未来のことをただ心配しても意味がない――「不安を味方にして生きる」清水研 #02[不安との向き合い方]
不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
*第1回からお読みになる方はこちらです。
#02 不安との向き合い方
自分の気持ちと向き合う
私の外来に通っておられる吉岡智子さん(仮名・52歳女性)という方がいらっしゃいます。吉岡さんは半年前に乳がんに罹患したことがわかり、左胸の全摘出手術を受けたのち、再発を予防するための化学療法を受け、やっと治療が終わったところでした。これまでの道のりは決して平坦なものではなく、がんがわかったとき、吉岡さんは大変動揺しました。胸を摘出することにも大きな葛藤があり、手術を受けることに逡巡し、当初は胸を失うくらいなら死んだほうがましだと思い詰めることもありました。そして、別の方法がないだろうかとほかの病院にも相談に行かれ、やはりがんをきちんと治す(命を救う)には胸を摘出するしかないことを理解し、なんとかこころを奮い立たせて、手術を受けることにされたのです。
また、化学療法を受けると脱毛が生じるのですが、ご自身の髪がごっそり抜け落ちていく様子を目の当たりにし、なんとも言えない恐怖感、悲しさなどを経験されたそうです。その化学療法もやっと所定の回数が終わったので、吉岡さんの気持ちは平穏な方向に向かっているだろうと想像しました。しかし、吉岡さんがその日の外来で話された内容はまったく別のものでした。
吉岡さん:大変な一連の治療が終わってホッとするかと思ったら、むしろ精神的にとても落ち着かないんです。頭が少し痛いと、脳に転移があるのではないかと心配になります。腰が少し重いと、骨に転移があるのではないかと、いつもなら気にも留めない体の些細な変化が気になってしょうがないのです。ときにどうしようもない不安感に襲われて、いてもたってもいられない気分になるのです。先生、この気持ちとどのように向き合ったらよいのでしょうか?
じつは、吉岡さんのように、治療中よりも治療が終わったあとのほうが不安になるという方はとても多いのです。治療中は身体的にはいろいろと大変ですが、がんという病気を体から取り除くという目標があり、やることもいろいろとあります。ただ、目に見えるがんを取り除いても、がん細胞が体のどこかに潜んでいる可能性は残ります。なので、治療が終わると今度は、「潜んでいたがん細胞がまた出てきたらどうしよう?」という、がんの再発に対する不安を感じながら、患者さんはすごさなければならないのです。
この時期に不安な気持ちに圧倒されている方は非常に多いのだということを吉岡さんに伝えたうえで、この気持ちはだんだん落ち着くものですという見通しをお伝えしました。また、「吉岡さんの気持ちとの向き合い方については、きちんとサポートしますから大丈夫ですよ」と言うと、少しほっとされているようでした。そして、まずどのようにしたらよいのかということを私に尋ねられましたので、次のように話をしました。
清水:吉岡さんは、ご自身のがんが一般的にはどれぐらいの再発率が予想されるのか、ご存じですか?
吉岡さん:さあ、そのことはおそらく聞かなかったと思います。もうとにかく治療を受けるために私も必死でしたから、ほかのことに目を向ける余裕はありませんでした。それに、そのことについて聞くのは怖い気もします。
清水:たしかにそうですよね。怖いですよね。ただ、不安という気持ちは情報がないほうが大きくなります。再発率について高い数字を言われると、ショックを受けるでしょうが、情報がないと、それこそ5%なのか70%なのかも見当がつかず、こころ構えが難しいのです。また、情報がないと、脳は悪い方向にその情報がない部分を埋めてしまう傾向がありますから、たとえ厳しい情報でも知っておいたほうが精神的にも良い効果があると、一般的には考えられています。精神的にパニックが生じて過呼吸になるとか、極端な精神状態でなければ、まずはご自身の病気についての情報はなるべく知っておいたほうがよいのではないでしょうか。
吉岡さん:そうなんですね。そう言われてみればたしかに、どう現状をとらえたらよいかわからず、疑心暗鬼になってしまうところがありました。わかりました、今度主治医の先生に聞いてみます。
清水:そのときに、主治医の先生にもうひとつ聞いてみていただきたいことがあります。それは再発の確率を下げるために、自分ができることが何かないか、ということです。もしあるとすれば、できる工夫はしておきたいですものね。
吉岡さん:たしかにそうですね。そうします。
正確な情報を得る
少しだけ、ここまでの吉岡さんと私のやりとりについて解説をします。まず私は、がんの再発に対する不安に支配されて苦しんでいる吉岡さんに対して、これは吉岡さんだけでなく多くの人が体験している状態で、乗り越えうるものであるという見通しを伝えて、安心してもらいました。そのうえで、不安と上手に向き合うための最初のステップである、①「情報を得て、今できる適切な対処をきちんとする」ということに導こうとしました。
原始時代に適応していた人間の脳は、脅威を感じたときに情報が少ないと、その部分を実際よりも悲観的な情報で埋める傾向があります。たとえば、暗闇を歩いていて木の陰からカサカサという音が聞こえてくると、そこに何か怖い人や動物が隠れているのではないかという想像をして不安になる人もいるでしょう。しかし、明るいときにそこを通ってみると、ただ枝と枝がこすれている音だったことに気づき、拍子抜けするかもしれません。なので、懸念していることについて情報があるのであれば、なるべく知っておくほうがよいのです。病気についての情報を聞くのは怖いかもしれませんが、知らないままにすると余計不安がつのるのです。
コロナ禍において、「正しく恐れる」という言葉がありました。これも同じ意味合いです。情報がないと、さまざまな妄想(現実的ではない考え)にとらわれてしまいます。たとえば感染に対する不安に駆られて、家からまったく出られなくなってしまう方も多くいらっしゃって、私はそのような方を診察する機会が何度もありました。不安に駆られている人に話を聞くと、町中そこかしこにコロナウイルスが潜んでいるので、怖くて歩けない、そばにいる人誰もがウイルスをもっているのではないかという考えが浮かんできて怖くてしょうがなかったとおっしゃいます。マスコミも警鐘を鳴らすような報道を日々していたことが、このような感覚に拍車をかけたのかもしれません。
しかし、その患者さんに「今日報告された感染者数(東京都12人、2020年6月9日)からすると、1日あたりに感染するのは100万人に1人ですよ。普通の人よりも気をつけているあなたが感染するリスクはそれよりもさらに低いでしょう。また、この情報から推測するに、感染力をもっている人は、報告していない人を含めても5万人に1人ぐらいではないでしょうか」と伝えると、拍子抜けして安心される方もいます。過度の不安に支配されている一部の人は、私がお伝えしたその情報も信頼できない、と思ってしまうかもしれませんが。
がん、新型コロナウイルス感染症の例をあげましたが、これらはすべての不安に共通する考え方です。不確実なことがあればあるほど人は不安になりますので、状況をきちんと認識する努力をしたほうがよいのです。全体像はおおむねこのようになっているのだな、ただこの部分は情報がないからわからないのだな、などと、不確実な部分も含めて俯瞰的に状況を認識できると、気持ちは少し落ち着きます。
ただ、現代は情報にあふれていて、どのように情報を得たらよいのかわからなかったり、誤った情報を信じてしまったりすることがある点には注意が必要です。では、どうしたらよいでしょうか。自分で一次情報(具体的なデータ:感染者数など)を読解できる力があるのがいちばんですが、そうでない場合は専門家の意見を聞くことや、信頼できる公的な機関などが発信しているわかりやすい情報にあたったりすることがセカンドベストでしょう。
できる対処を行う
全体像が見えてきたら、次に行うことは自分ができる対処をすることです。ここは不安という感情を発揮したほうが自分にとって良い方向に物事を運びうるので、不安を味方につけましょう。つまり、少し意識して不安を感じながら、物事に取り組んでもよいかもしれません。
自分ができる対処とはどのようなことか? たとえば新型コロナウイルス感染症への対策なら、手洗いをしてマスクをする、感染リスクが高い場所には近づかない、ワクチンを接種するということが自分でできることです。入学試験に合格するだろうかという不安に対しては、試験対策をして勉強をすることで、不合格になるリスクを減らすことができます。
対処を行うことで、リスクがほぼなくなるようなこともあります。たとえば宝石店が商品をごっそり盗まれたとしたら大損害になり、経営に影響があるような事態が生じるかもしれません。しかし、保険をかけておけば、経済的なリスクは回避できます。
一方で、自分が行える対処が限られていることも多くあります。たとえばがんの治療は、一般的にそのような傾向があります。今回登場した吉岡さんは、標準治療(科学的に検証を受け、数々の治療の中でもっとも効果が高いことが証明された治療法)を受けることで、がんを完全に治す確率をかなり高めました。しかし、標準治療を行った後は、自分のできることは限られています。極端な不摂生はよくないでしょうが、おおむね普段と変わらない生活を送れば治療結果に影響しないので、あとは良い結果を待つしかありません。
自分でできる行動がこれ以上ない、つまり自分の力で危険をコントロールしきれないということはつらいことです。ただ、このような状況でも、「これ以上することはない。できうることはすべてやったんだ」ということをきちんと認識しておくことが大切です。このことを確認しておかないと、「何かやり残したことがあるのではないか、まだ何かできるのではないか」と考えて、心配になってしまいます。人事を尽くして天命を待つではないですが、自分は最善の対処をしたということで、納得して次のステップである「安心して不安を手放す」という部分に入っていけるのです。ではどうしたら、安心して不安を手放せるのか? これについては次回にお伝えしたいと思います。
清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。