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行動を変えると不安も変わる――「不安を味方にして生きる」清水研 #04[解決できない心配事との向き合い方②]

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
*第1回からお読みになる方はこちらです。



#04 解決できない心配事との向き合い方②

行動を変えることで不安を小さくできる

 前回では、病気に限らず、自分の中の心配事について考えないようにするのは一般的に逆効果と考えられることをお伝えしました。

 では、どうすれば不安と向き合えるのでしょうか。今回も、がんの再発という不安を抱える吉岡智子さん(仮名・52歳女性)との対話を続けながら考えていきましょう。

吉岡さん:考えないようにするという方法が逆効果だとすると、ほかにどんな方法がありますか?
清水:じつは、いい方法があるんです。不安や悲しみなどの感情を直接コントロールすることは難しいのですが、「行動を変えることで、不安などの感情を変えることができる」という方法論があるのです。
吉岡さん:行動を変えると不安が変わる!?
清水:これは、認知行動療法という科学的に有効性が示されたカウンセリング法のひとつで、比較的手軽に取り組めるものです。
吉岡さん:認知行動療法。その言葉は聞いたことがありますが。
清水:たとえばこれはよく患者さんから聞くことなのですが、心配事があっても、友達と話しているときは気がまぎれて不安にならないけれど、ネットサーフィンをしてそこに自分の心配事にまつわる厳しい内容が書かれていると不安が強まるという人は多いのです。
「不安でいっぱいです」という方の相談にのる際に、よくよく話を聞いていくと、不安の程度は1日のなかでも高くなったり低くなったりしていて、その程度は行動の内容に大きく影響を受けているのです。きっと吉岡さんもそうだと思いますよ。
吉岡さん:そうでしょうか?
清水:試しに、やってみませんか? これは「週間活動記録表(不安日記)」というものです。1日の行動と、そのときの不安の程度を100点満点(もっとも強い不安→100、不安がまったくない→0)でつけてみてください。たとえば、起床が8時なら、8時のところに起床と書き込み、そのときの不安の程度を書くようにしてください。

週間活動記録表(認知行動療法研修開発センター・大野裕理事長提供)

吉岡さん:これ、1週間もやるの大変ですね。
清水:そうですね、でしたら土日だけでよいので、やってみませんか?
吉岡さん:2日間だけならなんとかできそうです。やってみます。

不安日記で見えてくること

吉岡さんの記録を一部抜粋

清水:記録をつけてみられたのですね。お疲れ様です。
吉岡さん:はい、めんどくさがり屋の私にはとりかかるのに抵抗がありましたが、やってみたら面白く、わかったことがありました。
第一に、私はネットをしていて、ほかの患者さんのブログを見ているときにはかなり不安になっていることがわかりました。ブログを書いている方の病状が思わしくなくて、そしてその後記録が途切れていたりすると、自分も厳しい状況になってしまうのではないかと想像して不安になります。また、土曜日はその後散歩に行って気分転換をしたので気持ちが切り替えられましたが、日曜日は何もしないでいたら不安な考えがその後も続いて苦しかったです。
清水:そうですよね。今までやられていたネットをやめて、何もしない時間を減らしたら、比較的穏やかな時間を過ごせそうじゃないですか。
吉岡さん:はい、そう思います。ただ、それでもふと心配になって、そのことが頭から離れなくなってしまうことは続くと思います。そんなときに何かいい方法はあるでしょうか?

マインドフルネスの重要性

 不安日記をつけた吉岡さんは、ネットで同じ病気の方の情報を見ていると不安が高まること、さらにネットを見たあとで何もしないでいると苦しくなることがわかりました。

 では、不安が高まる行動をやめても心配事が頭から離れないときはどうしたらいいのでしょうか。

清水:私はその答えはマインドフルネスという考え方にあると思います。近年、ビジネスの領域でもマインドフルネス瞑想法が注目されるようになり、疲れたときにこころを休ませる方法として多くの人が興味をもつようになりました。
マインドフルネスを簡単に説明すると、「今この瞬間において起こっていることに十分な注意を向ける」ことを指します。欧米で発展を遂げたマインドフルネスですが、その源流は東洋の瞑想にルーツがあります。
吉岡さん:マインドフルネス? 瞑想? 名前は聞いたことがありますが、それはどんなことを意味するのでしょうか?
清水:ひとつの例として、たとえば、きれいな自然の中をお父さんと小さな女の子が歩いていて、女の子の頭の中には目の前の自然の景色がそのまま浮かんでいるとします。これはまさに心が満たされた(mindful マインドフル)な状態です。
一方で、一緒に歩いているお父さんの頭の中は仕事のことでいっぱいで(mind-full マインド・フル)で、明日の会議がうまくいくかどうかが気になって、目の前の美しい景色を感じるゆとりがありません。
吉岡さん:なるほど、それでは自然の中に行ってもこころは安らぎませんね。
清水:先ほども言いましたが、マインドフルネスや瞑想とは、今目の前で起きているひとつひとつのことにありのままに目を向けていくことなんです。
人間のこころは移ろいやすく、目の前のことから簡単に離れ、未来や過去について考えがちです。未来について考えれば不安になり、過去の失敗に目を向けると気持ちが落ち込みます。
吉岡さん:目の前のことに目を向けていく――当たり前のことのように思いますが、そうではない状態も多いのですね。
清水:そうなんです。でも、心理学の研究を通して、自分が今どのようなことにとらわれているかを意識し、目の前のことに目を向ける力は、意識して取り組めば高められるとわかっているのです。
吉岡さん:そうなんですね!
清水:私もマインドフルネスに取り組んだ経験があるのですが、自分の経験からも、大切なことを学んだ実感がありました。
ごはんを食べるにしてもその味わいや舌ざわり、のど越しをしっかり味わう。自然の中に行ったら視覚だけでなく風の心地よさや大地の香りを味わう……。
不安への対処にとどまらず、人生を豊かに生きることにつながるのではないでしょうか。
吉岡さん:素晴らしいですね。具体的にはどうしたら習熟できるのでしょうか。
清水:マインドフルネス・ストレス低減法や、マインドフルネス認知療法という方法論が科学的にも検証されていますので、これらに基づいた取り組みをしているグループレッスンに参加したり、書籍や動画などをもとに自分で簡単に取り組んだりすることができます。
ただ、一部非科学的な内容を含んだ無料動画といったものがYouTubeなどで散見されるので、注意も必要です。
吉岡さん:自分でも少し調べてみます。

最悪の事態が起きてもこころは大丈夫

 ここまで、不安や心配事との距離のとり方について説明してきました。考えないようにすることは前回取り上げた「シロクマ実験」で役に立たないことが証明されています。
 そのため、行動の活性化やマインドフルネスなどの方法を対策として紹介しました。

 ただ、どれだけ距離をとっても、ふと「万一最悪の事態が起きたらどうしよう?」という不安が頭をよぎることまではなくせません。
 この不安が生じたら、不快な状況に身を置くしかないのでしょうか?

 このことについては、次のような反証ができます。
 万一最悪の事態が起きても、それが生じたとき、あなたのこころは落ち着いていますというものです。

 よく、「不安の9割は起こらない」と言われます。これは根拠となる実験があるようです。人が抱いた心配のうち、85%は起こらなかったというものです。
 そして、さらにこの実験で着眼すべき点は、心配事が実際に起こってしまった場合でも、そのうちの79%は対処できるものだったということです。
 つまり、心配事のほとんどは起きないし、たとえ生じてしまったとしても、そのときになったらなんとかなるのです[※1]。

 このデータは身のまわりの事象に照らし合わせてもあてはまるものです。
 たとえば、老後の資金のことを心配する方はたくさんいるでしょう。
 実際のところ、私は一般の方を対象に精神科クリニックで診療を行っていますが、高齢者の方の相談で、貧困というのはそれほど多くありません。

 受験のときは志望校に受かるかどうか、不安になります。志望校に不合格で、そのことを受け入れられずに何年も気持ちを引きずる人もいますが、その結果を受け入れて新たなスタートを切ろうとする人が大多数なのではないでしょうか。

最悪の事態が起きたら、こころは次の心配事を探す

 受験なんて志望校に入れなくてもやり直せる、もっと深刻な出来事はどうなんだ? という声が聞こえてきそうです。

 しかし、たとえば生命に関わりうる、がんという病気と向き合っている患者さんにもこのことはあてはまります。

 吉岡さんのように、がんの治療が終わったあとに再発の心配をする方は多くいらっしゃいます。
 そのような方々の多くは、がんになる前は「もしがんになったらどうしよう」という不安をもっていたはずです。けれど私がお会いしたとき、吉岡さんは自分ががんになったことに対して、「なってしまったものはしょうがない」と、すでに受け入れていました。

 吉岡さんのように再発の不安に支配されていた方が、実際に再発するとどうなるでしょうか?
 もちろん直後は落胆されますが、再発に対する不安でいっぱいだったときに比べて、むしろ気持ちは落ち着いたという方もいます。
 そして、再発してしばらくすると、その事実を多くの方は受け入れていきます。

 まだ続きがあります。
 そういう方々のこころは、残念ながらここで落ち着くわけではありません。
 しばらくすると、「この治療が効かなくなったらどうしよう」「死んでしまったらどうしよう」という具合に、さらに先々の心配を始められるのです。

 健康なときは「がんになったらどうしよう」という不安があり、がんになったら「再発したらどうしよう」、再発したら「死んだらどうしよう」と、つねに先々の不安に目を向けます。

 不安な気持ちは、不確実な部分を最悪の想定で埋め尽くしてしまうことがあるので、そのときの心配事はとてつもなく恐ろしいことのように思えるかもしれません。
 けれど、現実にそのことが生じた場合は、「実際はこんな感じなのか」といった具合に、意外とすんなり受け入れられるのです。

 なぜこのように過剰な不安が出現してしまうのでしょうか?
 これは、私たちの脳の性質によるものと説明できます。
 人間の脳の構造は、基本的に石器時代と変わらないと考えられています。石器時代は猛獣や毒や災害など、ほんとうに命に関わる危険と隣り合わせで、ちょっとした油断がすぐに自らの死に結びつくような状況下で、日々暮らしていたわけです。
 その時代に適応して人類が生き残るために、強い警告を発してくれる不安という感情は、不可欠だったのでしょう。

 石器時代に向き合っていた危険に比べれば、現代人が向き合う心配事は安全なものがほとんどでしょう。それでも、相変わらず脳は強い警告を発してしまいます。
 それで、以前よりも安全な時代に生きていても、人のこころは心配事を見つけて、不安に支配されてしまう傾向があるのです。

 さまざまな心配事、たとえば仕事、学業、人間関係、健康などで不安が生じる際に、「これは脳が作り出した過剰なサインだ。恐れていることが起きたとしても、そのときはなんとかなっているだろう」と、俯瞰して考えられるといいでしょう。
 今恐れていることは、現実になればそれほどこわくないのです。安心して不安、恐れを手放してください。

 不安や恐れを手放すイメージについて、私の場合は次のような感じです。
じつは私もけっこう心配性なので、いろいろな心配事がうかび、体中が緊張して、不安で何も手につかないことがときどきあります。
 しばらくその不安と向き合って少しこころが慣れてきたら、「自分のこころは不安を感じているけれど、きっとなんとかなるぞ」と自分に言い聞かせて、活動を再開します。

 では、死に対する恐怖はどうなのか? 死んでしまったら、元も子もないじゃないか? という疑問が出てくるかもしれません。
 死に対する恐怖の克服の仕方については、次回お伝えします。


[※1] Robert L. Leahy, The Worry Cure: Stop worrying and start living (English Edition), Piatkus, 2012.

第3回を読む 第5回に続く

清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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