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「生きること」だけはあきらめないで、いっしょに生きてほしい。「それだけは」――《こどく、と、生きる》統合失調症VTuber もりのこどく

「同じ病で苦しむ仲間とつながりたい、救いたい、当事者以外の人たちにも病気のことを知ってほしい」という思いでVTuberになり、配信を通してメッセージを伝え続けるもりのこどくさん。高校生で統合失調症になった彼女がいかにしてVTuberになったのか、その足跡を綴ったエッセイ連載です。
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#22 それだけは

 おふろに入りたくない、という心情を、理解してもらえるだろうか。
 こどくはもともと、おふろがすきで、何時間も入浴することもしょっちゅうだった。しかし、統合失調症になる直前から、おふろに入ることをとても億劫に感じるようになった。かぞくが、こどくの体調不良、つまり統合失調症は、そこからはじまったのではないか、と考察をしたほどだ。
 なぜ、おふろに入りたくないのだろう。考えてみると、そこには複数の要因が絡まっている気がする。
 まず、服を脱いだり着たり、からだを洗ったり、おふろ自体を洗ったり、肉体的に疲労することが理由に挙げられるだろう。そして、夏場は特にそうだが、暑いのにわざわざおふろに入りたくない、という感情。
 しかし、いちばんおおきな理由は、外的要因ではない気がする。むしろ、精神的なものだ。
 こどくは統合失調症が重かったとき、おふろにどうしても入れなかった。かぞくの介護のうえで、一週間にいちど入れればよいほうだった。
 あのころ、こどくの目の前に立ちふさがっていたのは、「絶望感」だ。
 今日も生きてしまった。おふろに入らなければならない。そして、あしたも、あさっても、こどくはおふろに入らなければならない。おふろに入ることは、「生きる」うえでの義務であり、まいにち達成しなければならないことだと思っていたのだ。
 そういう「生きた証」を残していくことが、こどくにとってはどうしてもつらかった。
 だから、おふろだけではなく、はみがきも、顔を洗うことさえもできない日々が続いた。もちろんそのあいだ外出はできず、ベッドに横たわって、動けずに過ごしていた。
 いまは、病状がよくなってきているのもあり、なんとかいちにち一回は入れている。
 あのつらかった日々、こどくは自分が「生きている」ことを、否定したかった。それは、幻覚や妄想に悩まされていた、ということもあるが、ただただ、生きることを「面倒くさい」と感じていた。いま思えば、あれはサインだったのだ。長く続く、体調不良のサイン。
 おふろに入れなかったころと打って変わって、こどくはいま「生きた証」を残そうと必死だ。こどくはここで生きている。このエッセイは、その声明でもある。
 もし、このエッセイの読者に、自分もおふろに入れなくてつらい、そのきもちが痛いほどわかる、というひとがいたら、こう声をかけてあげたい。
 まいにちしなければならないことを、億劫に思う日もあるだろう。それでも、「生きること」だけはあきらめないで、いっしょに生きてほしい。面倒くさくても、それだけは。

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※本連載は毎週月曜日に更新予定です。

プロフィール

もりのこどく
VTuber。「同じ病で苦しむ仲間とつながりたい、救いたい、当事者以外の人たちにも病気のことを知ってほしい」。そんな思いで19歳で配信を始めた。バーチャルの強みを生かして、当事者たちの居場所をクラウドファンディングでメタバース上に創るなど幅広く活動。2023年、SDGsスカラシップ岩佐賞を受賞。

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