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NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で仏教美術考証を務める塩澤寛樹さんの連載『運慶の風景』! 第3回は「仏像にとっての写実とは何か」を考えます。

本がひらく

 運慶うんけい仏に代表される鎌倉彫刻は、明治以来、その表現上の特徴として「写実性」が謳われてきているのですが、そもそも「写実」とはどのようなことを指しているのでしょうか。また鎌倉彫刻がこの言葉で表されるのは果たしてふさわしいのでしょうか。今回はこれらについて掘り下げてみたいと思います。そのために、まずがんじょう就院じゅいんの運慶仏の特徴を仔細に点検していきます。そして研究史における「写実」の語のあり方を遡りながら、この言葉の諸相を探っていきたいと思います。
*第1回から読む方はこちらです。


第3回 鎌倉彫刻は「写実」なのか

願成就院の運慶仏の特徴

 「写実」の語はどんな場合に使われてきたのでしょうか。長らく鎌倉彫刻の典型とされ、「写実」と評されてきた運慶仏の表現の特色について、第1回から取り上げてきた願成就院の諸像を例に見ていきましょう。
 阿弥陀あみだ如来にょらいぞうで、まず目に入るのは太い肉体のもつ圧倒的なボリュームです。顔、体、腕、脚部など、あらゆる部分がはち切れそうな肉付きで、その厚みのある表現は手の甲や指にまで及んでいます。ただし、注目すべきは単に厚く太いだけではなく、肉体が筋肉質に強く引き締まっており、太造りでありながらも鈍重さ、緩みといったものは微塵も感じられないことです。それゆえに、この像はたくましさ、力強さを強く感じさせます。こうした肉付きのよい体軀は程度に多少の差はあっても、運慶の仏像に共通する特徴といえます。深く刻まれた着衣のしわもん)は単調にならず、適度に乱れた様子があらわされています。目のまわりの補修で当初の表情がうかがえないのは非常に惜しまれますが、それでも圧倒的な存在感、実在感を放っています。
 不動明王立像や沙門天しゃもんてん立像においても、体軀の特徴は同じです。特に、不動明王立像は上半身が裸体であるだけに、厚く引き締まった筋肉の様子がよく見て取れます。この2体は動き(動勢、ムーヴマン)があらわされているとよく評されます。立像である両像は、直立ではなく腰をひねって立ち、片足に重心を置き、逆の足を遊ばせています。決して大きな動きでも、派手なポーズでもありませんが、片足に重心をかけた姿があまりに的確に、安定した様子で表現されているため、少ない動きでも動勢を感じさせるのでしょう。この重心の表現の見事さは運慶の他の像にも共通しており、運慶が動勢を表現する際のツボをよく心得ていたことをうかがわせます。動勢表現の巧みさやバランスのよさは、毘沙門天立像の右手にも示されています。この像では、戟を持つ位置を敢えて肩の高さにして、脇を大きく空けています。実際に試してみればすぐわかることですが、この持ち方は脇をしめて持つよりも力が必要ですし、必ずしも対応力に優れた持ち方とはいえませんので合理的ではないのですが、力が要るだけにポーズには力感が生まれます。また、左方へ引いた腰と脇、そして宝塔を持って肩の高さまで掲げた左手との間には大きな空間が生まれ、像をより大きく見せる効果があろうかと思います。さらに、目をぎょくがん(目の部分に穴を開け、り抜いた内側から水晶をめる技法)にした面部には、活気ある表情が、まさしく生きているかのようにあらわされています。こうした、肉体、重心とポーズ、表情などの特徴は、強い実在感と存在感を放ち、運慶の真骨頂ともいえると思います。

国宝 不動明王立像(運慶作、願成就院蔵)[画像提供:願成就院]
国宝 毘沙門天立像像(運慶作、願成就院蔵)[画像提供:願成就院]

 存在感を放つ一方で、阿弥陀如来坐像ほどの肉体は現実世界にはほとんど存在しないでしょうし、着衣の表現も実際にはこのような形にはならないだろうと思われます。また、不動明王立像は左手の肘から先をかなり外へ開いていますが、この開く角度は実際には少し余計な力を要します(そう思わせないところが運慶の技量ですが)。そして、正面の着衣は両足の間に吸い込まれていくような衣文になっていますが、これも実際にはあまりないことです。また、毘沙門天立像を背面から見れば、腰の捻りは想像以上に大きく、人間では難しそうですし、よく見れば左右で足の長さも違うようです。
 総じて、運慶の仏像は決して現実世界の人体や着衣を忠実に写し取った表現ではなく、それらはしばしば巧みにデフォルメされています。しかし、そこには何ら不自然さはなく、いかにも逞しい阿弥陀如来や、不動明王や、毘沙門天が確かに生命を持って存在している。ここに運慶の本領、技量の高さがあるといえます。そして、こうした表現が「写実」と呼ばれてきたのです。
 他にも、奈良時代の作ですが、常に写実と語られてきたとうしょうだい鑑真がんじんじょう坐像は、顔の表情や細やかな肉付けは確かに人間観察をよく反映していますが、脚部の巾は人間のそれよりもかなり大きくて人体としてはありえませんし、厚みのある胸などはまるで格闘家のようです。高齢な僧の肉体とは思えません。このように頻繁に「写実的」とされてきた像においても、冷静に見れば現実の人間や着衣をそのまま写したのではなく、“現実のように見える”という状態であることが理解できます。

「写実」とは何か

 それでは、「写実」とはどのような考え方として定義されてきたのでしょうか。これについて改めてひもといてみます。造形表現において、西欧流の写実という方法がわが国で意図的に試されたのは江戸時代中期、平賀源内が洋風画を描くようになってからということになるでしょうが、より本格的には明治期以降です。では、本家というべき西欧での「写実主義」とは何か。美術史学者の高階たかしなしゅう氏の言葉を借りれば、それは「奥行きのある空間や、そのなかに存在する事物の丸みや厚みや質感などを、いかにもそれらしく再現する技術と解釈するとすれば、それは、かつて一時西欧の古代において登場し、中世のあいだしばらく忘れ去られていて、ルネッサンス期以降、ふたたびいっそう完成されたかたちで登場して来る表現上のテクニック」で、「具体的に言えば、それは、空間の奥行を設定する遠近法と、その空間のなかの事物の、相互の位置関係を規定する明暗法と、ひとつひとつの事物の立体性を再現する肉付法にくづけほうとに分けることができるが、いずれもほぼ、十五世紀のイタリアおよびフランドル絵画において完成された」ということになります(「日本近代洋画の問題点」/『原色日本の美術31 近代の洋画』小学館、1971年)。このように、写実主義は西欧絵画の中で脈々と受け継がれてきたものと理解することができます。
 加えて、写実主義はより限定された運動を指す言葉として用いられることもあります。それは、19世紀半ばのヨーロッパにおいて、フランスを中心に展開した美術の運動で、具体的には1850年代にフランスのギュスターヴ・クールベ(1819-77)から始まり、対象や見たものをありのままに写そうとしたこの運動は、フランス語で「レアリスム」(Réaisme)と呼ばれました。美術史家の渕明ぶちあき氏はこの大文字で始まるレアリスム(以後、レアリスムとする)に対して、上記の古くからの伝統的技法を小文字のレアリスム(以後、古典的レアリスムとする)と呼んでいます(「19世紀とレアリスム」/『世界美術大全集21 レアリスム』小学館、1993年)。西洋美術史においては、いわば広義のレアリスムと狭義のレアリスムがあるわけですが、これらの二つのレアリスムは、近代以降の日本では特に区別されることなく、いずれも訳語の「写実」の言葉で語られてきました。
 後述のように、現在の日本では「写実」という言葉は、正確な定義ができないほどに実にさまざまな意味として用いられ、内容を厳密には理解しがたい言葉になっていますが、その要因の一端には二つのレアリスムの区別がなされなかったことにもあるように思います。

訳語の「写実」の成り立ちと意味

 とう道信どうしん氏は、日本で写実という言葉が使われ始めるのは明治20年代中頃であると述べています(『明治国家と近代美術―美の政治学』吉川弘文館、1999年)。折しも、日本美術史が形成され始めた頃でした。
 佐藤氏はこの言葉の成り立ちについても考察しています。真実を写すという意味で江戸時代から使われた「写真」「写生」「写実」のうち、中国の老荘思想などを背景に精神的内面までをも含めた「真」を写すという意味であった「写真」は、明治期になると、photographの訳語に変わり、「写生」はスケッチの意味に収束していき、「写実」が現在につながる意味として落ち着いたといいます。ただし、こうした経緯もあって、「写実」にはかつての「写真」の意味も残されているように考えられます。つまり、後ほど改めて触れますが、外見だけでなく、内面や精神性も含めて写すことが写実であるという理解です。
 さらに佐藤氏は、「当時は『写真』あるいは『写生』として認識されたであろう造形を『写実』として語ることのズレが生じてくる」としています。これは「『写実』をクールベのように『目に見えないものは描かない』とまで徹底するならばなおのこと、神仏を『写実』するのは不自然になる」ということであり、これらの指摘は重要で、基本的に筆者は同感です。つまり、先に述べたレアリスムの観点からは、仏像に「写実」はあり得ないことになります。ただし、古典的レアリスムの立場から、いかにもそれらしく再現する技術という意味で理解した場合には、仏像と「写実」は相容れないとまではいえないかもしれません。

鎌倉彫刻研究史における「写実」の使われ方

 それでは、鎌倉彫刻についての研究では、「写実」はどのような意味で使われてきたのでしょうか。これを正面から論じた論考は少ないのですが、戦前のまるしょう三郎ざぶろう氏の論文が丁寧に説明しています(「運慶の二作に就いて」/『鎌倉彫刻圖録』奈良帝室博物館、1933年)。丸尾氏は、「鎌倉時代の彫刻様式におけるその『写実的』なる意味内容は決して写実に徹したものとは言い難い」と述べ、東洋美術の一部門として鎌倉時代の彫刻があるならば、「『写実』なるものは勿論東洋美術の特質たる『写意』中に摂取せられるべきもの」であると述べています。この「写意」の意味は、少なくともレアリスムとは異なり、むしろ江戸時代までに使われていた「写真」にほぼ等しいものであることは留意したいところです。その上で、仏菩薩像、四天王像、金剛力士像や肖像について、写実とされる表現を具体的作例に則して説明しています。そして、身体プロポーションの整美と姿態の自然さ、運動の勢い・姿勢・動勢の自然さ、実感を観者に起こし生気を与える肉の張り、肖像の現実性・実人らしさ、実感を呼ぶ着衣の自由さ・自然さを有していることなどが写実をもたらすと述べています。

国宝 阿弥陀如来坐像(運慶作、願成就院蔵)[画像提供:願成就院]

 上の説明では、実感、現実性、自然さといった言葉が並ぶことが目立ちますが、これはつまり丸尾氏の考える写実とは、外見的なことについては、端的にいうとわたしたちが住む現実世界の人間の肉体や着衣などに則しているかどうかが基準になっているということを意味します。丸尾氏は現在につながる日本彫刻史研究の基礎を築いた人物として知られていますが、これ以前も、これ以降も多くの論考で用いられる「写実」の意味は、丸尾氏の見方とさほど離れてはいないように思われます。
 ここで改めて注意したいのは、仏像の写実については、実は「人間の肉体や着衣と比べている」ということです。佐藤氏の指摘のとおり、仏像には厳密な写実(レアリスム)はできませんので、実際には現実の人間が比較対象となったのです。ここに一つのねじれが認められます。

平等院阿弥陀如来坐像は「写実」

 仏像の写実は現実の人間が比較対象とされてきたという点で触れておきたいのは、京都・宇治の平等院に所蔵される阿弥陀如来坐像です。中学校の教科書にも登場する著名なこの像は、平安時代の天喜元年(1053)に関白・藤原頼通ふじわらよりみちによって建立された鳳凰堂ほうおうどうの本尊で、当時の仏像制作の第一人者・仏師定朝じょうちょうの作です。一般に鎌倉彫刻とは対照的な表現とされるこの像については、おおよそ次のように語られてきました。
――すべてがゆるやかな曲面と曲線で構成され、頭部、体部、脚部の比例が「自然な」バランスで見事な均整をみせ、衣の柔らかさや薄さもこれ以上ないほどに「自然に」まとめられていて、誰も到達できなかった様式を生み出した――。
 筆者もこうした語られ方にまったく異存はありません。肉体の繊細なふくらみ、着衣部の柔らかい様子はそれが木でつくられていることを忘れてしまうほどで、着衣は本当の布に見えてきます。筆者もこの像の巧みさに驚かされることしばしばです。
 多くの論考が平等院像の肉体表現、身体各部の比例、衣の様子などを形容する「自然な(に)」という言葉の字義は「言動にわざとらしさや無理のないさま」や「物事が本来あるとおりであるさま」です。前者の意味では、平等院像は「作為的な表現はなく、見たところすべてに無理がない様子」であるということになります。後者の意味で解すると、「肉体や各部の比例、衣などが本来あるとおりの様子」ということになりますが、極楽に行って阿弥陀如来を見てきたわけではないでしょうから、これまで平等院像の表現について言われてきた「自然な」という言葉は、私たちの現実世界に存在する人体や着衣と比較してのことであったと理解できます。筆者は、平等院像の表現は日本に残る他のどの像よりも現実味があると思います。上記の検討からすれば、これは厳格なレアリスムではありませんが、こうした特徴は「写実」とされる表現に当てはまります。「写実」を現実世界の人間の肉体や着衣などに即しているという意味に理解するならば、筆者はこの像こそが「写実」と評されるべきだと考えます。しかし、不思議なことに平等院像が「写実」という言葉で評されることはまずありませんでした。どうやら「写実」という言葉が用いられるのは別の状態や条件の場合であるようです。

国宝 阿弥陀如来坐像(定朝作、平等院蔵)[画像提供:平等院]

「写実」の使われ方の問題点

 さきほど運慶の仏像は実在感はありながらも、現実そのままではなく、巧みに変形されていることを述べました。運慶に代表される鎌倉彫刻はまさにデフォルメされた表現といえます。デフォルメであっても、あらわし方次第で現実感、実在感は強く感じられます。デフォルメを効果的に用いて、迫力を演出し、存在感や実在感を強調したのであれば、これはそうした表現意図に応じて理想化したということになります。こうした表現態度は、美学上では「理想主義」と呼ばれています。「一定の美の原理に従って修正を加え、その本質を理想的な形式との調和のうちに実現する」(『新潮世界美術辞典』新潮社、1985年)という概念で、写実主義とは本来、対極に位置する考え方です。
 実際の制作において、現実を忠実に写すのか、デフォルメして理想化するのか、この両者では方針が大きく異なるわけですから、いずれの方針でつくるのかはあらかじめ決まっているはずです。にもかかわらず、これを同じ「写実」という言葉で表すのでは、どういう意味で使われているのか判断がつきません。極端な言い方をすれば、数学において「+」という記号が、時には足すことを意味し、時には引くことを意味する場合があるといっているのと同じではないでしょうか。現実に忠実なのか、デフォルメまたは理想化するのか、これを同じ語で表わすのでは、学術用語としての体をなしていません。大きな問題点です。
 結局、仏像を語るときの「写実」とは、実際には人間世界を写すとされながらも、現実どおりではなくデフォルメされつつ現実感、実在感が表現されている、そっくりに見えるという場合にしばしば用いられ、平等院像のような現実に極めて近い場合にはむしろ使われないこともあることがわかりました。ここに大きなねじれがあるのは明らかです。この言葉は、今や極めて意味が曖昧で、使われる文脈によって時には対極の意味に用いられる場合もあるということになります。厳密に定義することは現状ではもはやほとんど不可能で、筆者はこの言葉は極力用いないようにしています。
 このように、日本彫刻史研究における「写実」については、何重にもわたって問題点があるにもかかわらず、特に吟味されることもなく放置され、使いつづけられているのが実態なのです。

「運慶作品は写実的」の背景

 ところで、19世紀後半におけるフランスのレアリスムは、政治的、思想的背景をもっていました。例えば、クールベは「オルナンの埋葬」で、名もない一農民の埋葬を大画面の歴史画として描きましたが、実はそれは画期的なことでした。馬渕明子氏は、フランスのアカデミー(美術に関する行政・教育を担った王立の権威的機関)は「歴史画」と「風俗画」の間には厳密な区別をつけていて、王侯貴族が登場する歴史画は「当然、大画面をもって語られるべき物語の偉大さと重要性、公共性を必要とし、名もない庶民の登場する『風俗画』は、その主題のささやかさに見合う大きさと表現のつつましさを守るべきだ、と考えられていた」と述べています(「19世紀とレアリスム」/『世界美術大全集21 レアリスム』小学館、1993年)。レアリスムは、既成の決めごとや権威に対する「自由」、歴史画と風俗画などのジャンルの序列に対する「平等」、王侯貴族に対する「庶民」、こうした権威に対する叛旗であり、「変革」だったのです。しかし「写実」という概念が広まった当初の日本では、写実は主に絵画における技術的、技法的な面からの理解がなされ、このような政治的意味合いは含まれなかったと考えられています。とはいえ、上に述べた自由、庶民、変革というキーワードは、第2回で述べたように戦前における鎌倉時代イメージと重なるところがあるように思います。貴族による平安後期の社会や文化は停滞、堕落、無気力などの悪いイメージで扱われ、これに対して鎌倉時代は新鮮で、活力にあふれ、民衆の時代、あるいはしょうの思想から武士による活力溢れる時代であるとして、よいイメージを抱かれ、丸尾氏が鎌倉彫刻は庶民的と評していたのは、こうしたこと示している可能性があります。
 平安後期の貴族的な定朝様の呪縛から解放されて、運慶の仏像は自由や変革の象徴で、庶民的であるという見方が、19世紀ヨーロッパのレアリスムと重なって見えたのではないか。そして、それゆえには好ましいものとして受け取られたのではないか。推測になりますが、こうした可能性も捨てきれないと筆者は考えています。
 しかし、ここにはいくつもの誤解や矛盾があることはいうまでもありません。平安貴族は没落したわけではなく、鎌倉時代は庶民の時代ではありません。鎌倉彫刻は庶民から生まれた作品ではなく、定朝様の時代をおとしめて論じるのが誤りであることも前回述べたとおりです。また、このように語った戦前も決して自由な時代ではなく、後半は国家主義が加速する時代でした。
 仮にこうした背景が運慶の評価に影響したのだとすれば、それはむしろ運慶にとって不幸なことといえましょう。繰り返しになりますが、運慶の仏像の魅力は、今や正確な意味がほとんどわからなくなってしまった「写実」という言葉で評する必要はないでしょう。その魅力や彼の力量をあらわすのにふさわしい言葉は他にいくらでもありますし、「写実」の語を使うことによってむしろ誤解を招きかねません。運慶の仏像が好きな多くの人は彼の像が「写実」を表現しているから好きなわけではないと思います。運慶の仏像の発する力は、言葉の使われ方の乱れなどをはるかに凌駕しています。

第4回(12月上旬公開予定)につづく 

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筆者プロフィール
塩澤寛樹(しおざわ・ひろき)

1958年、愛知県生まれ、1982年、慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻卒業。現在、群馬県立女子大学教授。博士(美学、慶應義塾大学)。専門は日本美術史、日本彫刻史。主な著書に『鎌倉時代造像論』(吉川弘文館、2009年)、『鎌倉大仏の謎』(吉川弘文館、2010年)、『仏師たちの南都復興――鎌倉時代彫刻史を見なおす』(吉川弘文館、2016年)、『大仏師運慶――工房と発願主そして「写実」とは』(講談社選書メチエ、2020年)など。2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の仏教美術考証を担当。

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