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成田空港のお膝元に聞く外国人犯罪の実態――『総理になった男』中山七里/第4回

「もしあなたが、突然総理になったら……」
 そんなシミュレーションをもとにわかりやすく、面白く、そして熱く政治を描いた中山七里さんの人気小説『総理にされた男』待望の続編!
 ある日、現職の総理大臣の替え玉にさせられた、政治に無頓着な売れない舞台役者・加納慎策は、政界の常識にとらわれず純粋な思いと言動で国内外の難局を切り抜けてきた。景気対策としてインバウンド消費の向上を検討するも、外国人犯罪に対する懸念で反対される慎策。現場の声を聴くべく呼び出したのは、『逃亡刑事』でお馴染みのあの刑事だった――
 *第1回から読む方はこちらです。


「千葉県警刑事部捜査一課の高頭冴子たかとうさえこであります」
 女性捜査員が寄越されたと聞いた時には、千葉県警が何かの手違いで広報担当を寄越したのかと勘繰かんぐったものだ。
 だが高頭冴子を目の当たりにした途端、疑念は雲散霧消した。身長は百八十センチ以上もあろうか。ラフなパンツ姿、化粧っ気なしのショートボブ。服の上からでも分かるほど筋骨隆々とした体型は、なるほど強行犯担当だと納得させるものがある。慎策の横に立つ円谷も呆気あっけに取られたように彼女を見ている。
「まさか総理にお会いするとは聞いていなかったので、色々と不調法をしていますっ」
 不調法というのは化粧っ気のなさなのか服装なのか。いずれにしても慎策にはどうでもいいことだ。
「楽にしてください、高頭さん」
 正面のソファに腰を下ろしても冴子は落ち着かない様子で執務室を見回している。
「高頭さんをお呼びしたのは、外国人犯罪の実態を担当者ご本人から聞きたかったからです。千葉県警で外国人犯罪に精通している刑事さんを求めたところ、あなたに白羽の矢が立ったという訳です」
「精通、ですか。わたしとしては割り振られた事件を追っていたら、たまたま犯人が外国人だったというケースが多いだけなのですけど」
「しかし結果的に担当する外国人犯罪が多いのであれば、あなたが精通していると言っていいでしょう」
「何故総理は外国人犯罪に興味をお持ちなのですか」
「外国人犯罪は本当に件数が増えているのか。増えているとしたら原因は何なのか。統計には出てこない事実を知りたいんです」
「知って、どうするおつもりですか」
「外国人の来日を許せば彼らによる犯罪は増える一方だと主張する人たちがいます。私はその正誤が知りたい」
 問われた冴子はしばらく考え込み、やがて口を開いた。
「嫌な話ですが、流入する外国人が多くなれば彼らによる犯罪も多くなります。どこの国にもどんな地域にも無法者は一定数存在するからです」
「分母が多くなれば、当然分子も多くなるということですか」
「千葉県内における外国人犯罪の件数が多いのは、居住している外国人が多いからです。最新の統計はまだ見ていませんが、県内では十一万人を超えていて、千葉県の総人口に占める割合は一・八パーセント。計算上は県民の五十六人に一人が外国人です」
 五十六人に一人では統計上の数字が高くなるのは当たり前だ。
「これも単純な話ですが、外国人の数が少なくなれば彼らによる犯罪も少なくなります」
「現場を指揮する高頭さんも外国人はいない方がいいとお考えですか」
 冴子は再び考え込む。回答を探すというよりもこちらを納得させる言葉を探しているように見える。
 ところが彼女はその努力を途中で放棄したらしく、諦めた顔で天井を見上げた。
「申し訳ありません、総理。わたしはがさつなもので言葉を繕うのが大変に下手であります」
 それは何となく分かる。失敬だが円谷も軽く頷いている。
「外国人の多寡の問題じゃありません。犯罪件数を減らしたければ、人口を減らせばいいだけの話です」
「現場を知る者からは、チャイニーズマフィアなどの犯罪は日本人のそれよりタチが悪いと聞いています」
「確かに手口は粗暴で野蛮です。特殊詐欺のような知能犯が少なく、強盗と窃盗と覚せい剤取締法違反が大半ですね」
「何故だと思いますか」
「容疑者からの供述によれば手っ取り早いからです。知能を必要とする犯罪じゃありませんが、その代わりに度胸と暴力が不可欠になってきます」
「やはりチャイニーズマフィアの存在が目立ちますか」
「チャイニーズマフィアというよりは中国人が断トツですね。これは二〇〇〇年当時から続いている傾向で、それ以外の外国人となると男はブラジル人とベトナム人、イラン人、女は韓国・朝鮮、フィリピン人の比率が高くなっています」
「何故、千葉県に外国人が多いのでしょうか」
「言うまでもなく成田なりた空港のお膝元だからでしょうね。定住するにしても就労するにしても、空港を擁する県内の方が都合がいいんです」
 どうも期待していた答えが返ってこない。慎策は心中で歯嚙みする。これでは平田をはじめとする閣僚たちを到底説得できないではないか。
 慎策の失意を見てとったのか、今度は冴子が問い掛けてきた。
「総理はどんな回答をお望みだったのですか」
「それを本人に言わせますか」
「構いません。それでわたしの回答が変わることはありませんから」
 一国の総理を目の前にして肝の据わった話をする。それで慎策は冴子を信用することにした。
「実はビザ発給規制を緩和しようと考えています」
「総理。まだその話を一般の方に打ち明けるべきでは」
「いいんですよ、円谷さん。高頭さんは外部に話を洩らすような人じゃありません。もちろん警察関係者にも」
 一瞬、冴子の視線が不穏さを帯びるが、これは自分を見透かされることへの不快感からくるものだろう。
「ビザ発給規制を緩和すれば外国人が雪崩を打って来日するようになりますよ。現在日本は部分的に鎖国している状態なのですから」
「まさにそれが目的なんですよ。訪日外国人観光客による日本国内での消費活動を増加させたいんです」
「景気対策ですか」
 明らかに冴子の口調は冷めていた。
「日頃から外国人犯罪者を多く相手にしている高頭さんには、さぞかし不快な話でしょうね。しかし経済は国の血液なのです。停滞すれば死に至ることもある。これは決して比喩なんかじゃありません」
「市民の生命と財産。国の生命と財産。どちらを取るかという選択ですか」
「あなたにそんな重責を背負わせるつもりはありませんよ」
「こっちだってご免被ります。わたしは法律を犯した者を逮捕するだけに特化したような人間ですから」
 子どものような言い種に、つい顔が綻びかける。
 だが慎策が笑いを堪えている間、冴子はまたも考え込む素振りをみせる。
「何か腑に落ちないことでもありますか、高頭さん」
「腑に落ちるかどうか以前の問題です。総理、この問題はどこかでじれているような気がします」
 冴子は話を続ける。ひどく興味深い内容に慎策も円谷も時間を忘れて聞き入った。

 翌日、慎策は平田、鹿内、香山の三名を執務室に呼んだ。面倒臭げに口火を切ったのは平田だった。
「この面子メンツを招集したということは、例のビザ発給規制に関してなんですな」
「その通りです」
「わざわざ三人からレクチャーを受けたんだ。総理も考え直してくれましたか」
 三人の目がこちらに集中する。慎策が提案を撤回するだろうと決めつけた視線だった。
「芹澤外務大臣には可及的速やかに、ビザ発給規制を緩和していたたきます」
「何だと」
 矢庭やにわに平田の顔色が変わる。横に座る鹿内と香山も同様の反応だった。
「お三方をお呼びしたのは、この決定事項について承認をいただくためです」
「総理」
 平田は声を低くした。
「わたしたち三人の助言を無視してまで自分の考えを押し通すつもりか。それでは党内宥和が保てなくなる」
「党内宥和を保つために、こうして皆さんに説明しているのです」
「やっていることはインバウンドと引き換えに国民の生命と財産を売ったのと同じだ」
「法務大臣のご意見に同感です」
 鹿内が声を上げ、香山が追従して頷く。二人の援護を得て平田が続ける。
「景気浮揚のためなら何でも試すという態度は評価できるが、これはあまりにも拙速に走っている。外国人の流入が多くなれば彼らによる犯罪が増加するのは説明したばかりだと思うが」
「『総人口に占める一般刑法犯検挙人員数は〇・二パーセント。ところが国内に滞在する外国籍者に不法残留者を足した人数のそれは〇・四パーセント』、でしたね」
「ちゃんと憶えているじゃないか。それをどうして」
「平田法務大臣の提示された統計は確かに無視できませんが、一方では別の研究結果が出ているのです。官房長官」
「はっ」
 慎策の後ろに控えていた円谷が待ってましたとばかりファイルを取り出し、中から抜いた文書を平田たちに配る。
「外国人の流入と聞けば即座に思いつくのは移民です。そして世界有数の移民国家であるアメリカ合衆国では以前より移民と犯罪発生率の関係を研究していました」
 円谷の声はどこか誇らしげで、平田たちへの意趣返しのように聞こえなくもない。
「今、皆さんにお配りしたのはThe Marshall Project(ザ・マーシャルプロジェクト、米国の刑事司法システムを調べている非営利のニュース編集組織)ならびにピュー研究所(米シンクタンク)が研究している資料の一部です。最終的な結論が出るのはおそらく二年ほど後になるかと思いますが、外国人犯罪の多発している千葉県警は現段階での研究成果を入手していました」
 高頭冴子によれば県警本部長が件の研究所に直接交渉して入手した資料らしい。これだけでも、冴子を呼んでよかったと思える収穫だった。
「一般的に、移民は犯罪率が高いとされる若年・壮年の男性が日本国籍者よりも多くなっています。こうした分布の違いも犯罪率の違いに反映されるので、平田法務大臣の提示された数値はそれほどフラットなものとは言えません。さて、ピュー研究所は主要都市圏別に不法に滞在する移民の推定数を算出し、ザ・マーシャルプロジェクトが、これを米連邦捜査局(FBI)の出した地域ごとの犯罪率と比較しました。この分析によれば不法滞在者の増減にかかわらず、全体の犯罪発生率は減っているのです」
 文書に視線を落とす三人は唇をへの字に曲げている。己の主張にそぐわない結果だが、数字は噓を吐かない。
「更に千葉県警は独自の分析も行っています。収容された外国人犯罪者を在留資格で分析したのですが、それが最終ページに記載されている構成比です。一読していただければお分かりですが、最も多いのが居住者、次いで不法残留者、不法入国者となっています。居住資格を持つ者が四十五・〇パーセントと半数近くを、不法滞在者が約三分の一を占めているのが明白になっています」
 その先は慎策が引き継ぐ。
「つまり外国人犯罪のほとんどは定住者と不法滞在者によるものであって、旅行客のような短期滞在者については無視しても構わないことがデータで証明されているのです」
 平田はゆっくりと顔を上げる。憮然とした表情ながら反論を試みる気配はない。鹿内も香山も同様だった。
 現場を知っているはずの鹿内と香山が現実を認識できていなかったのは、偏に思い込みのせいと思われる。二〇〇〇年当時から既に十五年余りが経過しており、街の姿も人の様子も激変している。現場を離れた者が犯罪発生の有様を見誤っていたとしても何の不思議もない。
「参ったな」
 平田はようやく苦笑いを浮かべる。
「データを見せられたら黙るしかない。法務省としてはビザ発給規制を緩和することに異議は差し挟まない。公安委員長はどうだね」
「わたしも同意です」
「ありがとうございます」
 慎策は三人に軽く一礼する。礼儀上頭を下げるが、実質はこちらの完勝だった。
「平田法務大臣には嫌な思いをさせてしまいましたね」
「いや、総理。あなたが首相権限で押し通すことをせず、搔き集めたデータで我々を説得したのはさすがだ。遺恨など生まれるはずもない」
 すると、今まで沈黙を守っていた香山が堪えきれずといった様子で声を上げた。
「お待ちください、総理。データ上はどうあれ、ビザ取得が容易になれば短期滞在を装った外国人犯罪者が大量に渡航してくる可能性があります。それで犯罪が発生したら、どうするおつもりですか」
 まるで鎖国政策をまもろうとする幕府のような考え方だと思ったが、口には出さなかった。
「長官。あなたが心配されるのはもっともです。しかしそうした不安を払拭するために警察庁がいてくれるのではありませんか」
 意表を突かれた様子の香山の肩に、平田が笑いながら手を置く。
「一本取られたな、長官。悪党を捕まえるのはそっちの仕事だそうだ」

 法務省がビザ発給規制を緩和すると、待っていたかのように海外からの旅行客が激増した。
「出だしから驚異的ですよ」
 報告にきた円谷はいささか興奮気味だった。
「主要な空港からデータを拾いましたが、この一カ月間だけで二百万人を超えています。緩和前の三倍強、加速度的に増えているので、最終的には年間三千万人以上を見込めるとのことです。総務省の試算によればインバウンド需要が四兆八千億円、留学生など長期滞在者の経済効果が二兆七千億円、合計で七兆五千億円です」
「まずは順当な滑り出しですね」
 試算はあくまでも机上の数字に過ぎない。決して過信してはならないが、ニュース番組で成田や羽田はねだの到着ロビーが外国人旅行客で賑わっている場面を見ると慎策は安堵する。
「ただし、インバウンドがある程度見込めたとしても恩恵を受けるのは特定の商売、特定の業者です。全ての国民が潤う訳じゃありません」
「それはそうですが」
 円谷は不承不承に応える。今回のインバウンド政策には円谷も深く関わっているので誇りたい気持ちは理解できる。できれば円谷とハイタッチしたいとさえ思う。
 だが慎策は心底喜べない。円谷に告げた通り、インバウンドで潤う範囲は限定されている。それ以外の国民を不況から救い出すには二の矢、三の矢が必要だ。
 やはり頼りになるブレーンが欲しい。
 慎策は一人、物思いにふけっていた。

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プロフィール
中山七里
(なかやま・しちり)
1961年生まれ、岐阜県出身。『さよならドビュッシー』にて第8回「このミステリーがすごい!」大賞で大賞を受賞し、2010年に作家デビュー。著書に、『境界線』『護られなかった者たちへ』『総理にされた男』『連続殺人鬼カエル男』『贖罪の奏鳴曲』『騒がしい楽園』『帝都地下迷宮』『夜がどれほど暗くても』『合唱 岬洋介の帰還』『カインの傲慢』『ヒポクラテスの試練』『毒島刑事最後の事件』『テロリストの家』『隣はシリアルキラー』『銀鈴探偵社 静おばあちゃんと要介護探偵2』『復讐の協奏曲』ほか多数。

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