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4000人以上のがん患者と対話してきた精神科医による豊かな人生のためのヒント――「不安を味方にして生きる」清水研

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。


#01 不安の正体をさぐる

不安を将来への準備の原動力に

 この連載は、人生に不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、その人が抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えすることを目的としています。なぜ私がこのテーマで連載することを考えたのか、少しだけ説明させてください。
 私はがん患者さんとそのご家族の「こころのケア」を専門とする精神科医です。突然がん告知を受け、人生の期限を意識させられる体験は大変苦しいものだと思いますが、その喪失感と向き合いながら、自分に与えられた時間をどう生きるべきかと真剣に悩まれる方々の語りは、ひとつひとつがとても力強いものでした。
 私自身はもちろん、相談に来られた方の役に立とうと全力を尽くしてお話をうかがうわけですが、教えていただくことが山ほどありました。私が学んだことは大きく分けるとふたつあると思います。ひとつは不安や困難との向き合い方、そしてもうひとつは人生においてほんとうに大切なことは何かということ。その学びは確実に私自身の人生を変え、納得がいく毎日を生きることにつながっています。私が学んだことはきっと多くの人の役に立つはずですので、この連載を通じてお伝えしたいと思っています。

 連載の最初にお話ししたいのが、不安との向き合い方です。今取り組んでいる仕事がうまくいくのか? 今付き合っているパートナーとの将来はどうなるのか? 入学試験に合格できるのか? 老後の生活は大丈夫なのだろうか? など、人生のあらゆる場面において、未来のことを考えるときに生じてくるのが不安という感情です。不安にはやっかいな面があり、それに支配されてしまうと、せっかく自由に使える時間があっても何も手につかなくなってしまいます。一方で、不安を味方につけると、将来に備えるための準備をする原動力になります。なので、不安という感情との適切な向き合い方を知ることは、人生を豊かにしてくれると言っても過言ではありません。
 じつは私も、以前は非常に不安が強い人間でした。試験や発表など、何か重要なことがあると、その重圧を感じて、暗澹たる気持ちになっていました。大学受験を終えても、大学を卒業して社会に出ても、決して楽観的な見通しはもてず、「気を抜いたらきっと不幸になる」という根拠のない不安をもって生きてきました。その不安に駆られていろいろと努力ができたという良い部分もありますから、悪い面ばかりだったとは言えません。しかし、安らぐ時間は少なく、当時の自分は幸せだったとはとても思えません。もう少し肩の力を抜きながらやっていても問題なかったでしょうし、もっとさまざまなことを楽しめただろうとも思います。

 がんという病気は、「人生そのものを脅かす病気」と言われます。いままで大きな病気を体験したこともなく、安全な世界を生きてきた人だったとしたら、これからもこのような日々が続き、明日も明後日も1年後も10年後も、あたりまえのようにやってくると思い込んで生きている人がほとんどでしょう。しかしそういう人もある日「がん」と告げられたときに、その将来の見通しが根底から覆されてしまいます。「これから自分の人生はどうなってしまうのだろう」と途方にくれ、不安に駆られる人もいます。
 精神科医として精一杯試行錯誤をしながら患者さんの相談にのるなかで、不安という感情のさまざまな側面について、私自身がよく知るところとなりました。その結果、何が起きたかというと、以前は不安に支配されていた私自身が、不安と上手に付き合うことができるようになり、窮屈な感覚がなくなりました。そして、人生を豊かに生きることに、もっとエネルギーを注げるようになりました。今まで自分が恐れていたものは「幻」だったという感覚すらあります。
 この知識はきっとみなさんのお役に立つと思うので、これから不安の正体や向き合い方について書いていきます。

不安とは何か?

 不安という感情を体験したことがない方はいないと思いますが、この感情はどんなときに湧き起こるのか? あるいはどのような意味や役割をもっているのか? みなさんは考えたことがありますか?
 不安だけでなく、人間にはさまざまな感情が湧き起こります。心理学の中の交流分析技法に基づくと、「悲しみ」「怒り」「不安」「喜び」の4つがおもな感情で、それ以外の感情はこの4つが混ざり合って生じていると考えられています。悲しみや怒り、不安といったネガティブな感情は嫌われたり敬遠されたりする傾向もあるかもしれませんが、じつはつらい出来事があったときに、自分にとってそのことと向き合ったり、乗り越えたり、あるいはこころの中に位置づけたりするためにとても大切な役割を果たすのです。たとえば悲しみにはこころの傷をいやす力があり、受け入れがたい過去の問題に別れを告げて、これからの人生を歩もうとするために大切な役割を果たします。怒りは自分の大切な領域を守り、現在の問題を解決するための感情。喜びは「この状態がそのままでいいよ」ということを伝えてくれます。これらの感情については、また今後の連載のなかでくわしく書く予定です。
 そして不安の役割は何か? それは、こころに危険を教えてくれるアラームのような役割であり、「未来に起こる問題を回避する」ための感情なのです。不安を感じない人がどうなるかというと、向こう見ずなことをやってしまいがちで自分の身を危険にさらしてしまい、早死にしたり、経済的に破綻したりするリスクが高まるわけです。
 ただ、このように不安は大切な感情である一方で、現代人の場合はこの不安がはたらきすぎている傾向があると、私は思います。なぜかというと、人の脳の構造は、原始時代も今もほとんど変わらないと考えられています。原始時代はほんとうに毎日が危険と隣り合わせで、少しでも気を抜くと、すぐに自らが死に至るような状況があったと想像します。ある意味、不安は人類が生き残っていくために不可欠な感情だったわけです。現代の日本は、そのころと比較すれば、はるかに安全な世界です。しかし、脳は当時からアップデートされていないので、相変わらず身のまわりのいろいろなことを危険と察知して、私たちに「このままではまずいぞ!」とアラームを鳴らしつづけるわけです。もちろん状況にもよりますが、多くの場面では不安が鳴らすアラームの音量をぐっと下げたほうが、現代人にとっては生きやすいのだろうなと思うわけです。

 2023年5月8日より新型コロナウイルス感染症も感染症法上の位置づけが5類になり、コロナ禍もやっと一段落かという感覚が出てきたかと思います。しかし、つい3年前は新型コロナウイルスに関する情報も少なく、見通しも不確実ななかで、わが国全体が不安という感情に包まれているように感じました。そして、何かがあるとパニックになるような状況がありました。たとえばまったくその根拠はなかったのですが、マスクが品切れになるとともに「食料品もなくなるらしい」という根も葉もないうわさが広まり、スーパーの食品棚が空っぽになるというような出来事があったことを思い出します。まさにこれが過剰な不安、あるいは不安の暴走とも言える問題となる側面です。
 そのほか、現代人が感じる不安を数え上げたらきりがありません。2019年に金融庁の報告書が公表され、「老後の生活には2000万円が必要」という情報があふれ、多くの人が将来に不安を感じています。また、過去世界一の経済大国と言われた日本ですが、現在はそのイメージはなく、円安や物価高、人口減少などから、わが国の将来に不安をもつ人も多いでしょう。
 さらに視点を世界に移すと、地球温暖化や、ウクライナでの戦争など、私自身も背筋が凍るような状況を目にして、これが現代にも起きうることなのかという厳しい現実を思うとともに、人類の将来に大きな不安を感じます。
 さまざまな将来の懸念をあげるときりがありません。しかし、これらの不安に対して私たちがもつべきこころ構えは、いずれもいっしょなのです。①「情報を得て、今できる適切な対処をきちんとする」、そして②「それ以上の心配をしてもしょうがないので、安心して不安を手放す」。なぜ安心して手放せるのか? それは、③「私たちが恐れる出来事が起きたとしても、おそらくそのとき私たちはその現実を受け入れているだろうから」というものです。
 このことをいきなりお伝えすると、「それは机上の空論でしょう」という声が返ってきそうです。そこで、有名なニーバーの祈りという言葉をご紹介します。ここには同じことが書かれています。

ニーバーの祈り

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

神学者の故・大木英夫氏訳

 ニーバーの祈りに共鳴する人がとても多いということは、この言葉が人生の本質をつかんでいることの証左なのだろうと想像します。でも、ほんとうに、こんな冷静なこころ構えをもつことができるのでしょうか?
 もちろん、個人差はあるでしょうけれど、自分の精神科医としての経験から、今不安に支配されている方がこころを平穏にすることは可能だと思います。そのためにはどうしたらよいのか? 次回は、あるがん患者さんとのカウンセリングを実例に出しながら、くわしく書いていきます。

第2回に続く

清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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