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困難な現実は人を成長させる――「不安を味方にして生きる」清水研 #12 [悲しみという感情の役割②]

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
第1回からお読みになる方はこちらです



#12  悲しみという感情の役割②

 前回では悲しみという感情の役割について説明しましたが、悲しんでいるとき、こころには一生懸命がんばっている面もあり、多くのエネルギーを消費します。そしてエネルギーが枯渇すると、うつになることもあります。
 悲しみは燃えさかる草原の火事のようなもので、草木がすべて燃えてしまい、焼け野原になった状態がうつです。そうなると何もやる気が起きず、こころは一日中ふさぎ込み、他人からは行動も遅くなったように見えます。食欲や睡眠などにも変調が生じます。このような状態が2週間以上続くと、うつ病の診断に該当します。

 うつは長いトンネルのような非常に苦しい状況で、医療機関できちんと治療を受けるほうが回復は早まります。すぐにもとの状態に戻そうとはせず、焦らずに「自分はエネルギーが枯渇したので、しばらく休んだほうがいい。何か月かたってエネルギーが戻ってきたら、自然と動けるようになるだろう」と思って休養すると、こころは回復していきます。
 うつの状態にも「生き方を変える」役割があるという説があり、私もそう感じます。その出来事はうつになる必要があるほど、その人にとって受け入れがたいことであって、こころが焼け野原のようになるくらい、もがき苦しんだのだろうと思います。そうして、うつのトンネルを抜けると、肩の力が抜けて状況と向き合えるようになる人が多いのです。

悲しめる場を持つ

 悲しいときは、ひとりで忍び泣くよりも、誰かに気持ちを打ち明けて泣くほうがこころは楽になります。そうはいっても、相手がつらいことを自分に打ち明けて泣きだしたら、どうしていいか困ってしまう人も多いでしょう。相手をはげまし、涙を止めようとするかもしれません。
 そういうときは、とまどわなくていいのです。誰かが気持ちを話して泣きだしたら、それはあなたが信頼されていることを意味します。苦しい胸の内を打ち明けるのには勇気がいります。打ち明ける際に、「もし拒絶されたらどうしよう、相手がとまどったらどうしよう」という心配が生じます。
 「この人なら受け止めてくれるかもしれない」と思えたからこそ、あなたに話したのでしょう。話を聴いてもらって泣いているとき、その人のこころの傷は癒やしを得ているのです。

 私も以前は目の前で患者さんが泣きだすと大いにとまどい、無理に前向きなことを言ってはげまそうとしていました。振り返ると、そのときの患者さんは私がとまどっていることを察知して、十分泣けなかったのではないかと思います。
 今は患者さんが泣きだしたら、「泣くことができてよかった」と思いながら、その方の感情が収まるまで静かに待ちます。そして、気持ちが落ち着いたころに「大変だったのですね」などと声をかけます。

 誰もが人の悲しみを受け止めることができるようになったら、どれほど生きやすい世の中になるでしょう。この文章を読んでくださっているあなたも、そのような機会があればやってみてください。
 最初からうまくできなくてもいいのです。誰かが胸の内を話しだしたら、静かに耳を傾けてください。自分なりにその人の置かれている状況、気持ちを一生懸命想像して、「そんなことがあったんだ」と声をかけましょう。気のきいた言葉が見つからなかったら、「なんと言っていいかわからないけれど、私なりにあなたの気持ちを思っています」などと伝えてみてください。それだけでも救われる人がいると思います。 
 それでは相手が物足りなく感じるのではと思うかもしれませんが、無理にはげまそうとすることで相手を傷つけるおそれのほうが、うまくいく可能性を大きく上回ると思います。寄り添う気持ちを表すだけでも、こころの傷は癒やされるのです。

 幼稚園に通っていたころ、私を可愛がってくれる女性がいて、「隣のおばちゃん」と呼んでなついていました。友達とけんかしてつらくなると、おばちゃんの家に泣きながら行ったりしました。そうすると、「どうしたんだい。上がっていきなよ」と言って、冬はこたつに入れてくれて、手作りのおはぎなどを食べさせてくれました。そうすると、こころの傷も癒えて、温かい気持ちになったものです。
 深く傷つく体験をした人に、どんな言葉も届かないと思うことはしょっちゅうあります。そんなときでも、昔隣のおばちゃんが自分にしてくれたように、ささやかながらほっとできる場所を提供することはできるかもしれないと感じます。

悲しみの先に

 では、とても悲しい出来事や喪失体験が起きたあと、人はどういうステップを踏んで回復するのでしょうか。
 次の図は、心的外傷後成長という心理学の理論のなかで説明されている、人生を根底から揺るがすような出来事が起きたあとのこころの道筋を示したものです。がんなどの大きな病気もここでいう出来事に含まれます。図では病気になったときを例にして示しました。
 もちろん、全員にあてはまるものではありませんが、私がお会いする患者さんの多くは、「私が歩んできた道筋と合致する」と言います。私自身もこころの道筋を理解するうえで参考になると感じており、ご紹介したいと思います。

出典:心的外傷後成長(Posttraumatic Growth: PTG)モデル Calhoun & Tedeschi, 2000

 この図に沿って説明すると、人は誰しもふだん意識はしませんが、生きるうえでの前提となる価値観、世界観を持っています(①)。それはどんな世界観でしょうか? 平和な世の中に生まれ、病気などを経験せずに生きてきたとしたら、今日も明日も1年後も、あるいは10年後も、自分の人生が当然のように続いていくと信じている人が多いでしょう。
 そのような人にある日重い病気が見つかったり、被災したりするなど衝撃的な出来事(②)が起こると、こころに大きな変化が生じます。

 まず、それまで持っていた「当たり前のように自分の人生は続いていく」という前提が崩れ去ります。その場合、自分がなんのために生きているのかわからなくなってしまうことも一時的にあります。実際、以前登場した室田さんはそうでした。5年後の輝かしい未来があることを信じ、そこに向けてすべてを犠牲にして仕事にはげんでいましたが、病気になることでその目標が描けなくなり、絶望したのです。
 この絶望を、実存的苦痛(③)と言いますが、このときに多くの人が精神的な危機を迎えます。たとえば、がん患者さんでは約5人に1人がうつ状態になるという調査結果が多くあります。また、がん告知後1年以内の自殺率は一般人口と比べて23.9倍に高まるというデータもあります。

 このような体験をした人は、その後怒りや悲しみなどのつらい感情がめぐる時期がしばらく続きます。ここまでお伝えしたとおり、怒りや悲しみこそが現実と向き合い、こころの傷を癒やすために大切な役割を果たしています。まさにこれが喪失と向き合う(④)プロセスと言えます。
 そして、こころの傷が癒えていくと、だんだん負の感情の激しさはやわらぎます。そうするなかで、「起きてしまったことは変えられない」といった考え方が出てきます。これはこころが現状を受け止めようとしているサインです。
 すると、「残念だけどこの現実を変えられないとしたら、どう生きたらいいのか。どうしたら自分は生きる意味を見出せるのか」という問いが生まれます。これは、新たな状況に適応しようとするこころの動きの始まり(⑤)を意味します。
 この問いを自問自答し、さまざまな人々とのかかわりあいを通して気づきを得るなかで、新たな世界観(⑥)が生まれると考えられています。
新たな世界観には、生きることに対するその人の考えの深まりが表れており、心理学ではその考えを「心的外傷後成長」と呼びます。困難な現実には、人を成長させるという側面があるのです。

 ただし、これらのプロセスを体験した人が「成長したぞ!」と達成感を感じていることはまれで、あくまでも苦しみの裏返しとして心的外傷後成長を感じていることを理解しておく必要があります。
 がんになった患者さんの多くは、「病気になってよかったなんてまったく思えない。けれど、がんにならなければわからないことがあったのは確かだ」と言います。
 大変なことですが、こころは困難をこのように生き抜こうとするのです。このプロセスをたどる方々を見るにつけ、たとえ一度絶望したとしても、人はその現実と向き合う力があるのだと感じます。このようなこころのしなやかさを表す言葉として、「レジリエンス」がありますが、人のこころはばねのように、一度たわんだとしても、またもとに戻ろうとする力があると確信します。
 このように書くだけならたやすいことで、実際に自分が当事者として苛烈な体験をしたら、「あのときの自分は、厳しさもわからず書いていたな」と思うでしょう。
 それでも、もし私がつらい体験をしたら、絶望して、怒り悲しみながらも現実と向き合っていこうとするだろうと確信しています。

命をつなぐこと

 室田さんの心境は、その後どう変わったでしょうか。
 がんに罹患してから半年後、私の外来を訪れた室田さんの表情は少し穏やかでした。病気がわかって室田さんが経営する会社の行く末が危ぶまれたものの、引き継ぎの体制も整い、事業を継続できる見通しが立ったそうです。
「正直ほっとしました。自分が会社の行く末を見届けられないのは残念でしょうがないですが、仲間が私の想いを引き継ごうとがんばってくれたのがうれしかった。今までのことが無駄にならなくてすみ、ほっとしました」

 そのうえで、次のような言葉を続けられました。
「先日、花見に行ったんです。家の近くの桜並木が満開で、天気もよかったんで散歩に出かけました。雲ひとつない青空のもと、満開の花に言葉にできないほどの感動を覚えました。毎年何気なく見ていた桜だったけど、こんなに美しかったんだなって。私の人生も短かったけど、少しは自分の想いを残せたのかな」
 室田さんの目には涙があふれていました。

 私は、厳しい運命と向き合い、生きる意味を見出そうともがいた室田さんのこころの道筋に想いを馳せ、「室田さんが見られた桜は、本当に美しかったんでしょうね。私もいつか、そんな美しい桜を見てみたいです」と言いました。

 死という厳然たる事実と正面から向き合っても色あせないのは、愛情深い時間と、美しさにふれる体験ではないでしょうか。
 むしろ死と向き合うからこそ、こころは内面の豊かさに目を向け、それまで気づかなかったことを感じるようになるのです。


第11回を読む 第13回に続く

清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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