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死のパラドックスに対処するために――「不安を味方にして生きる」清水研 #07 [「死」に対する不安をどう考えるか③]

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
第1回からお読みになる方はこちらです



#07 「死」に対する不安をどう考えるか③

自らが消滅することに対する不安

 この連載の第5回第6回で、「死」にまつわる不安は3つあること、そして死にいたるまでの肉体的な苦しみと、自分が死ぬことにより生じる不都合に対する不安について、対処法も含めて説明してきました。
 今回は、死そのものに対する不安、つまり自分自身が消滅することに対する不安について書いていきたいと思います。
 人間は死を強く意識する状況、たとえば手すりのない断崖絶壁に立つ、刃物などの凶器を突き付けられるなどしたときに強い恐怖を感じます。これは、人類が危険を避け、繫栄するために必要な性質と言えるでしょう。
 一方で、人間は学習能力を発達させてきたので、死が、いずれ必ず自分に生じると理解しています。強い恐怖の対象である死を避けられないことは、人間にとてつもなく大きな葛藤を生じさせます。第5回でもふれましたが、これは死のパラドックスと呼ばれ、スティーヴン・ケイヴの著書[※]に詳しく取り上げられています。また、この葛藤による苦しみが日常生活に影響するほど強い人も一部いらっしゃり、その症状には「死恐怖症(thanatophobia)」という名称があります。 

 死のパラドックスに対して多くの人はどう対処するのでしょうか。宗教的な価値観を信じているなら、死は恐怖の対象ではない場合が多くあります。あの世の存在を信じる人、輪廻転生の概念を信じている人にとっては、死は終わりではなく、新たな世界の始まりでもあるため、葛藤を感じないかもしれません。
 宗教的な価値観――来世の存在はあるともないとも証明のしようがありません。死後どうなるかに対する考えはそれぞれで、これが正解というものはなく、その人の信念次第と言えるでしょう。

 私はというと、自分の意識や考えは脳の神経活動によって支えられており、死とともに自分の人生は終了すると思っています。私のように宗教的な価値観を信じていない人の場合は、別の方法で死のパラドックスと向き合う必要があります。
 秦の始皇帝は不老不死の薬を求めましたが、これも死のパラドックスと向き合おうとしたひとつの例でしょう。

 また、現代人が不老不死をあきらめない方法として、人体冷凍保存というものがあるそうです。現在の医療技術では治療が不可能な人体を冷凍保存して、未来に医療技術が発展していることに夢を託し、蘇生する技術が完成した時点で解凍、治療しようという考え方です。現在の技術では、人体に含まれる水分が冷凍されることで膨張し、細胞膜を破壊してしまうなどさまざまな問題がありますが、未来の技術なら解決してくれるだろうと期待をしているそうです。
 しかし、私は人体冷凍保存には期待を持てません。ウィキペディアによると2016年時点で人体冷凍保存をしている人は世界で350人ほどらしく、この方法を試す人はごくごく一部と言えるでしょう。ではもっと多くの現代人が採用している方法は何か? それは、「死を意識しないようにする」というやり方です。 

死について理性的にとらえる

 死について考えないようにするのは社会全体に存在する傾向とも言えます。たとえば楽しい食事会で、死について話すのは、誰かが不愉快になるのではないかと避けることもあるでしょう。近年、「人生100年時代」という言葉をよく聞きます。現状の平均寿命や健康寿命を考えると、少し盛りすぎではないかと思ったりしますが、この言葉にも「死はまだまだ先だから今は考えなくていいよ」というメッセージを私は感じます。
 かつての私も、死について考えないようにしていたひとりでした。5歳ぐらいのとき、ある日ふと「自分もいつか死ぬんだ」と意識して、とてつもなく大きな恐怖を感じた記憶があります。私はすぐその考えを打ち消し、友達と遊びに行きました。そして、それ以降、死のことを考えないようにしてきました。

 しかし、死について考えないようにするやり方は、いずれ役に立たなくなります。自分にとって大切な人が亡くなったとき、自分が大きな病気になったとき、自分が年を取ったときなど、死を身近に意識するときがくるからです。「死」を意識しない方法は、いずれどこかで役に立たなくなるでしょう。
 ではどうしたらよいのか? 私が出した答えは、死について理性的に考えるということです。きちんと考察していくと、死は恐れなくてもいいものという答えが出せます。この考え方について、ある患者さんとのやりとりを通して説明しましょう。

 私の外来に、成田貴子さん(仮名・54歳女性)がいらっしゃいました。
成田さんは1年前に進行した胃がんが見つかって以来、何種類かの化学療法を受けてきましたが、徐々に病状が進行しているそうです。主治医からは「今回の化学療法が積極的な治療の選択肢としては最後になる」と伝えられており、最近、不安感が強まってきてどうしようもなくなるときがあるとのことでした。
 主治医に腫瘍精神科の受診を勧められ、がん患者さん専門の精神科医である私のもとを訪れました。
 成田さんは、明るい声で次のように話されました。

成田さん:今回が最後の治療と言われてから、自分が死ぬということに対して強い不安を感じるようになりました。それで、とくに1人でいるときや、薄暗くなってくると恐怖が襲ってきて、背筋が凍るような感覚があるんです。「うわーっ!」って叫びたくなるぐらいなのですが、なんとかならないでしょうか。
清水:それはかなりつらそうですね。
成田さん:じつは私は昔から、自分が死ぬことや、自分がこの世からいなくなるということを考えると、恐怖を感じる傾向がありました。がんになる前は、死のことは考えないようにして対処できていました。けれど、今の状況だとそういうわけにいかないんです。そして、どうしようもなくなるのです。
清水:成田さんの不安、恐怖には「死恐怖症」という名前もついており、程度の差はあれ多くの人が感じることです。どんな悩みも、こうやって打ち明けて、取り組んでいくことが解決の糸口になります。
成田さん:そうでしょうか。
清水:はい、そうです。それに自分の悩みを見ず知らずの他人に相談できることは、その人の強さだと思います。ある意味、全般的に人を信頼していないとできないことでしょうから。
成田さん:正直、こんな内容で相談してよいのかと思い、勇気がいりましたが、あまりに苦しかったので受診を決意したのです。
清水:勇気を出していただいたのですね。その結果、お会いできて私はうれしいです。それでは、成田さんの悩みについて一緒に考えていきましょう。まずお聞きしますが、成田さんは天国とか、輪廻転生とか、死後も自分自身の存在が永続すると信じていますか?
成田さん:あまり考えたことはありませんでしたが、おそらく来世はないと感じています。
清水:それではその前提で、死に対する私の考えをお話ししようと思います。これはあくまでも理屈なので、成田さんの恐怖という感情にどれだけはたらきかけるかはわかりません。でも、とても参考になったという患者さんもいるので、お伝えしてみます。
成田さん:はい、ぜひ聞いてみたいです。

死への恐怖は「幻」なのか

 成田さんのように死を身近に意識すると、不安感がとても強まるのはよくあることです。恐怖という感情にどのようにはたらきかけたらよいのか、成田さんとのやりとりを続けましょう。 

清水:まず、死に対する恐怖は、人間の脳が作り出してきたものです。このメカニズムは危険を避けるために有効で、人類に発展をもたらしました。しかし、いざ危険が迫ったときだけでなく、普段からこの恐怖を感じると、このメカニズムに苦しむことになります。
成田さん:それはそうですね。
清水:そういう方には、死への恐怖は「幻」を恐れていることだと強調したいです。
成田さん:幻を恐れている? どういうことでしょうか?
清水:非常に不快なこと、たとえば暴力で肉体に痛みを感じたり、精神的な屈辱を与えられたりする場合は大変苦しい思いをしますので、これらのことを恐れるのは合理的でしょう。一方で、死は性質がまったく異なります。死んでいるときはすでに脳の認知機能が停止していますから、死を認識することはありません。だから、私たちは幻を恐れているのです。
成田さん:そう言われてみればそうですが……。
清水:睡眠も死と同様、意識を失います。私は多くのがんの方を看取った経験からも、死にいたるプロセスは眠りにつくプロセスと類似していると感じます。眠くなってきた感覚は感じることができますが、眠りにつくときの瞬間を私は認識したことがありません。それと同じように、「ああ、死にそうだな」ということはわかるかもしれませんが、死そのものは知覚できないので、死んだ瞬間からいっさいの不快な体験はしないでしょう。
成田さん:いっさいの不快な体験をしない――。おそらくそうなのでしょうが、本当でしょうか。
清水:死んだ人の体験談を聞けないのが、この悩みの難しいところですね。もし経験者が、「まったく怖くないよ、大丈夫だよ」と口をそろえて言ってくれれば安心なんでしょうが。ただ、死後になんらかの体験をするとしたら、生まれる前の世界もなんらかの体験があるのではないでしょうか? それはどうでしたか?
成田さん:生まれる前の体験は、たしかに何も覚えていないです。
清水:ですので、私の主張は「実際に死そのものを体験することはない」ということです。死後のことを心配する必要はなく、生まれてから死ぬまでの人生をいかに生きるかということに集中すればよいのです。

脳のクセとうまく付き合う

 死を迎えたとき、脳は認知機能をすでに停止しており、私たちが死を認識することはありません。とはいえ、実際に死を体験しなくても、死が「幻」だと思えないときもあるでしょう。
 死への恐怖が消えないときは、否定せずに客観的な視点を持つことが大切です。

成田さん:おっしゃることはわかる気もしますが、「死が怖い」という思いは消えません。
清水:もちろんそうだと思います。まず、理屈として死を迎えた以降に苦しむことはないと理解していただければ十分です。そして、「死が怖い」という思いが消えないことを否定する必要もありません。「死に対する恐怖は、人間の脳のクセが作り出すもの」と俯瞰した視点を持つことが大切です。この脳のクセと上手に付き合っていく方法を模索していけばよいのです。
成田さん:たしかに脳のクセなのかもしれません。これと上手に付き合うには、どうすればいいですか?
清水:「脳のクセで作り出すもの」と認識して、このことに振り回されないようにすればいいのです。怖くなるたびに「これは私の脳のクセが作り出しているんだ」と、死に対する恐怖を客観視できれば、恐怖が消えることはなくても、暴走することはありません。そして、だんだん慣れていきます。
成田さん:慣れていくものでしょうか?
清水:恐怖と向き合っていれば苦痛の感覚がやわらいでいくというメカニズムには、心理学で│馴化《じゆんか》という名前がついています。実際、私がお会いしてきた、死に対する恐怖に悩んでいる人たちもそうなっていきました。最初は恐怖にとらわれてどうしようもなくても、徐々に「ときどき死を意識してうわーっという感覚が襲ってきますが、そのうち過ぎ去るだろうと思えるようになりました」とおっしゃいます。
成田さん:そうなるといいのですが。
清水:ただ、今現在恐怖で何も手につかないのであれば、一時的に抗不安効果がある薬を使う方法もあります。
成田さん:薬に依存するのも怖いので、現時点では希望しません。先生の話は一応わかりますが、屁理屈みたいな気もします。でも話に付き合ってもらえるのはうれしいです。
清水:私も理屈っぽいということは自覚していますし、どういうかたちであれ、成田さんのお役に少しでも立てたならうれしいです。いつでも、何度でも成田さんの悩みにはお付き合いしますし、質問にはできるかぎりお答えします。

 成田さんとのやりとりをみなさんはどう感じたでしょうか。
 完全に納得したり、安心できたりするものではないと私自身も感じています。けれど、死に対する恐怖についてそのままにしておかずに、一緒にあれこれ考えることは、患者さんにとってなんらかの助けになってきた実感はあります。
 また、少なくとも私自身が死への恐怖と向き合うときに、この考え方が役に立ったのでお伝えしました。
 次回は、死を意識し、生きる意味を見失ったときにどう考えるかについて見ていきましょう。

[※]スティーヴン・ケイヴ『ケンブリッジ大学・人気哲学者の「不死」の講義』(柴田裕之訳、日経BP社)


第6回を読む 第8回に続く 

清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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