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編集者から、

初めまして。書籍『みやぎから、』の編集とライティングを担当しました藤本智士と申します。

健くんと神木くんに誰に会ってもらうとよいかなあという、旅のコーディネートをはじめ、今回の書籍のさまざまを担当させていただきました。刻一刻と状況が変化するコロナ禍では、取材予定が二転三転するなど、無事に出版できるだろうかと不安に思うことも多かったので、いまこうしてたくさんの方のお手元に本を届けることができて本当に嬉しく思っています。関わってくださったみなさん、そして読者のみなさん、ありがとうございます。

今回は、ここ「本がひらく」に場所をいただいたので、ふだん読者の方々にお伝えする機会の少ない、編集という仕事の中身、特に『みやぎから、』において、僕がどんな役割を担っていたのかについてお伝えします。

そもそも本書の出版は、東日本大震災から10年が経つにあたり、健くんと神木くんが、自分たちにも何かできることはないだろうか、と考えたことがきっかけでした。

ありがたくもその編集を僕に依頼してくださったのは、以前、『るろうにほん 熊本へ』という書籍を作らせていただいたことが大きかったように思います。前著は僕にとって健くんとの初めてのお仕事となりましたが、その経緯や思いについては、僕の個人noteに書いているので、よろしければそちらの記事も読んでみてください。

しかし、きっとみなさんは「編集」と言われても、それが具体的にどのような仕事なのかいまいち想像しづらいのではと思います。世の中にはたくさんの編集者がいらっしゃるので、編集に対する考え方も仕事の内容もさまざまなのですが、ここでは、あくまでも僕なりのものとして書いていきます。


編集=ディレクション?

さて、僕が編集の最も重要な仕事だと認識していることの一つに「ディレクション」というものがあります。ディレクション=采配と言うとよいでしょうか。つまり、誰に写真を撮ってもらうとよいか、誰にデザインをしてもらうとよいか、また『みやぎから、』のような書籍の場合、冒頭に書いたように、誰に取材しに行くとよいだろうかと考え、決定していく仕事であり、ある意味でこれが僕の一番大切な役割だったかもしれません。

このディレクションは、編集のスタートでありながら、ある意味でゴールを決定づけてしまうとても重要な仕事です。

ここからすでにものづくりははじまっているのだという自覚がないディレクションは、取り急ぎだからと100均で買った器で、結局日々暮らしていくのと似ています。
あの日、あの時、何気に「とりあえず100均でいいんじゃね?」と言っちゃった自分が、いまの暮らしのスケール感をすでに確定させてしまっているわけです。
だからこそ僕たちは、誰に頼むか? ということに、とても神経をとがらせます。

引用:自著『魔法をかける編集』(インプレス)

今回、僕が主に考えるべきディレクションは、書籍の装丁やレイアウトを進めてくれるデザイナー、取材に同行してベストな写真を撮影してくれるカメラマン、あとは文章に間違いがないか、誤解を生む表現がないかなどをプロの目でみてくださる校閲者などです。しかしながら、そういった制作のプロに関しては、前著『るろうにほん 熊本へ』の制作チームをベースに、すんなり決定できました。ですが、やはり難しかったのは取材先のディレクションです。


東北とのご縁

僕はそもそも関西を拠点に編集者として仕事をしていますが、その活動の多くは東北です。そのきっかけは東日本大震災でした。ときに、旅する編集者と呼ばれるほどに旅取材が多い僕は、東北各地にお世話になった方がたくさんおり、そんなみなさん一人ひとりの安否が気になったことから当時、何度も兵庫から東北まで車を走らせボランティアを続けていました。そのことを機に、それまで以上に東北へ足を運ぶようになっていったのです。

少し余談になりますが、僕はいま秋田県に毎月通っていて、そのきっかけも震災でした。

秋田県は偶然にも東日本大震災そのものによる死者が出なかったことから、当時、懸命に東北隣県の支援にまわっていました。しかし、震災の影響で来る人が減ったのは日本海側も同じです。秋田は当時、経済的に大きな打撃を受けていました。けれど、まず支援が必要なのは直接的な被害を受けた太平洋側のみなさんです。復興予算や人手が被害の甚大な太平洋側沿岸部に注がれるなか、同じく隣県支援を優先する秋田の人たちを見ていて、このままでは被害の少なかったはずの秋田が倒れてしまうのではと不安に思ったこと、また、当時そこに目を向ける編集者がいらっしゃらなかったことから、僕は太平洋側沿岸部のボランティアや取材に行く一方で反対側の秋田にも足繁あししげく通うようになったのでした。

そのことから、秋田との二拠点的な活動が増え、ともなって青森、岩手、宮城、福島、山形と、東北6県それぞれに足を運ぶ機会が一層増えた10年でした。それゆえ、東北でさまざまに活動される人たちとの出会いは数知れず、たとえ宮城県に限定したとて、取材先を決定するのは至難の業でした。


ディレクションの拠り所

そこで僕は、今一度、本書の原点に立ち返ることにしました。

今回まず大切にすべきことは、健くんと神木くん二人の思いです。震災から10年が経つこのタイミングで自分たちにできることはなんだろう。そう考えた二人の思いを僕なりに咀嚼そしゃくして出した答えは、東北のみなさんの11年目からのさらなる歩みをそっと後押しできるような一冊にするということでした。

震災から10年というのは、あくまでもタイミングの話で、そこで暮らす人たちの生活が10年という区切りをもって何か大きく変化するわけではありません。9年→10年→11年と、その変化はまるで黄昏時の空のようにゆるやかなグラデーションであることを、健くんと神木くんの二人はとてもよく理解していました。だからこそ僕は、今回二人に会ってもらう人は、過去10年の歩みを自然と感じられる人、かつ、ここから先の未来をこそ、重要視している人に決めました。

そう決めてなお、大いに悩みつつ、お一人おひとり調整をすすめていったのが、今回、本書で取材させていただいたみなさんです。

第1章 「それぞれの記憶」――せんだい3.11メモリアル交流館
第2章 「祈りを込めて」――鳴海屋紙商事株式会社/⾏⼭流⽔⼾辺⿅⼦躍
第3章 「⼟地の⼒を感じる」――すみやのくらし/化⽯発掘体験
第4章 「つくり続ける意志」――佐野美⾥/本郷だるま屋
第5章 「ミュージアムの使命」――⽯ノ森萬画館/くりでんミュージアム
第6章 「海を知る⽔産を知る」――フィッシャーマン・ジャパン/鶴⻲の湯・鶴⻲⾷堂

「みやぎから、」目次


書籍の役割

書籍は、一冊全体を通して丁寧にメッセージを伝えることができます。その構成を考えていくのも、編集者の仕事。例えば本書では、まず冒頭で「せんだい3.11メモリアル交流館」のインタビューを掲載しています。最初に、健くん神木くんや、インタビューに応えてくれたみなさんそれぞれが、震災時の記憶をシェアしてくれたことで、そのあとの章で登場されるみなさんが具体的に語らずとも、それぞれの震災体験があることを感じてもらえたのではないかと思います。

また、書籍には「今」という時代を一冊のアルバムのように記録する役割もあります。それゆえ、僕たちがいま直面しているコロナ禍の苦悩も、そのまま内包できればよいと考えました。そういう意味で、震災当時でもなお祈りを込めて開催を続けた仙台七夕が、コロナ禍で中止を余儀なくされたお話は、とても象徴的だったように思います。

また、前川國男さんという著名な建築家の仕事の美しさをあらためて多くの人に知ってもらいたいと、その代表作でもある宮城県美術館で写真を撮らせていただいたり、観光地としてだけでなく、かつて数多くの修行僧が訪れた霊場としての松島を感じてもらいたいと、雄島の岩窟がんくつの前でも撮影をさせていただいたり、グラビアページにも、さまざまな思いや意図を込めさせていただきました。


エンタメのチカラ

しかし、そんなふうに取材・撮影のディレクションを任せてもらう身として、最も嬉しい場面はやっぱりインタビューの現場にあります。近くで対話を見届けながら、いまの言葉は、健くんだからこそ、神木くんだからこそ、引き出してくれた言葉だ、と感じる瞬間ほど幸福なことはありません。取材中、何度もそういう場面に出合えたからこそ、『みやぎから、』はとても濃密なよい本になったと感じています。

本書とは少し離れるのですが、僕が編集者として、健くんや神木くんのようなエンターテインメントのプロフェッショナルな人たちのチカラを強く信じるようになったのは、2010年に、ジャニーズ事務所のみなさんと『ニッポンの嵐』という本を作らせてもらったことが大きなきっかけです。

先述のとおり、旅取材の多かった僕は、当時は特に東京のメディアから見えづらかった、日本各地で暮らす人々の熱い思いや、具体的なアクションの先進性をなんとか世の中に届けたいと思っていました。それゆえ書籍のタイトルを『ニッポンの嵐』とし、そのコンセプトワークから取材先のディレクション、原稿執筆までを任せていただいたのですが、その一冊が世の中に放たれたことで、状況は一変しました。

『ニッポンの嵐』を通して蒔かせていただいた種を、彼らは、紅白歌合戦の司会や、楽曲そのものなどで見事に花開かせてくれて、都会のほうが地方より進んでいるんだという思い込みから、地方は地方の良さがあり、都会は都会の良さがあるという当たり前の空気を醸成してくれたのです。

僕は編集者が作るのは「本」でも「雑誌」でもなく、「空気」だと思っています。当時彼らのチームとともに作り出したものは、一冊の本というよりも、地方の素晴らしさに目を向ける空気でした。『ニッポンの嵐』が世の中に出た1年後に、東日本大震災が起こったことも、結果的にその空気をより強くしたのかもしれません。

話が逸れてしまいましたが、僕はあの一冊でエンターテインメントのチカラを身をもって知り、編集者の使命の一端を教わった思いがしました。


そして『みやぎから、』

だからこそ僕は、その後、佐藤健という人物に出会い、彼が自分の使命を自覚し、「何かできることはないだろうか?」と自ら問いをぶつけ、アクションを起こしたことに心底感動しました。そして僕は彼に大いなる期待をもって、ディレクションをすすめ、まずは『るろうにほん 熊本へ』を制作しました。その際に僕はあらためて、佐藤健という人間を通して、エンターテインメントの世界のプロフェッショナルな人たちのチカラを再び強く実感しました。

さらに今回、神木隆之介というとても誠実な聞き手が加わり、完成したのが書籍『みやぎから、』です。

編集者の使命は、小さきものの声に耳を傾けることだと信じて疑わない僕は、その小さな声を、広く強く届けることができるパートナーこそが、エンターテインメントのプロフェッショナルたちだとも信じています。

僕はきっとこれからも日本の各地を回りながら、そこで暮らす人たちの描く未来に感動するのだと思います。そして、その宝石のような出会いを二人のようなプロフェッショナルとシェアすることで、新たな一冊が生まれるならば、編集者としてこれほど嬉しいことはありません。

本書を読んでくださったみなさんを通して、取材先のみなさんの思いや、健くん神木くんの思いが、世の中の空気となって伝わっていくことを切に願っています。このような長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


プロフィール
藤本智士(ふじもと・さとし)
編集者。1974年生。兵庫県在住。有限会社りす代表。雑誌『Re:S』(2006~09)『のんびり』(2012~16)WEBマガジン『なんも大学』(2016〜22)編集長。自著に『魔法をかける編集』(インプレス)『風と土の秋田』(リトルモア)、共著に『Baby Book』(イラストレーター福田利之)、『アルバムのチカラ』(写真家浅田政志)など。その他『ニッポンの嵐』『るろうにほん熊本へ』など手がけた書籍多数。

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