ひとりでいることが推奨される時代――「マイナーノートで #01〔不要不急〕」上野千鶴子
各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
不要不急
コロナ禍の1年が過ぎた。春夏秋冬4つの季節を経て、また春になった。
この1年が長かったのか、短かったのか……。「あっというまに過ぎた」というひともいる。だが、わたしにとっては、短かったとは思えない。コロナ禍直前の昨年1月にすべりこみセーフで実現した300人規模の大集会、全国一斉休校要請の直前にでかけた泊まりがけの温泉旅行、緊急事態宣言の前に女子会でつついた鴨鍋料理……思い返せばどれも10年も前のことのように思える。そんなことができた時代もあったのか、と。
リモートワークで移動の必要がなくなったので、都内を離れて八ヶ岳南麓の山の家にコロナ疎開した。「コロナ戦争」だの、「疎開」だの、「自粛警察」だの、戦時下を思わせる物騒なコトバが流通する。地方ではコロナ感染者のプライベートな人間関係の連鎖が暴かれる。自殺者も出たと聞いた。
コロナ疎開は「自主隔離」のためだった。「3密」を避ければ、互いに距離を置き合うしかない。こんな日を予期したわけではないけれど、山の家を建てておいてほんとうによかった。
周囲を森に囲まれた山の家では、季節の移り変わりが体感できる。日の昇り方や翳り方、日射しの傾き、日脚の長さ……にからだがなじむ。そしてふと足早に目的地へ移動していた時には、そんなことを感じる余裕がなかったと思い起こす。
考えてみたら、どのくらいの時間を移動に使っていたことだろう。移動は空白の時間、アタマをリセットするのによい、などと言うひともいるが、それ以上に、必要のないムダな時間だった。
山の家は書庫を兼ねた仕事場。片流れの天井の高いワンルームの壁一面を書棚が覆う。家を建てる前から60平米ワンルームが希望だった。北欧の高齢者住宅を訪ねた時、高齢者ひとりあたりの標準の広さが60平米であることを知った。その時から、自分自身のために60平米の空間を確保したいと思ってきた。地価の安い土地なら、そのくらいの贅沢は許される、と。それに勤め先の大学を退職するとき、研究室の蔵書をすべて引き揚げる必要に迫られた。坪単価何百万もする都内の住まいには置く場所もない。すべてを山の書庫に移動した。
その図書館みたいな空間に、ひとりでしーんといる。音楽を流すのも好きではない。本に囲まれて、誰からも邪魔されずにひとりで過ごすこの空間の静謐がほんとうに好きだ。ひとりでいることが苦にならないし、ひとに会いたいとも思わない。
メディアではいろんなひとがインタビューに答えて、「コロナ隔離の暮らしのなかで、リアルにひとと触れあうことの大切さを改めて認識しました」と口にする。ふっとそうだろうか、と思ってしまう自分がいる。
生活は簡素になった。メイクもしないし、着るものにも頓着しなくなった。ためこんだ色とりどりのアクセサリーは出番がない。すっぴん、ノーブラ、ユニクロの3点セットが定番。通販のカタログ雑誌は届くが、物欲も減った。暮らしていくのに、なんてわずかなものしか要らないのだろう、と痛感する。しごとはキャンセルつづきで収入は激減したが、代わりに支出も激減した。おカネが財布から出て行かない。使うところがないからだ。これでは消費が落ち込むのも、むりはない。
手許にデパートの商品券がある。ただの紙だ。じっと見るが、使い道がない。デパートに長い間足を運んでいない。出かける気もしない。そもそも都会に出かけなければ、田舎にはデパートそのものがない。出かけなければ使えない点では、商品券も紙幣も同じ、ただの紙。この紙を使うことがあるのだろうか、とふと思う。戦時中の軍票が敗戦後にただの紙になったように、商品券も、日本銀行の紙幣も、ただの紙くずになる日が来るかもしれない。不穏な空想なのに、根拠もなく、そうなっても平気な気分になる。
英語の表現に「なしですませる do without ~」というものがある。ときどき人生の棚卸しにこの表現を使ってみる。「あれもなしですませる」「これもなしですませる」……空欄に次々とさまざまなものやことを放り込んでいくと、たいがいのものが入ってしまう。あれがなくっちゃ、というこだわりのグッズや、執着の対象もあまりない。その空欄に人間関係を放り込んでいく。あのひとも、このひとも……と続けるうちに、大切だと思っていたあのひとも入ってしまいかねないので、どきりとして途中でやめる。何より、自分自身をその空欄に放り込みそうになる。自分の人生を「不要不急」だと観念する。
仕事のスケジュールで時間を埋めてきた。せわしなく移動し、忙しく立ち働き、他人からは「お忙しいところ、もうしわけありませんが……」と枕詞つきで連絡が来た。こなさなければならない仕事の山がいくつも待ち受け、それを波乗りのようにひとつひとつ越えてきた。そのたびにぎりぎりに追いつめられ、切羽詰まり、テンションが上がった。そしてその状態を快だと感じてきた。
……そうでもしなければ、退屈が、喉元までせりあがる。それにフタをしてきたのだと思った。
「あなたにしごとのない人生なんて考えられない。耐えられないでしょう」と言われた。
だがコロナ隔離の暮らしが教えるのは、ぞんがい平気、な気分である。
そしてそれを口にしてはいけない気分にもなる。
子どもの頃……他人の役に立たない人生を送りたい、と思っていた。世の中の片隅でひっそり暮らすから、あなたの人生の邪魔をしない代わり、わたしの人生の邪魔もしないで、と思った。ひとりで放っておいてほしい、と思った。
そうしたら、ほんとうにひとりでいることが推奨される時代が来るとは。
わたしがいてもいなくても、世界は変わらないだろう。何千万かの人間が亡くなっても地球は痛くも痒くもないだろう。それは絶望なのか、希望なのか。
わたしの前に自然があり、わたしの後にも自然があり、わたしの存在も不在も、自然に影響しないことは、希望に思える。だが「人新世(ひとしんせい)」と呼ばれる時代には、人間の存在が自然を変えてしまうのだという。人間は神をも怖れぬ不遜な存在になってしまった。
コロナ禍は永遠に続かない、と口にする。言ってみて、それに根拠がないことに気がつく。そしてもしこのままこの状態が続いてもかまわないと、心のどこかで思っているかもしれない自分に驚く。
コロナ禍を生き延びてリアルでお会いしましょうね、とメッセージに書く。ほんとにそんな時が来るのだろうか、と自分で自分につっこみを入れる。二度とそんな機会が来なくても、それはそれでいいような気もする。
わたしが「老後」という人生の撤退戦に入ったからだろうか……。だがこの老成の気分は、若い時から親しいと感じる。「老成」というが、「成熟」したわけではない。年齢と成熟になんの関係もないことは、いやというほど味わった。だが盛りを過ぎたもの、衰えていくもの、滅びていくものが好きだ。頽落(たいらく)はその実、すこしもうつくしくない。それがなんだというのだ。ひともモノも、クニもマチも、生まれて栄えて滅びて、朽ちる。それでいいではないか、とどこかから声がする。
コロナ禍が過ぎ去った後。ひとびとは再び浮き立って、美食の巷に走り、衒示(げんじ)的消費をし、虚飾と悦楽を求めるのだろうか。コロナ禍のもとで、こんなに少ないモノで足りたことを、忘れないようにしよう。
了
(タイトルビジュアル撮影・筆者)
プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)
1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。