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「与えられた課題」ではなく「自分ごと」として―― 「マイナーノートで」♯12〔自分で問いを立てる~高校生との対話〕上野千鶴子

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各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。

自分で問いを立てる ~高校生との対話

 2019年4月、東京大学入学式で来賓祝辞をスピーチしてから、十代の若者たちのあいだで、一挙に知名度があがった。
 わたしが理事長を務めているWebサイト、ウィメンズアクションネットワーク(WAN)では「ジュニアプロジェクト」と名付けて、十代の女子や男子とわたしがオンラインでトークする企画を実施している。学校主催の講演会の依頼もある。人数は20名程度から数百人まで。オンラインで自分の部屋から参加する子どもたちもいるし、クラスルームごとに大画面で参加する子たちもいる。プロジェクターの画面に実物より大きな自分の顔がぬっと見えるのはあまりうれしくないが、画面に出てくる子どもたちとは1対1のやりとりができて、かえって親密なトークができるような気がする。高校の講演会といえば、体育館の床に1000人くらいの生徒を座らせて、壇の上の豆粒みたいな大きさの講師の顔を見せるのにくらべれば、ずっとましだ。それに質問がありますか、と訊かれて、1000人の生徒たちのなかで手を挙げるのは勇気がいるが、オンラインだとずっと話しやすい。

 高校にはいま、総合学習だの探究科だのといった新しい試みが次々に入ってきている。大学に行ってから、ゼミで研究主題を選び、報告をするという課題をとつぜん与えられて呆然とするよりは、中等教育の課程からこんな取り組みをするのは、やらないよりはずっといい。新入生のなかには、パワポのプレゼンを華麗にやってのける学生もいる。リモート授業が増え、ICTスキルは必須だ。

 だが探究学習の名で行われているのは、まま、「地球環境危機」などというお題を与えられて、ネットでありものの知識を器用にまとめて、パワポに組み込む、というもの。とくに「優秀な」と言われる進学校ほど、この傾向が強いような気がする。これじゃまるで、どこかのコンサル企業の新入社員の、出来の悪いプレゼンを聞いているみたいだ、と索漠とする。研究のなかでは「問いを立てる」という最初の一歩が決定的に重要だ。よく立てられた問いは、研究の成功を(半ばまで)約束する、と言ってよいくらいである。なのに、先生から降ってくるありもののお題では、自分ごとにならないのも当然だろう。

 最近の高校で大ブームなのはSDGs。17項目のどれも問答無用の正義ばかりなので、反対しようがない。これだって生徒が選んだわけじゃなくて、先生が与えてここから課題を選びなさい、と来る。

 ある高校生とのやりとりのなかで「なぜSDGsを選んだの?」と訊いたら、「全世界が一致して取り組む必要のある課題だからです」という優等生の回答が返ってきた。
「ふーん、それができたのは、このなかから全世界が一致できない課題をはずしたからじゃないんだろうか?」
 たとえば、とふってみた。
「核兵器禁止って大事だよね」
「はい」
「入ってないよね」
「はい」
「もしこれを入れたら全世界は一致できただろうか?」
 アメリカは賛成しないよね、日本だってアメリカの顔色を見て、賛成しないよね、ロシアも中国も……つまりとっても大事なのに全世界が一致しない課題は巧妙にはずしてあるんじゃないだろうか、と言ったら、正義感で頰を赤くして発言していた生徒が、じっと黙り込んだ。「SDGsの正義」のたががはずれた瞬間だった。

 SDGsのなかでもLGBTQのテーマはとりわけ流行り物である。LGBTQは潜在的には人口の10%ぐらいいると言われている。あなたの隣にもいるかもしれない。一度も会ったことがない、というひとは、あなたが気づかないか、相手があなたには伝えないだけだろう。

 ある女子生徒がこんな質問をしてきた。
「友だちがカミングアウトをしてきたのだけれど、どうしていいかわからない」って。
「そのお友だちはね、誰にでも言ってるわけじゃないでしょ、あなただから言ったんだよね。それはあなたがその人から信頼されている証だよね。よかったね」
 と言ったら、感極まって泣きだした。

 高校の多くは男子・女子の制服がズボンとスカートと決まっている。スカートは屈強の女装だ。トランスジェンダーの女の子には、スカートをはくのが苦痛でしかたないという子たちがいる。小学生のときは自由にパンツスタイルで過ごしていたのに、中学高校へ進学するとスカート着用を強制される。最近高校では、女子生徒のズボン着用を認めるところが増えた。

 北関東のある公立共学校では、校長先生が替わったとたん、制服の規定を変えて、女子もズボン着用を、男子もスカート着用を認めるようにした。後者を選択する生徒はいないが、前者の場合も、セクマイ(セクシャルマイノリティ)であることをカミングアウトしてしまう結果になることを懸念して、生徒会のリーダーが率先してズボンを穿くとか、冬になると寒いからズボン着用の方が合理的だとか、いろんな理由をつけてズボン着用にスティグマをなくすようにした。事実、からっ風が吹くその地方では、足もとがすかすかするスカートだと、冬は寒い。

 生徒とのやりとりでこんなことがあった。
「制服を選べるようにしたんだね。よかったね。それじゃ、いっそのこと、制服なくしちゃったらどうだろう?」
「反対です」
と彼女はきっぱり言った。
「どうして?」
「制服は伝統だし、秩序があって美しいからです」
 へええ、と一拍置いてから、ゆっくり言った。
「今のあなたの発言は、上から目線の先生の言い分と同じだね」

 そろったユニフォームを見れば統制がとれていて美しいと感じるのは、壇の上からマスゲームを見る統治者の視線。子どもたちはこうやって管理者や支配者の視線を内面化する。制服の「伝統」だって歴史の浅いもの。そもそも新制高校は戦後生まれだし、かつての男子の詰め襟と女子のセーラー服というあの奇妙なファッションはいつ定着したんだろうか。詰め襟金ボタンは、もともと軍人の制服だし、セーラー服ときたら文字通りセーラー(水兵)さんの服装だ。いまどきあんなセーラーカラー(襟)のファッションは絶滅している。あまりに特殊な記号だから、オジサンたちがむらむら「萌える」んだろう。育ちざかりの子どもたちは着ているものを汚すし、汗もかく。若い男子の首回りはすぐに汚れるから、あの詰め襟にプラスチックの替え襟なんてごわごわ不快なものをつけてヨゴレを防止している。男の子たちはキモチ悪くないんだろうか。最近では男女ともにブレザースタイルが増えたが、男の子は決まってネクタイ。社畜になる前から首元を締め上げられている。ネクタイをゆるめて首元を解放したいと思わないんだろうか。十代の子たちは、Tシャツにジーンズで跳ね回り、じゃぶじゃぶ洗濯したらいい。制服のない高校もあるんだし、だからといって何の問題もない。
「……って、制服是か非か、みんなで議論したらいいんじゃない?」
「はい」
 とその素直すぎる女子生徒から答えが返ってきた。
 なんだか、高校に地雷を置いてきたテロリストのような気分になった。

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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