺めてみたとき、ポランニーが描いたオルタナティヴな世界は、少しずつ実現可能な手が届くユートピアに見えてくる。
私たちが他に有力な未来社会の候補を持っているとは思えない。その意味でも、ポランニーの機能的社会主義は、見かけよりずっと根本的かつ実現可能性の高い、新しい社会構想としてのポテンシャルをいまでも持っているのではないだろうか。
激動の世界をポランニーの構想から見ると……
19世紀以降、世界で多くの国が体制変革を経験した。その激動の中心地ヨーロッパでは、一方に国内の階級対立と労働運動、他方に対外的な植民地主義と帝国主義という不穏な時代を迎えた。いまからふり返るなら、労働運動や社会運動に邁進した人々の多くは、対外的にくり広げられた植民地主義の実態については多くを知らなかった。
つまり、社会的な権利と自由を求める運動と、残虐な暴力による支配とが、同時代に別々に、国の内外で実践されていたということになる。現代のような情報社会ではないので、一般の国民が対外的な状況を知るソースも機会も限られていたのだから、これは当然のことだった。ハンナ・アーレントはこうした国民国家と帝国主義の間の壁や仕切りについて、『全体主義の起源』で何度も強調している。
ところがこの壁が崩れ、というより植民地や支配地という海や壁や国境の向こうでなされていた暴力的支配が、ヨーロッパ内になだれ込んでくることになる。それが国内での「社会」の要求と奇妙な形で結びつくのだが(ファシズムや集産主義など)、これは同時に社会主義運動の徹底した弾圧または社会主義の集産主義化とセットになっていた。こうして19世紀の二重性のツケを払わされたのが、20世紀の全体主義と二度の世界大戦だったといえる。
砲弾の嵐の中で、ポランニーが支持した機能的社会主義の小さな構想は吹き飛んでしまった。戦時期には、社会主義は総動員体制と結びつかざるをえず、このとき構築されたシステムを引き継いだ戦後の福祉国家は、官僚的な巨大機構によって運営されることになった。ところがしばらくすると、高度成長によるボーナスがなくなってこうした体制は維持できなくなり、自称小さな政府と民営化の新自由主義が席巻する。だがそれも、目を覆うような貧富の差が拡大の一途を辿り、怨嗟が排外主義の渦となってポピュリズム政治家を大量発生させるとともに、世界中に独裁的な国家を生み出す結果となった。
その先に何があるのか。驚くべきことにその先に起こったのは、100年前と同じ侵略的価値観を反復する、プーチンロシアによるウクライナへの戦争であった。経済的停滞と大国主義の野心とのギャップに喘ぐ秘密警察上がりの指導者のもたらす死と破壊によって、世界が数百年をかけて少しずつ積み上げてきた最低限のルール、決して踏み越えないはずだったモラルが崩れ去るという、信じがたい光景が展開している。
大きいこと、強いこと、早いこと、多くの場面に共通して使えること、効率がいいこと、合理的なこと。威信、トップダウン、命令と服従、そして自己利益。これらに対して、小さいこと、遅いこと、効率より納得を優先すること、その都度解決を見出すこと、一般化を避けること、多くの声を反映させること、状況に応じて対応を変えること、誰もトップを独占しないこと、階層構造に抗うこと、そして生きることと経済活動を切り離さないこと、つまりは社会的な視点を対置してみよう。
ポランニーが提示した小さな発明の集合体である機能的社会主義が、少しは魅力的に見えてきただろうか。
(次回「グレーバー」(その1)に続く)
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※1 ibid.
※2 ibid.
※3 中山智香子「居住と生存-ポランニー ・イリイチ・玉野井芳郎の思想と「水」のテーマ」関西大学『経済論集』第71 巻4号(2022年3月)、p.133.
プロフィール
重田園江(おもだ・そのえ)
明治大学政治経済学部教授。1968年西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本開発銀行へ入行、退職後、東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士後期課程単位取得満期退学。2005-07年ケンブリッジ大学客員研究員。2011年、『連帯の哲学Ⅰ――フランス社会連帯主義』で第28回渋沢・クローデル賞受賞。ほかの著書に『フーコーの穴――統計学と統治の現在』(木鐸社、2003年)、『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』(勁草書房、2018)、『フーコーの風向き――近代国家の系譜学』(青土社、2020)など。