夢が壊れても良いことはある……。「“世の中はこんなものなのか”と、なんとなくわかってしまった出来事」――お題を通して“壇蜜的こころ”を明かす「蜜月壇話」
タレント、女優、エッセイストなど多彩な活躍を続ける壇蜜さん。ふだんラジオのパーソナリティとしてリスナーからのお便りを紹介している壇蜜さんが、今度はリスナーの立場から、ふられたテーマをもとに自身の経験やいま思っていることなどを語った連載です。
*第1回からお読みになる方はこちらです。
#09
「世の中はこんなものなのか」と、なんとなくわかってしまった出来事
顔見知り程度の間柄だった同世代の女性が、「子供たちの夢を壊しちゃダメ!」と言っているのを聞いたことがある。私と違って子供好きなんだろうな、と思っていた。そんな彼女がある日、「ねぇ、サンタクロースっていつまで信じていた?」と聞いてきたのには驚いた。本当に同一人物なのか? 宇宙人に体を乗っ取られたのか? と疑ったほどだ。大人になった者同士なら、夢など壊してもいいのだろうか。「サンタクロースをいつまで信じていたか」は、すでに「サンタクロースはいない」と言っているようなものだろうに。ちなみに私は、小学校2年生のときに「猫が欲しい」と親を通してサンタクロースにお願いしたところ、当日枕元にはのらくろのぬいぐるみとカルタが置かれていた。「サンタさんに生き物はお願いできないらしいよ」と父から牽制球を事前にくらっていたので、そこまでショックはなかったが、そのときの私の「欲しいものリスト」に果たしてのらくろとカルタは入っていたっけか……と、自分でもわからなくなるほど変化球的なプレゼントに首をかしげたものだ。なんとなく「親がそれっぽいものを買ってきて置いてくれる」演出を悟った瞬間だった。小学校3~4年生になると、サンタクロースはほかのもっと経済的に切羽詰まった子供たちのところへ贈り物を届けているだろうから、たとえ存在したとしても我が家には来ないだろうと自分なりの「落としどころ」を見つけて解釈した。いるけれど来られないから、親が代打をつとめていると考える子供は意外と多いそうだ。サンタクロース問題は、世の中を夢いっぱいな視点で見られなくなる最初の通過ポイントかもしれない。
アニメの魔法少女に憧れ、変身アイテムを買ってもらっても変身はできなかったし、モーラーというオレンジ色の毛虫のような生き物も「可愛いペットに!」と宣伝されていたが、生き物ではなくワイヤーで動かすオモチャだった。生きていると勘違いしていたから、パッケージから出してもグッタリしているモーラーを見て、「死んでる!」とパニックになり、買ってくれた祖母から「これはぬいぐるみだ」と説明を受けた際に「生き物じゃないの!?」とさらにパニックになった。そして机の上に出されたまま動かないモーラーを見ながら、「そっかぁ」とため息をついたのだった。サンタクロース、魔法少女変身アイテム、モーラー。これらは私を夢見る世界から「現実」に引き戻したトリオとして今でも忘れられない。現実は甘くないとか、世の中はドライだと感じるまえに、「そういうことか、もう過度な期待はしないでおこう」的なあきらめる感情が芽生えたような気がする。伝説やオモチャは、ときとして子供に夢どころか妙な「こんなもんか」感を与える可能性もあることを己の体験から伝えたい。「人魚と間違えられた伝説の生き物」としてはじめてジュゴンを見たとき、失礼は承知で「え、人魚と?」と聞き返したくなる気持ちが生まれた者もゼロではないように。
大人になれば、さらに恋愛や仕事事情による「世の中こんなもんか」が追加される。好みの人とはなかなか付き合えない、好きになった人にはだいたい恋人か配偶者がいる、がんばっても報われない仕事がある、「自分で考えろ」と「勝手なことするな」を同一人物に言われる等々、「あー、ぜんぜん思ってたのと違うわ」と投げ出したくなるような事案ばかり体験するだろう。一生懸命真面目に正直に、ひたむきに生きていればいい、と学校で教わったが、どうもそれだけでは自分がすり減ってあきらめやすい者として世の中を生きることになりそうだと、だんだん感じるようになったものだ。「こんなもんか」を体験してやさぐれるのではなく、それをバネに「うまくかわしながら、必要とあらば時折向き合っていきましょ」と冷めた視点で物事を見ることが今の世の中、残念ながら(?)必要なのだろう。今まで経験してきた「こんなもんか」は、期待しすぎて絶望することがないようにするトレーニングにはなった。相手が偉そうでも自分が無知のフリをしていれば親切に説明してくれるし、好みの人と付き合えなければ「自分の好みにしていけばいい」と思えるようにもなった。誰かがなんとかしてくれるはずなのに、他人がダメだから自分が損をした、なんて気持ちを薄めてくれたのは、いろいろな場面で感じた「こんなもんか」だと信じている。
それにしても、期待しすぎないのって難しい。わかってもらえるんじゃないか、受け入れてくれるんじゃないか、選んでくれるんじゃないか……隙あらばそんなことを考える欲はまだ残っている。「~の広告の話があって、まだプレゼン段階だけど」と言われたら「プレゼンに残りたい、広告の仕事が欲しい! お金!」と生々しき欲望がむき出しになる。話が立ち消えたら、「選ばれなかったかぁ」と落ち込む。過度な期待をしたせいだ。やがて、「世の中こんなもん」とわりきって正気に返る。その後、プレゼンに勝ち残るためにもタレント偏差値を上げていかないとなぁ、と仕事に取り組むのだった。
プロフィール
壇蜜(だん・みつ)
1980年秋田県生まれ。和菓子工場、解剖補助などさまざまな職業を経て29歳でグラビアアイドルとしてデビュー。独特の存在感でメディアの注目を浴び、多方面で活躍。映画『甘い鞭』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。『壇蜜日記』(文藝春秋)『たべたいの』(新潮社)など著書多数。