連載 シン・アナキズム 第5章 グレーバー (その6)
天気予報と下北沢
毎日暑い。暑さについては、お天気キャスターや気象予報士がエルニーニョやラニーニョなど、何やらかわいい名前の現象と関連づけて解説してくれている。そして、「○十年に一度の暑さ」だとか毎年のように言っていたと思ったら、とうとう今年は世界の気温が観測史上最高の7月、そして8月になったらしい。どうも毎日のお天気ニュースは、熱中症や暑さ対策のためエアコンをつけて、と言ったり、目下の気象条件から当面の暑さの原因を説明するのに専念することで、地球に人間が多すぎてエネルギー使用過多が止まらないという根本的な問題から目を逸らすのに役立ってしまっているようだ。
日本では政治的アジェンダとしての環境問題の優先度が低く、長期的に見れば最も重要な政治課題だとの理解がない。地球が暑くなってマッド・マックスみたいな世界になったら、戦争やクーデターや兵器開発競争など意味がなくなる。ほとんどの人は死んでしまうからだ。こういう世界を「ポスト・アポカリプス」という。マッド・マックスの世界では、水だって石油だってレタスだって奪い合いだ。文明の名残のドッグフードがご馳走なのだ。それにしても、地球のあちこちで人間が住める場所を物理的になくすような生活をどんどん加速させているのに、なぜこんなに危機感が薄いのだろう。
最近映画関連のトークイベントがあって、久しぶりに下北沢に行った。この前行ったのは出前館倉園と何かのイベント後にビールを飲んだ時かもしれない。下北沢はすっかり変わっていて、イベント開催書店B&Bに出る側に小田急の南西口という新しい改札ができていた。そのあたりはなかなか醜悪なことになっており、サステイナブルでヘルシーな生活を推奨する成城石井と無印良品を足しておしゃれにしたような外見の店ができていた。生き方をサステイナブルにしてくれるのかと入ってみたら、外の暑さのせいか北極のようなクーラーのかけ方だ。キラキラの照明で輝く冷蔵ショーケースがびっちり並んでおり、そこには個包装で死ぬほどプラスチック類を使った絶妙に割高な商品が並んでいる。意識高そうな店員や客にもげんなりしたのですぐ外に出た。階段を上がろうとしたら奥の隠れた場所に巨大なエアコンの室外機が並んでいるではないか。明らかのその店とパイプで繋がっているのだが、そこから出てくる熱風のレベルがすごかった。こんな見かけ倒しのサステイナブルで恥ずかしいともおかしいとも思わないんだから、日本の地球環境問題への認識はその程度なのだ。南西口側は街並みも代官山みたいになっていて、下北どこいったと全体的に萎えてしまった。
お天気キャスターが、きれいな服を着てニコニコ笑ってお天気を伝え「行ってらっしゃい」と言わずに、地球が終わりかけていることをグレタ・トゥーンベリばりの鬼気迫る表情で毎朝毎晩伝えてくれたら、世の中の意識も多少変わるだろうか。テレビの能天気なイデオロギーに染まっていないお天気キャスターがいるなら、ぜひよろしくと言いたい。
『価値論』と『負債論』は読みにくい
さて、今回はグレーバーの『価値論』と『負債論』を取り上げる。日本語訳は『負債論』が先だが、『価値論』の原著は2001年、『負債論』は2011年の出版である。この二著はグレーバーの著作の中ではかなり「理論的」というか、価値や負債の問題を原理的に考察しており、それに関連して人間社会の関係様式を三つのパターンに分類するなど、ある種の社会理論の試みとなっている。そのためか、グレーバーの著作の中でもとても長い[※1]。そして両著とも読みにくい。もちろん、他の著作と比べたときの主題の抽象度の高さが、読みにくさの原因の一つになっている。だが根本的には、グレーバー自身の思考のあり方とその提示の仕方にも原因があるのではないかとこのごろ思っている。
たしかにグレーバーという思想家は問いが明確、かつその問いは社会批判として申し分のないものばかりだ。たとえば、「なぜ借りたものを返さなければいけないのか」という『負債論』冒頭の問い。当たり前だと思われているが、よく考えるとその理由ははっきりしない。借りたものを返すべきって誰が決めたんだろう。そしてそのモラルによって、どれだけの人がひどい目に遭い、暴力を振るわれ、殺され、自分ではない存在にされ、自ら死を選ばされてきたことか。ギャンブルで重ねた借金を家族にバレずに返そうとして起こった強盗殺人が、最近もニュースになっていた。また、小島庸平『サラ金の歴史』でほのめかされる借り手の悲惨は想像するだに恐ろしい。『ナニワ金融道』や『闇金ウシジマくん』は言うまでもない。つまり「借りたものを返さなければいけない」はとんでもないモラルなのだが、このモラル自体おかしいんじゃないかと疑う人はほぼいない。ではなぜ私たちは、「借りたものは返さなくちゃいけない」と当然のように言えるのか。しかもそこで、なぜつねに借りたものの代表として金銭が想定されるのか。こういう問いを掲げるところは、グレーバーの思考が徹底して「当たり前を疑う」を身上としていることを示している。
だが、こうした問いが掲げられた『負債論』を通読してみても、なぜ借りたものを返さなければいけないのかへのはっきりした答えはない。グレーバーは同書で終始「借りたものは返さなければいけない」道徳を疑っている。だからと言って「借りたものは返さなくていい」と言っているわけではない。たしかにグレーバーは、私たちは借りたものを返す義務と規範にどっぷり浸かっているが、そうでない社会、あるいは借りたものを返すのとは異なる人間関係の紡ぎ方もある、とは言っている。だが、こういう言い方をするせいで話はどんどん具体的かつ複雑になって、最初の問いに対するストレートな答えの道筋は見えなくなる(もちろんそこがいいところですが)。
また、この問いに答えるプロセスで彼は、価値とは何か、価値と負債、経済的負債(経済的価値)と社会的負債(社会的価値)、貨幣の役割、信用貨幣と金属貨幣、奴隷制と賃労働、金銭的関係と人格的関係、非国家的貨幣と国定(公定)貨幣、コミュニズムと交換とヒエラルヒーなど、さまざまな概念を持ち出し、それらを対比しながら議論を進めていく。いずれも価値や負債に関係する重要概念だが、いろんな考察が出てきたあと、最終的に全体がどうつながるのかは見通せない。つまりグレーバーの深掘りにつき合ってうんうん唸りながら読み進めるほどに、彼が言いたいことの全体像や筋道を追うのが困難になるのだ。
というわけで、ペアにして読むべきこの二著は、いずれもなかなかに読みにくい。そのためここでは、多少突き放した読み方をしてみる。読者はこれらの本自体は自分で読めるのだから、その際に当面の道標になりそうなざっくりとした位置づけがあると便利だろう。それぞれの著書におけるグレーバーの狙いを、近代経済学、ポランニー、マルクスなどとの対比を通じて示すことで、最終的には現在のグローバル資本主義の奇妙さについて、彼がどこに注目して描いたかを明らかにしたい。
なぜ「価値」を論じるのか
まずは『価値論』から。最初に断っておくと、こちらの方が読みにくい。グレーバーの狙いとして、遠くには「等価交換」批判がある。彼は、等価交換の場として表象される市場、そして市場をモデルとして編み出される資本主義社会を相対化するために、「等価交換の場としての市場の人間関係をモデルとしない社会」を、具体例を挙げて描出していく。だがこのことを詳しく検討する前に、『価値論』のタイトルともなっている「価値」についてのグレーバーの議論を見ておく必要がある。
『価値論』の原題は「価値の人類学的理論に向けて―私たち自身の夢の贋金」である。このタイトルは若干謎だが、三つのキーワードが出てくる。価値、人類学、金である。彼は人類学的な観点から価値とは何かを再考することで、金銭と貨幣が価値の尺度となりまた最も価値ある存在となった、つまり金銭の追求が夢であり目的である社会を批判しようとしている(そのため金は贋金として表象されている)。
ではなぜ「価値」が中心論点なのか。実は価値は、人類学の歴史から見てもかなり王道のテーマなのだ。そもそも人類学の起源をたどると、ヨーロッパ人にとっての「地理上の発見」以降の旅行記に見られるような、「見知らぬ社会」への好奇心に行き着く。こうしたいわゆる未開社会における儀礼や慣習は、はじめは単なる「野蛮人」の奇行であるかのように面白おかしく取り上げられた。ところが人間の好奇心には必ず知性が伴うもので、実はこれらの社会がそれぞれに特有の社会規範やルールを持ち、未開社会が緻密なモラルを形成していることに、観察者たちは気づきはじめる。
そこで明らかになったのは、一見単純で素朴に見える社会であっても、それぞれに固有の「価値の体系」を有しており、人々は社会的価値に照らして自分たちの行為や生活を律しているということだ。たとえば現代では、広い家に住んでいることには価値がある。また、なぜかは知らないが、交配をくり返して作られた奇妙な見た目で体が弱い、鼻がつぶれた犬や耳が折れた猫を飼うことに価値がある。「いい大学」を出ていることにも価値があるし、痩せて高身長であることにも価値がある。実年齢より若く見えることにも価値がある。
ある社会において「価値がある」とされている事柄は何かを観察することで、その社会のモラルに関してかなりのことが分かる。これが人類学の基本的な着眼点である。考えてみればこれは当たり前のことで、社会学も政治学も文化理論も文学も、そしてもちろん経済学も、社会における価値の問題を扱っている。
ソシュールの言語学
では、人類学は価値の問題をどのように扱うのか。人類学の本を読んでいると、しばしば儀礼や慣習、ことばの使われ方などに関心が払われている。そして、こうした行為規範から読み取れる価値の体系を扱う方法として一世を風靡したのが「構造主義」だった。構造主義の方法を用いた人類学、つまり構造人類学といえば、レヴィ=ストロース(1908―2009、すごい長生き)がまず思い浮かぶ。この人の書いたものは日本語訳も多く、1980年代には大流行していた。私のように人類学専攻ではない学生でも、『構造人類学』(原著1958)や『野生の思考』(原著1962)などを、よく分からないままに読んでいた(レヴィ=ストロースはフロイトと並ぶ現代の「語りの名手」です)。
構造主義の説明はなかなかに難しいが、この考え方が言語学からはじまったことはたしかだ。しかも、フェルディナン・ド・ソシュール(1857―1913)というスイスの言語学者が、ほぼ一人で編み出した言語理論に基づいている。簡単に解説すると、ソシュールはことばの「意味」がどうやって決まるかを論じる。たとえば御茶ノ水の明治大学の前には「明大通り」というそのまんまの名前の通りがある。ではこの「明大通り」はどうやって明大通りだと分かるのか。ソシュールはその道に植えてある街路樹がつねに変化しており、通る車も違えば道路の形状も変わりつづけているという。それなのに明大通りが明大通りであるという「同一性」を保っており、その同一性を誰も疑問に思わないのはなぜなのか。地図に書いてあるというのは答えにならない。地図の明大通りが現実の明大通りと「同じ」であると何が保証しているのかが、再び問題になるからだ。
これとは別に、ある帽子を帽子だとなぜ分かるのかという例がある。世の中には無数の帽子があって、個別具体的な帽子は百帽百様とでもいうべきで、それぞれに異なっている。つばが前だけについているものや、アニメのアイドルの謎帽子のように頭に載っているだけで「被っている」とは言えないものもある。私たちはそれでも、形状も色もさまざまな帽子を、すべて「帽子」として認識している。なぜそんなことが可能なのか。これは「同一性」の問題だが、ソシュールはこれをすべて「隣り合う項との差異」によって説明する。帽子が帽子と認識される際、目の前にある帽子の素材や被り心地などは、帽子の同定には無関係だ。もっと言うと、帽子だけでそれを帽子と確定することはできない。
ではどうやって帽子だと分かるのか。それは、私たちの頭の中にある「意味の体系」とでも呼ぶべきものにおいて、帽子に似ているけれど帽子ではない隣り合う何かとの差異の中で、帽子という同一性が確保されるからだ。たとえば、帽子はサンバイザーと似ているがちょっと違う。髪飾りとも少し似ている。日傘とも似ているところがある。それらの隣接する存在との差異がすべて集まって、意味の場における帽子の位置を定めているのだ。
これをソシュールはかっこよく「言語の中には差異しかない」と表現した。私は何を血迷ったか大学の卒業論文のテーマをソシュールの言語学にしたので、「言語の中には差異しかない」とよくつぶやいていた。つぶやくといってもSNSもスマホもない時代、文字通りブツブツいっていたのだから、危ない人に違いない。なぜソシュールだったのか自分でも不思議だが、言語学とは何の関係もない政治学科の学生が卒論にするくらい、当時ソシュールは多分野に影響を与えていた。ラング/パロール、シニフィアン/シニフィエなどがとにかくオシャレとされ、ソシュール用語は当人が知ったら驚き呆れるような場面で妙な流行を見せていた。
ともあれ、この隣り合う存在というか、ソシュールの用語では「項」の集まりを、全体として見ると「構造」になる。ソシュールの構造言語学というのは、ことばの意味の同一性を探っていくと、いつの間にかそこには差異しかなかったというすごい話だ。彼自身はこのことに戸惑ったようである。さらにその言語理論は、言語の通時的な変化と多言語比較にフォーカスしていた当時の比較言語学のトレンドからすると、全く特異でまさに孤高の思想だった。
自分の言語理論を表現する満足な用語もなく、また構造という事柄の性質上、全部が一度に現れるのでどこから説明しはじめてもはじまりが恣意的になるという問題もあり、ソシュールは悩みに悩んで鬱っぽくなってしまった。几帳面で誠実で繊細で内気な性格だったこともあり、晩年は誰にも心を開けない状態に陥り、言語の深淵に取り憑かれたまま55歳で亡くなった。彼の天才が言語学という専門分野をはるかに超えて、新しい知の様態として知られるようになるのはかなり後のことである[※2]。
ソシュールの死後、その影響は構造言語学プラハ学派の活動につながった。さらにこの潮流は、プラハ学派の一人、ロシア出身でモスクワとプラハに学び、第二次大戦中にアメリカに亡命した言語学者ロマン・ヤコブソン(1896―1982)を通じて、人類学へと広がっていく。レヴィ=ストロースの構造人類学には、ヤコブソンからの影響を見ることができる[※3]。
構造と変化を同時に扱えるか?
レヴィ=ストロースの独創性もあり、次々と新しい業績が生まれた構造人類学は、その後大きな壁にぶつかることになる。それはソシュールの言語学自体に内包されていた問題でもあった。ソシュールは自らの言語学体系において、「共時言語学」と「通時言語学」を截然と区別した。そして、両者は決して混ぜ合わせることができないものだと何度も強調していた。というのも、共時言語学はまさに差異の体系だが、これが全体として一つの構造をなすということは、ほんの少しでも要素が入れ替わったり変化したりすると、体系全体が変わってしまうことを意味する。そのため変化や歴史に関する事柄はすべて構造の外に追い出し、通時言語学として別個に扱うべきだというのが、ソシュールの立場だった。
これは、構造主義が歴史的な変化やダイナミックな動態を、体系内部で扱うことができないという困難をもたらした。言語はたしかにある瞬間を切り取ってみれば、無数の差異からなる全体的な体系かもしれない。だがそれはつねに変化に晒されてもいる。静的な差異からなる円環的構造のイメージは、言語にはあまり似つかわしくないのだ。
ではどうやって変化を考慮に入れればいいのか。共時言語学と通時言語学は全く別のものだと言ってしまうと、言語の構造的全体性は明瞭になるが、時間を通じた変化が体系に与える影響を組み込むことができなくなる。つまり、ソシュール言語学はその静的特性のために、歴史や人間の実践を内に含んだ形では、構造を捉えることができないのだ。
人類学においては問題はより深刻である。というのも、それが共同体を扱うからだ。人間の集合体である共同社会を対象とするからには、それは仕組み(構造)と同時に変化を扱わざるをえない。レヴィ=ストロースより後の世代の人類学は、この課題に正面から取り組むようになった。グレーバーの試みもその一つとして捉えることができる。
分かりやすくなるかかえって分かりにくくなるか微妙だが、私自身のエピソードを紹介しておくことにする。実は卒業論文を書いているときに、まさにこの問題に直面してしまったからだ。言語が構造であるとして、その変化をどう捉えたらいいのか。というより、言語の変化は人間の言語的営みや言語実践とどう関係しているのか。
当時この問いに答えてくれそうに思われたのが、ソシュールと同じくらい流行していたヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論だった。ヴィトゲンシュタインは言語を、差異の体系としてではなく人々の相互行為の中での発話の連続として捉える。そこではなんらかの意味が交換されているが、意味は発話者から独立した差異の体系の中に見出されるのではない。発話者が話しかける相手とのやりとり、会話、そして相互行為の具体的な「ゲーム」のうちに見出される。有名な「石版!」のやりとりだ[※4]。
これは大変な発想の転換で、ソシュールとヴィトゲンシュタインを合わせると言語の構造と変化を同時に見通せる、新たな言語理論ができるのではないかと思った。と、思ったところで大学を卒業して銀行員になったので、この問題は放置したままになった。私が銀行で契約書を間違えまくっているころ、ソシュール研究は文献学的な批判に耐えるテキスト読解も進んで非常に精緻になっていった。そしてその分、言語哲学という分野へと専門化した。一方哲学的には、互盛央氏による到底真似できない業績も現われたので[※5]、今さら私が言うべきこともないという感じになってしまった。
(次回「グレーバー」(その7)に続く)
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※1 『価値論』は注と参考文献を除く日本語訳本文410ページ、『負債論』は589ページある。私の持っている『負債論』は、分厚すぎるのに普通の装丁のせいか、ページが一部外れてバラバラになっている。
※2 ソシュールは言語学の著書を一冊も残さなかった。そのため死後にその思想の内容を知ることは、テキストクリティークに自覚的であることを必然的に伴っていた。ソシュール研究は彼の思想をどう再現するかの苦闘とともにあるという点で、著書がきちんと残っていることが多い近代の思想家としては珍しい経緯をたどったと言える。
ちなみに思想研究をする上で、いま読んでいるテキストはどういう経緯でできたものかをいつも気にしているというのは、修行に最適だ。そのため研究者志望の人は早い時期にソシュール研究に触れるといいと思う。
現在では、ソシュールのジュネーヴ大学での講義ノート(出席学生が取ったもの)も日本語訳されている。ソシュール自身は講義の際かなり緻密な準備を怠らなかったが、不完全な内容だとして草稿を全て捨ててしまったらしい。学者や冒険家を輩出したジュネーヴの名門貴族の家柄の実直な美青年だが、中身は相当の変わり者だったと思われる。ソシュール、小松英輔他訳『一般言語学講義第一回〜第三回』エディット・パルク、2006―2009(第一回はリートランジェ、第二回がリートランジェ/パドワ、第三回がコンスタンタンによるノート)。第三回講義は東京大学出版会から別の訳も出ている。コンスタンタンは最も詳しいノートを残し、とりわけ第三回はとても充実している。
※3 ヤコブソンは1943年から1949年までコロンビア大学に在籍しており、1947年から客員教授となったカール・ポランニーと重なっている時期がある。コロンビア大学は、アメリカではじめて人類学の博士課程が置かれた大学でもある。
※4 ルードウィッヒ・ウィトゲンシュタイン、藤本隆志訳『ウィトゲンシュタイン全集8 哲学探究』大修館書店、1988.
※5 互盛央『フェルディナン・ド・ソシュール――〈言語学〉の孤独、「一般言語学」の夢』作品社、2009.
プロフィール
重田園江(おもだ・そのえ)
明治大学政治経済学部教授。1968年西宮市生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。日本開発銀行へ入行、退職後、東京大学大学院総合文化研究科相関社会科学専攻博士後期課程単位取得満期退学。2005-07年ケンブリッジ大学客員研究員。2011年、『連帯の哲学Ⅰ――フランス社会連帯主義』で第28回渋沢・クローデル賞受賞。ほかの著書に『フーコーの穴――統計学と統治の現在』(木鐸社、2003年)、『統治の抗争史――フーコー講義1978-79』(勁草書房、2018)、『フーコーの風向き――近代国家の系譜学』(青土社、2020)など。