考えないのは逆効果――「不安を味方にして生きる」清水研 #03[解決できない心配事との向き合い方①]
不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
*第1回からお読みになる方はこちらです。
#03 解決できない心配事との向き合い方①
不安はゼロにはならない
連載第1回で、不安はこころに危険を教えてくれるアラームのような役割があり、「未来に起こる問題を回避する」ための感情であることをお話ししました。
不安を敵視する必要はなく、不安を味方につけることで、きちんとした備えにつながります。
備えとは何か、それは不安の対象となっている心配事について、きちんと情報を得て、今できる適切な対処をするということです。
ただ、適切な対処をすることで問題がおおむね解決できること(例:盗難にあったとしても損害保険をかけておけばカバーできる)がある一方で、対処できる方法が限られていて、自分ができることをしたあとは、運を天に任せて結果を待つしかないという場合もあります。
みなさんもそのような不安と向き合った体験があるのではないでしょうか。
たとえば入学試験が終わったあとの結果発表までの期間には、もうできることはありませんが、自分が試験に合格しているか不安になるでしょう。
人生後半になれば、老後に困窮せずにやっていけるかという漠然とした不安を感じる方も少なくありません。多少のたくわえがあったとしても、将来は未知数のことが多いので、不安をゼロにするのは難しいわけです。
がんという病気も同様です。現代の医学において最善であるという標準治療をきちんと受けて、見た目上はがんを取り除けたとしても、見えないほどの微小ながん細胞が体に残っている可能性があります。
多くの場合、治療が終了したあと、5年程度はがんが再発するリスクと向き合わなければなりません。
がんは再発すると難しい状況になるケースが多いので、患者さんは再発に対する不安がとても大きくなります。
再発を予防するために自分ができる手立ては限られていることが多く、とてももどかしく感じるのです。
対処のあとの不安は役に立たない
前回、対処をするために不安という感情を大いに味方につけましょうとお伝えしました。しかし、考えうる対策をすべてして、それ以上自分ができることがないとしたら、不安にとらわれていてもあまり意味がありません。
「こうなったらどうしよう」と考えても苦痛なだけで、時間が浪費されるばかりです。
ですので、それ以上自分では対処のしようがない場合の不安については、「これはもう考えてもしょうがないことだ」と手放してしまうほうがいいのです。
では、どうやったら不安を手放せるのでしょう。
できることは、ふたつあります。ひとつは、不安のもととなる心配事がなるべく頭に浮かばないようにすることです。
もうひとつは、「もし起きても、自分は向き合っていけるだろう」というイメージをもっておくことです。
まずひとつめから、前回と同様に吉岡さんという患者さんとのやりとりを例にとり、説明していきましょう。
心配事が頭に浮かばない工夫
私はがん患者さんとそのご家族の「こころのケア」を専門とする精神科医です。私の外来に通っておられる患者さんで、吉岡智子さん(仮名・52歳女性)という方がいらっしゃいます。
乳がんの手術と化学療法を終えたところで、目に見えるがんはすべて取り除くことができたのですが、今後再発しないかという強い不安に苦しんでいるという相談を受けました。
前回私は吉岡さんに対して、①どの程度再発のリスクがあると見込まれるのか、②再発を予防するために自分ができることはないか、の2点について主治医に確認するようにアドバイスしました。
情報が少ないと疑心暗鬼になるので、①を知っておくことで不安が減じるのです。
また、自分ができることはすべてやったという納得感があれば、やり残したことはないだろうかという焦りからも解放されるので、②も確認したほうがいいのです。
今回、吉岡さんは診察室に入ってくると、次のような話をされました。
吉岡さん:前回いただいたアドバイスをもとに、主治医の先生に予測される再発率を尋ねてみました。聞くのもこわかったので、とても勇気がいりました。
清水:よくがんばられましたね。で、どうでしたか?
吉岡さん:再発する確率は2割程度だろうとのことでした。もっと高い数字を言われたらどうしようと心配していたので、聞いて少し安心できました。
清水:それはよかったですね。もうひとつ、現時点で吉岡さんができる工夫は尋ねてみられましたか?
吉岡さん:はい、聞いてみました。ただ、先生は現時点ではもうほとんどないとおっしゃっていました。私の場合は再発を予防するための化学療法を終えていますし、ホルモン療法などは私のがんには効果がないので、さらに加えて行う治療はないそうです。
清水:日常生活の工夫とかはいかがでしょうか?
吉岡さん:それもほとんどありません。極端な不摂生で体重がぐっと増えたりするのはよくないそうですが、あまり神経質になりすぎず、普通の生活をしていいですよと言われました。生活の制限がないのはうれしい一方で、自分でできることがないのは残念です。
清水:でも、できることはすべてやったということが確認できたのはよかったのではないですか?
吉岡さん:たしかに、それはそうです。ただ、これから「その2割に入ってしまったらどうしよう」という不安と向き合わなければなりません。半年に1回の検査を受けるたびに、きっと不安と恐怖で胸はいっぱいになってしまうのではないかと思います。
清水:5人に4人は大丈夫ということですが、一方で、2割という数字も無視はできないですよね。その不安との向き合い方をいっしょに考えていきましょう。吉岡さんが思いつく、何かよい工夫はありますか?
考えないようにすることは逆効果
主治医の先生から再発する確率は2割程度と聞いた吉岡さんに、今度は「その2割に入ってしまったらどうしよう」という新たな不安が生まれました。
その不安と向き合うために、吉岡さんができる工夫は何かあるのでしょうか。
吉岡さんとのやりとりを続けます。
吉岡さん:工夫……何ができるんだろう。そうそう、病気のことはなるべく考えないようにしているのですが。
清水:考えないようにする、そのやり方はうまくいっていますか?
吉岡さん:あまりうまくいっていないですね。考えないようにしようとしても、不安な気持ちでいっぱいになってしまうこともあります。
清水:じつは、「考えないようにする」というやり方は役に立たないどころか、むしろ有害だということが心理学実験でも示されているのです。有名な「シロクマ実験」[※1]というものがあります。
吉岡さん:シロクマ?
清水:かわいいネーミングでしょう。この実験では、まず参加した被験者をABCの3つのグループに分けて、シロクマの1日を追った同じ映像を見てもらいます。そして、それぞれのグループに次のような教示をします。
・A シロクマのことを覚えておくようにと言う。
・B シロクマのことを考えても考えなくてもいいと言う。
・C シロクマのことは絶対に考えないようにと言う。
そして、どのグループがいちばんシロクマのことを覚えていたかを調べるのですが、結果はどうだったと思いますか?
吉岡さん:今の話の流れでいうと、Cの「絶対考えないように」という教示があったグループなのでしょうね?
清水:おっしゃるとおり、そうだったのですよ。「努力すればするほど、かえってそのことが頭から離れなくなる」という逆説的な現象が起きてしまうのです。
この実験を行ったダニエル・ウェグナーは、この結果をもとに皮肉過程理論(ironic process theory)を展開しています。
ウェグナーの理論によると、あることを「考えない」ようにという指令を脳に与えると、指令された「考えない」ようにする対象をまず同定(対象が何であるかを判定すること)しようとして脳は意識してしまう。
そして、結果的によりそのことを考えてしまうという皮肉な結果にいたってしまうのです。
今回、がんにまつわる不安を例にあげましたが、病気に限らず、自分の中に心配事があるとき、そのことを考えないようにするというのは一般的に逆効果だと考えられます。
それでは、どうしたらよいのでしょうか?
次回では、引き続き吉岡さんとの対話の続きを見ながら考えていきます。
[※1] Wegner DM, Schneider DJ, Carter SR III, White TL. Paradoxical effects of thought suppression. J Pers Soc Psychol. 1987;53:5-13
清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。