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連載 シン・アナキズム 第5章 グレーバー (その5)

政治思想史家・重田園江さんの好評連載「アナキスト思想家列伝」第21回!  今回は、日本でもベストセラーになった文明史本についてグレーバーらが抱いていた疑問を解説します。
※これまでの各シリーズは下記よりお読みいただけます。
 「序 私はいかにして心配するのをやめ、アナキストについて書くことにしたか」へ
 「ジェイン・ジェイコブズ編」の第1回へ
 「ヴァンダナ・シヴァ編」の第1回へ
 「ねこと森政稔」の第1回へ
 「ポランニーとグレーバー」の第1回へ
 「グレーバー」の第1回へ


考古学とのコラボレーション

 このように見てくると、文明の進歩と、小さく単純な社会から大きくて複雑な国家への発展という歴史像への疑念は、人類学における一つの伝統だといえる。あるいは文明史に対する人類学的懐疑といってもよい。こうした伝統を受け継ぐ新たな試みとして、グレーバーとウェングロウの『万物の黎明』を位置づけることができる。ここまでの記述から、この本がどんな歴史像、人類史の見方を破壊しようとしているかは、だいたい理解できたはずだ。では具体的にはどうやって、それを遂行しようとしているのだろうか。

 私が持っているアメリカ版(出版社はFSG Books)では、この本は本文と注で610ページ、全692ページと分厚く、しかも日本語訳がない。30カ国ですでに翻訳されているそうだが、翻訳大国であるはずの日本でまだなのは残念だ。まずは目次を訳してみよう。

1 さよなら人類の幼年時代
  あるいは、なぜこれが不平等の起源についての本ではないか
2 不愉快な自由
  先住民による批判と進歩という神話
3 氷河期を解凍する
  鎖の内側と外側:人間政治の変幻自在の可能性
4 自由な人々、諸文化の起源、私有財産の出現
  (必ずしもこの順序ではない)
5 何シーズンも前
  なぜカナダの採集民は奴隷を持ち、カリフォルニアの隣人たちは持たなかったのか、あるいは「生産様式」の問題
6 アドニスの園
  決して起こらなかった革命。新石器時代の人々はいかに農業を回避したか
7 自由のエコロジー
  農耕はいかにはじまったか。飛躍し、よろめき、はったりをかまして、世界に拡大していった
8 想像の都市
  ユーラシアにおける最初の都市住民-メソポタミア、インダス、ウクライナ、中国-彼らはどうやって王なしに都市を建設したか
9 丸見えの場所に隠れる
  アメリカ大陸における公営住宅と民主主義は先住民起源である
10 なぜ国家は起源を持たないか
  主権、官僚制、政治の卑しいはじまり
11 一周回って元に戻る
  先住民による批判の歴史的基盤について
12 結論
  万物の黎明

 すでに述べたとおり、グレーバーとウェングロウは、考古学と人類学の成果を、変な言い方だがシームレスに用いて、文明史的歴史において描かれてきた通説の一つ一つに反証を挙げ、批判を加えている。人類学という分野は不思議な学問で、私が学生だった1980年代には構造人類学が大流行していた。だがみんなが分からないままレヴィ-ストロースを一通り読んだ後は、「未開が現代世界から消失した」ことを理由にブームは下火になった。もちろん地道な地域誌的調査はつづけられていたのだろうが、人類学は専門分野の外に影響力を持つような学問ではなくなっていった。

 ところが、21世紀に入ると人類学は二つの方向に飛躍し再生する。一つは、社会学の方向である。人類学の調査に入ったらそこに日本の商社マンが先に来ていたなどと笑い話にされていた時期には、未開の消失は人類学のアイデンティティを失わせる大問題だった。だが、異文化や異世界は地理的な遠方にのみあるわけではない。このように見方を変えれば、異文化との接触という人類学がつねに注目してきたテーマとそれを分析する豊かな方法は、身近な社会に転用できることが分かってきた。こうして人類学は、いわゆる先進国の中にある特定の文化や民族集団を対象とする研究に目を向けはじめた。そうなると、社会学における移民研究や宗教集団研究、あるいは特定の趣味嗜好を持った集団についての研究と似たものになり、両者の境界は曖昧になりつつある。これには人類学が、フィールド調査や聞き取りの手法をしばしば用いることも幸いした。そもそも人類学は社会学と、そのはじまりから深いつながりを持っていたのだから当然のことではあるが。

 他方で、ここでグレーバーが行っているように、人類学は考古学とのコラボレーションにも活路を見出した。つまり、自分たちが従来取り上げてきた時代の前(考古学)と後(社会学)の両方を扱う学問分野との連携に乗り出したということだ。そして、科学技術の発展が人文・社会系の学問に甚大なインパクトを与えた点で、考古学ほど近年その影響を被った分野は他にあまりない。それほど、科学的な解析技術の進展は考古学の常識を変え、次々と新しい発見がもたらされているのだから、そこから得られる知見は豊かなものになっているはずだ。

ダイアモンドやハラリの人類史への疑念

 グレーバーがここに目をつけないわけがない。ということで彼は、自身の持つ豊富な人類学的経験やデータや事例に加えて、考古学者ウェングロウの知恵を借り、人類の「黎明」期とされる時代から現在までの間に、いかに多様な社会が存在したのかを探ろうとする。

 彼らの批判対象はもちろん、これまでくり返し述べてきた文明史観・進歩史観である。だがそれはとくに、こうした歴史観をざっくり援用した新ヴァージョンである、最近のベストセラー文明書に向けられている。

私たちは、過去について何か書こうとして自分の考えをまとめる際に、いつもまるでこうしたパターン〔=文化の成長と没落の背後にある何らかの法則〕が本当に存在しているかのように想定してしまう。文明とは典型的には花のように、つまり成長し、花を咲かせ、萎んでしまうか、あるいは巨大建造物のように、苦心して建てられるが、突然「崩壊する」ようなものだと考えられている[※1]。

 ここで彼らが想定しているうちの一人は、マヤ文明を例に『文明崩壊』[※2]を書いて現代文明に警鐘を鳴らした、ジャレド・ダイアモンドである。ダイアモンドはフランシス・フクヤマとともに、『万物の黎明』第一章で取り上げられている。また、グレーバーとウェングロウは農耕革命なるものを否定しており、約一万年前の農耕革命を主張するユヴァル・ノア・ハラリも批判されている[※3]。『銃・病原菌・鉄』や『サピエンス全史』など、日本でもベストセラーとなった「啓蒙文明書」が下敷きにしている歴史像への疑念と、こうした文明史がいかに世界の複雑さを封印してしまうかを、グレーバーとウェングロウは著書の冒頭で力説している[※4]。

「平等から不平等へ」という常識を覆す

 二人は、単純で小さい社会から複雑で大きい社会への進化という見方に反して、先史時代にもかなり巨大な狩猟採集民の集落が存在したことを指摘している。最近数十年の考古学の進展によって、遺跡から発掘された人間の歯を解析することで、先史時代の人々の食事がどのようなものだったか、あるいはどのくらいの距離を移動していたかなどについて、さまざまな情報が得られるという。

 彼らは氷河時代について、巨大建造物などの存在から、食料を求める以外の余裕がなかった貧しいだけの時代とはいえず、貴族制のような形態の社会も存在したと考えている。また、前農耕期の社会が、たとえ小さな共同体を単位としていたとしても、しばしば同時に、それらは大きな共同体間のネットワークの一部をなしていた。これはモースが『贈与論』で描いた共同体の複合的な組織化を思わせる指摘である。グレーバーとウェングロウは、チャタル・ヒュルク遺跡をはじめとして、現在のシリア北部からトルコ南部の「肥沃な三日月地帯」に見られる新石器時代の農業集落ネットワークの例や、ウクライナのネヴェリウカ遺跡の円形の村落の例を挙げて、中心に支配集団がいないネットワーク型の都市や村落の存在を示している[※5]。

 一方で、先史時代にも社会によっては大いなる不平等が存在したことは、墓や骨の発掘から明らかである。つまり人類史において、小さな平等社会から大きな不平等社会へと変化したとは、単純にはいえないのだ。考古学と人類学の知見を合わせると、人類社会は後代の研究者が頭で考えるように順序立てて発展してきたわけではない。さまざまなタイプの社会類型がいろんな時代、いろんな場所に順不同で現れるのである。

 そうなると逆に私たちは、大きく複雑な社会に住む以上、不平等をがまんしなければならないというわけでもないことになる。人類は、あまりにも多様な社会形態と支配と自由のあり方、権力配分のあり方、食料調達の方法、居住のあり方や季節ごとの暮らしなどを、文明史家の時代区分を無視する形で実践してきた。というかそもそも、文明史家が主に頭の中で作り出した時代区分に合わない事例が数多くあることの方が当たり前なのだ。人間社会には、そこに暮らす住民の創意工夫と想像力によって実に豊かなバリエーションが存在してきたからだ。

 グレーバーとウェングロウは、こうした過去の実例の中に未来へのヒントが隠されていると考える。というのも、私たちは現に自分たちが生きる社会をモデルとして物事を考えがちである。そのため、現状がとてもよくない社会だと思ったとしても、オルタナティヴに関してはどうしても発想に制約が出てくる。こうしてたとえばハラリのように、18世紀にルソーが『人間不平等起源論』で示した崩壊と破局への絶望的予感を反復することになる。私たちの文明は抑圧的になり、もはや手詰まりである。そしてそこから誰も逃れられないのだと(もちろんルソーはそんなこと思っていませんが)。

 しかし、このような文明史観に基づく悲劇的な結論へと急ぐ必要があるだろうか。文明化が不平等を不可避に伴い、そのプロセスを誰も止めることができないという歴史像自体、たかだかこの数百年の間のヨーロッパで、特異な地理的・歴史的な背景の下で作り出された物語にすぎないのだとしたら。

人間を神の視点から眺めるな!

 私たちが抱く歴史像は、時代が作り出したものである。そこには無数の人間が関わっている一方で、誰かが作り出したものでもある。「歴史の終わり」が流行すれば皆が似たような説を唱え、それに対する反論も数多く生まれる。文明の衝突と言われると、またしてもそれに乗っかったさまざまな持説が登場する。18世紀には、四段階での歴史の進歩という見方が、世界の他の地域に関する新しい知識をもとに提示された。そしてそれに対して、いやそれはむしろ文明による腐敗と堕落だという批判が生まれた。19世紀には、その変奏が未来のプロレタリアによる生産様式の止揚という目標と結びつけられた。1万3000年の人類史や、20万年のホモ・サピエンス史をふり返る最近の流行は、ダイアモンドやハラリが作り出したものでもあり、人々が受け入れ多くの亜流言説が流布することで広まったものでもある。

 こうした新しい人類史のなかでは、人間は「ヒトという種」として行動している。ヒトという種としての人間たちが、認知革命、農耕革命、科学革命を経て、ヒト以外のすべての種を支配し地球に君臨するようになった。だが、種としてのホモ・サピエンスの未来は暗い。AIはとんでもないことをしでかしつつあるし、地球資源の枯渇と環境破壊と食糧不足は深刻なんてもんじゃないことになっている。ではこうした問題に直面して、ヒトという種に何ができるだろうか。ハラリは瞑想を勧めてくるが、果たしてそれで大丈夫なのだろうか。

 このような歴史像には、アナキストが考えるような生活の小さな工夫を重ね、歴史と経験によって多様な社会を作り出していく人間たちは出てこない。私たちは99%だと叫んで、明確に組織も目的もなく公園を占拠する人々もいない。パリ・コミューンのバリケードのこちら側で、共同生活を通じてアナキスト的組織化を継承していった職工たちも出てこない。任期つきの職しかないのにサバティカルにアナキスト運動に関わって職を干される若い研究者もいないし、広大な土地を耕して農民たちのリアリティから離れないよう試みる年老いた政治人類学者もいない。

 ヒトとしての種しか出てこない人類史において語られた先史時代からの歴史を、別のやり方で語ってみたらどうだろう。そこに、人々の生の営みと、それぞれの集団がその場その場で編み出してきた工夫、生活の複雑かつ特徴的な編成のしかたを見出すことはできないだろうか。それを人間の脳の作りやら認知の仕組みやらに関連づけることをせず、考古学と人類学が実際に見つけてきた社会の痕跡と暮らしのあり方、当事者たちの自己理解を元に描いたらどうだろう。

 グレーバーとウェンドロウがやりたかったのはそういうことなのだろう。まるで神の視点から数万年の人類史を眺めるのではなく、自分たちもたまたまある一社会に暮らす人間として、他の社会や文化を知り、理解しようとする。これこそ、アナキスト的な視点からの人類史の書き換えというわけだ。

(次回「グレーバー」(その6)に続く)

*   *   *   *   *

[※1] どのページか分からなくなっちゃったので、読者からの発見の連絡を募集します。私も引きつづき探索します。

[※2] ジャレド・ダイアモンド、楡井浩一訳『文明崩壊――滅亡と存続の命運を分けるもの』(上)(下)草思社文庫、2012.

[※3] The Dawn of Everything, p.230. 本書でのグレーバーとウィンドロウの農耕についての見方は、スコットのものに近い。ダイアモンド、倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄――一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』(上)(下)草思社、2000. ハラリ、柴田裕之訳『サピエンス全史』(上)(下)河出書房新社、2016.

[※4] もう一人、彼らが批判している大味な文明史の書き手が、スティーヴン・ピンカーである。ピンカーには、ホッブズの自然状態論を元ネタに、人類史を暴力の観点から再構成した『暴力の人類史』(上)(下)(幾島幸子、塩原幾緒訳、青土社、2015)がある。この本では、先史時代の人類は食糧と性以外に興味を持つ余裕もない、本能に支配された生活を送っていたことが、当然の前提とされている。グレーバーとウェングロウによると、文明史の左翼版はルソー、右翼保守版はホッブズを元ネタとするようである(ハラリは前者、ピンカーは後者)。
ただし、ホッブズの自然状態論は歴史を欠いた理論上の構築物とも、ホッブズが生きた時代の宗教戦争におけるヨーロッパ人たちの醜い諍いをモデルにしているとも言われるので、文明史観の一つとすることには違和感がある。ホッブズには政治哲学に歴史的時間性を持ち込むことを拒絶する側面があるからだ。もっとも、人類の黎明期の生を惨めなものとして描こうとする際、ホッブズの自然状態の描写がヒントになることは理解できる。
また、人類史においてだんだんと暴力が減少してきたというピンカーの主張は、むしろ戦時国際法と戦争の非残虐化との関係で、18世紀に議論されていた事柄とつながっているように思われる。アダム・スミスは「法学講義」でこうした主張を行っていた(水田洋訳『法学講義』岩波文庫、2005)。
戦時国際法という考え方が国際平和を実現する際の重要性に鑑みると、スミスの主張には大きな意義がある。だが、ピンカーによる暴力がだんだん減少していっているという世界観は、いったいどういう認識から出てくるのか。最新科学の装いをまとった心理学とデータサイエンス、そしてあちこちから拾い集めた実例からなる、ヒュームの文明史の時代遅れの劣化版のように見えてしまう。たとえばソ連崩壊時に暴力がなかったという主張は、その後溜め込まれた暴力的エネルギーの爆発を考えると、あまりに楽天的に感じられる。

[※5] 前者の地図はThe Dawn of Everything, p.228, 後者の地図はp.292にある。いずれも現在紛争地域になっているのは、古くから人が住める自然条件に恵まれた土地であることと関係しているのだろうか。

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プロフィール
重田園江(おもだ・そのえ)

明治大学政治経済学部教授。1968年西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本開発銀行へ入行、退職後、東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士後期課程単位取得満期退学。2005-07年ケンブリッジ大学客員研究員。2011年、『連帯の哲学Ⅰ――フランス社会連帯主義』で第28回渋沢・クローデル賞受賞。ほかの著書に『フーコーの穴――統計学と統治の現在』(木鐸社、2003年)、『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』(勁草書房、2018)、『フーコーの風向き――近代国家の系譜学』(青土社、2020)、『真理の語り手――アーレントとウクライナ戦争』(白水社、2022年)など。

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