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小説・エッセイ

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人気・実力を兼ね備えた執筆陣によるバラエティー豊かな作品や、著者インタビュー、近刊情報などを掲載。
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#本

増える本、どうする?――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は小説家にはつきものの悩みについてです。 ※当記事は連載の第25回です。最初から読む方はこちらです。 #25 ときめきでは決められない 新型コロナウイルスが発生してから三年。ものすごく本が増えてしまったのだ。物書きの家に本が多いのは当たり前だし、物書きに限らず自粛の間にネットで本を買いまくった人は多いだろうと思う。しかし、我が家のそれは、生活に支障が出るくら

渋谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔いくらと思い〕 新井見枝香

※当記事は1話読み切りのエッセイ連載の第25回です。どの回からもお読みいただけますが、第1回から読む方はこちらです。日比谷から渋谷の書店に移った新井見枝香さん、連載もリニューアル再開です。  渋谷の書店で働くようになって、まず最初にぶち当たる困難が昼飯だとは思わなかった。限りある休憩時間に公園通りを行ったり来たりするも、食指が全く動かない。どこにでもあるチェーン店は悔しいし、キラキラした目新しい店は、制服の上にパーカーを羽織っただけの私には、敷居が高かった。私が食べたいのは

編集者から、

初めまして。書籍『みやぎから、』の編集とライティングを担当しました藤本智士と申します。 健くんと神木くんに誰に会ってもらうとよいかなあという、旅のコーディネートをはじめ、今回の書籍のさまざまを担当させていただきました。刻一刻と状況が変化するコロナ禍では、取材予定が二転三転するなど、無事に出版できるだろうかと不安に思うことも多かったので、いまこうしてたくさんの方のお手元に本を届けることができて本当に嬉しく思っています。関わってくださったみなさん、そして読者のみなさん、ありがと

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔終わりとシンプルさ〕 新井見枝香

※当記事は1話読み切りのエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第24回です。どの回からもお読みいただけますが、第1回から読む方はこちらです。  その町には、同じ店名のケーキ屋とパン屋とカフェがあった。どれも昔からあって、地元の人に愛されている人気店だ。私はそのケーキ屋の四角いスイートポテトが大のお気に入りだった。しかし数か月ぶりに立ち寄ると、ケーキ屋だけでなく、同じ名前の店の全てがシャッターを下ろしている。地元の人に訊ねると、それらを経営する会社の社長が大きな負債を抱え

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔肉じゃがと文化〕 新井見枝香

※当記事は1話読み切りのエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第23回です。第1回から読む方はこちらです。  肉じゃがの肉は「豚」である。それはすき焼きの肉が「牛」で、ジンギスカンの肉が「羊」であることと同じくらい、当たり前のことだ。近所のスーパーでは豚肉売場がいちばん大きい。それは、豚の生姜焼き、肉野菜炒め、豚汁と、食卓に登場する頻度が高いからに違いない。しかし先日、肉じゃがを作って皆に振る舞う機会があり、私の常識が崩壊した。食卓を囲んだ中に島根出身と京都出身の人がい

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔マダムと黒猫〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第22回です。第1回から読む方はこちらです。  旅先の温泉街で喫茶店に入った。急勾配な坂の途中にあり、ともすれば看板に気付かず通り過ぎてしまう、ひっそりとした佇まいだ。趣味の合う知人の勧めがなければ、薄暗い地下へ降りるのを躊躇ったかもしれない。背筋の伸びたマダムにコーヒーを注文し、サンドイッチを待つ。ひとり客の私は、マダムとのちょっとした世間話が嬉しく、聞かれたことに答えたり、常連客を交えた話題に口を挟んだりした。本当は、

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔千穐楽と送別会〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第21回です。第1回から読む方はこちらです。  久しぶりに神保町へやって来た。有楽町で書店員になって、いつかは働いてみたいと憧れた本の街である。今の書店に転職を決める時、私は三省堂書店の神保町本店で働いていたのだ。辞表を出す前に、何度も自分に確認したことがある。 「それって今の職場から逃げ出す口実ではないよね?」  長年、同じ会社に勤めていると、何人もの退職を見届ける。理由は様々だったが、本当のところは本人にしかわからない

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔米とひとりぐらし〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第20回です。第1回から読む方はこちらです。  ついに特大の米袋が空っぽになった。実に玄関のたたきの9割を占拠していたそれは、知人が知り合いの農家に頼んで直送してくれたもので、推定30キロの米が詰まっていた。いくら私が食いしんぼうとはいえ、ひとり暮らしの女性である。我が家はアパートの3階にあり、エレベーターがない。額に血管を浮かべた運送会社の人が荷物を下ろす瞬間、潰したAmazonの段ボールを差し込んだのは、我ながらグッジ

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔蛙と進化〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第19回です。第1回から読む方はこちらです。  手帳に旅行の予定を書き込んだが、なんだか妙である。 「取鳥旅行」  それくらい、馴染みのない土地だった。  新幹線を姫路で降りて、特急で鳥取県内の某駅に着くと、知人が車で迎えに来ていた。梅雨時で空が重く、今にも降り出しそうだ。駅前を離れ川沿いを進むと、雲を被った山の合間に田んぼが広がり、ぽつぽつと数軒の家が並ぶ。知人の家の前で車を降りると、足下で何かが跳ねた。「モグラ叩き」が

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔推しと深掘り〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第18回です。第1回から読む方はこちらです。  職場のバックヤードには、徒歩圏内にある大型劇場「シアタークリエ」「帝国劇場」「東京宝塚劇場」の公演スケジュールが貼り出されている。それは我々売場スタッフにとって、天気予報より重要な情報なのだ。公演の前後は、まるでコンサート会場の物販ブースみたいに、レジが混雑する。現在公演中の舞台の、プログラムやグッズを販売しているからだ。私も好きなロックバンドのLIVEに行くと、ついオリジナ

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔とんびとカラス〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第17回です。第1回から読む方はこちらです。  ゴールデンウィークは仕事で福井県の温泉地に滞在していた。そこかしこに広がる田んぼは、苗を植えたばかりの状態である。その辺りから愉快な蛙の鳴き声が聞こえるものの、透き通った水を覗き込んでも、姿は見えない。そうかと思えば、ぎょっとするほど近くに、白鷺が黙って佇んでいる。都内でこんなに巨大な鳥がふらふらしていたら、たちまち人だかりができるか、捕獲されるだろう。道端に生える雑草の合間

オリーブ少女ではなかった私――「熊本 かわりばんこ #02〔忘れがたい春と募金箱のこと〕」田尻久子

忘れがたい春と募金箱のこと  1980年代はじめ、私が中学生の頃に『オリーブ』が創刊された。若い方は知らない人もいるだろうが、私と同世代でこの雑誌のことを知らない人はあまりいない。世の中にオリーブ少女を生み出したファッション誌だ。田舎の貧乏な中学生にとってファッション誌は興味の対象ではなかったが、高校に通うようになると、同じ制服を着ているはずなのにまわりとはどこか違う雰囲気を醸し出す女の子が、身の回りでは見たことのないような雑貨や着飾った少女たちの写真が載っている『オリーブ

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――「日比谷で本を売っている。〔ビールと生きがい〕」新井見枝香

※当記事はエッセイ連載の第16回です。第1回から読む方はこちらです。  職場の仲間と、仕事終わりにクラフトビールを飲みに行こうと約束してから、数か月が経った。飲食店の時短営業が解除されないと、我々はラストオーダーに間に合わない。ぎりぎり閉店前に駆け込んだとて、アルコールの提供が終わってからでは、揚げたての唐揚げもむなしいだけである。  久しぶりに何の予定もない休日、溜まっていた洗濯物を片付け、部屋を掃除したところで、散歩に出掛けた。明るいうちに歩く地元は新鮮だ。古い蕎麦屋の

震災と帰郷 44年ぶりの街での出会い――「熊本 かわりばんこ #01〔人生の第二章が始まった〕」吉本由美

人生の第二章が始まった  いろんなところに書いてきたからそれらを読まれた方には「もうわかった、耳タコだ」とげんなりされそうだけれど、ご存じない方のほうが多いと思い自己紹介として故郷にUターンしたところから書かせていただく。  私は44年間東京に住んでいた。その長き暮らしを畳んで故郷熊本に戻ったのが10年前、62歳のときだ。長き暮らしを畳んだ理由については追々書くのでここでは端折り、とにかく10年前の3月13日、お昼過ぎ、唯一の家族であるコミケの入った猫カゴ抱え、数年前から住