日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔とんびとカラス〕 新井見枝香
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日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔とんびとカラス〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第17回です。第1回から読む方はこちらです。

 ゴールデンウィークは仕事で福井県の温泉地に滞在していた。そこかしこに広がる田んぼは、苗を植えたばかりの状態である。その辺りから愉快な蛙の鳴き声が聞こえるものの、透き通った水を覗き込んでも、姿は見えない。そうかと思えば、ぎょっとするほど近くに、白鷺が黙って佇んでいる。都内でこんなに巨大な鳥がふらふらしていたら、たちまち人だかりができるか、捕獲されるだろう。道端に生える雑草の合間では、やけに嘴の長い小鳥が跳ね、木々の近くでは、本物の鶯が鳴いている。私の実家があるのは山手線の「鶯谷駅」だが、構内に響く「ホーホケキョ」はあきらかに偽物だから、BGMのように聞き流していた。しかしここではいちいち耳を澄ませてしまう。愛用のノイズをカットするヘッドホンも出番がなかった。
 道の先に大きなショッピングモールがあるため、車の通りはあるが、人は誰も歩いていなかった。マイペースに歩いて小さなトンネルを抜けると、海岸沿いを走る「かもめ通り」に出た。名前のとおり、かもめが飛び交うのかと思えばそんなことはなく、左手の穏やかな海からは、波の音も、「ぎゃーぎゃー」という鳴き声も聞こえない。少し残念だ。
 古い街並みの中にジェラート屋を見つけ、カップに3種類詰めてもらい、店を出た。コロナ対策で、店内での飲食はできなかったのだ。よく晴れていたから海べりで食べようと、かもめ通りを渡った瞬間、ジェラートを持つ右手が軽くなる。とんびだ。私の手を傷つけることなく奪ったのは見事だが、ジェラートは思ったより重かったのだろう。カップごと海にボチャンと落としたとんびは、残念そうに頭上を旋回して、「ピーヒョロロ」と鳴いた。私が感じたのは、ジェラートを取られた怒りより、ある種の感動である。
 私は五感の中で、最も聴覚に自信があるのだが、それでも背後から飛んでくるとんびに全く気付かなかった。もちろんそういう時に「ピーヒョロロ」と鳴かないほうがいいことは、とんびもよくわかっているのであろう。彼らも必死に生きているのだ。
 都内に戻って、友人と大きな公園で散歩をした。緊急事態宣言が発令されているため、ベンチやテーブルがあるエリアは封鎖されており、広々とした芝生にはカラスの姿しかない。腰を下ろしたいなら、シートを持参するか、適当な切り株を見つけるよりほかない。公園の中央へ進むと池があって、ほとりのベンチは解放されていた。そこに座ってランチを広げている人もいたが、目の前の池は大量の藻が浮いていて、カラスだらけ。決していい眺めとは言えない。カラスは慣れた様子で入水して、ばっしゃばっしゃと羽根を激しく動かしている。気が済むと、近くの木に留まって、風と日光で羽根を乾かしていた。入浴を嫌がる飼い犬や飼い猫は少なくないが、無理に洗ってやらずとも、カラスは自ら行水するのだ。水が汚いなどと文句も言わない。夕方になると、なお一層、鳴き声が響く。お馴染みの「アーアー」だ。その広大な公園は、カラスたちの家のようだった。
 帰宅後、ふと思い出して、手元にあった新書『カラスをだます』を開く。
 著者はカラスの鳴き声研究の第一人者だ。カラス被害に対応するため、長年カラス語を研究し、鳴き声を使ってカラスを誘導しようと奮闘している。本によると、公園で聞いた「アーアー」はねぐらに帰るときの鳴き声のようだ。私もある程度は、カラス語がわかるのかもしれない。
 住宅街で「カッカッカッカッ」と強く鳴き、ゴミ袋を突いて生ゴミを道路にぶちまけるカラスは確かに迷惑だ。しかし公園で植物の種子などを食べたり、それらを木の股にせっせと貯めるカラスは、何ら人間に悪影響はなく、むしろ生態系に良い効果をもたらすだろう。人間がポイ捨てするペットボトルのほうが、公園にとってよっぽど迷惑だ。
 そりゃ干した布団に糞を落とされたら困るが、公園で布団は干さぬし、土に落ちれば肥料になる。広大な公園では、人間が餌を与えずとも食うには困らないし、あえて近付かなければ攻撃してくることもないだろう。
 本の中でも、カラスを駆除するのではなく、なるべく共存する方法を模索していた。
 あまりにも日常的に見るから忘れていたが、彼らは都心でも遭遇できる、貴重な野鳥なのだ。録音した鳴き声をオートリピートしなくたって、夕方になれば「アーアー」の大合唱が生で聞ける。なぜ私はその興味深い音に耳を傾けてこなかったのだろう。著者はカラス対策専門ベンチャーを興した人物ではあるが、だからといって決してカラスを憎んでいるわけではない。
 敵を倒すには敵を知る必要があるが、知ったら知ったで敵とは思えなくなるという、哲学的発見のある書であった。

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プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)

書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
*新井見枝香さんのTwitterはこちら
*HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEのHPはこちら

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