見出し画像

苦じょっぱい日々からの成長「拝啓 明日の私へ」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」

動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第9回はここ数年で篠原さんに起きた変化のお話です。
第1回から読む方はこちらです。


#9 拝啓 明日の私へ

 「年を取ると自分のためだけに生きることに限界を感じる」と聞いた。この言葉が指す年齢は、35歳だったり、40歳だったりと幅があるが、その年齢がそう遠くもなくなった29歳の私は、ふと思う。
 果たして、あと5年や10年で自分のためだけに生きることを、もう限界と思うほどに極められるだろうか。むしろ、今までのペースで考えると、35歳や40歳になってようやくしっかりと自分のために生きることができるようになる気すらする。
 確かに他人のために生きてきたわけではないので、消去法でこの29年間、自分のためだけに生きてきたと言えるが、正確にはなんのためと考えることをせず、ただただ生きてきたような気がする。自分のためを意識して生きることができるようになったのなんて、ここ1~2年の話である。若い私には、「今日」しかなくて、「明日」というほんの少しだけ先の未来にすら無頓着だった。

 20歳そこそこのころを振り返ると、甘酸っぱいを通り越して、苦じょっぱい。恥ずかしいくらいに分かりやすく刹那的に生きていた。自分が年を取ることを知識としては知っているけれど、実感は全くなくて、感情はいつでもジェットコースターのように乱高下していて、そのせいで今すぐ気分を変えてくれるものばかりに飛びついていた。過剰に痩せているのと、太っているのを反復横跳びしながら、今にもちぎれそうに傷んだ髪にブリーチと黒染めを繰り返し、13個あるピアスのせいで常に左右どちらかの耳が痛かったし、明日には気分じゃなくなりそうな変な形の高い服を着られないほどたくさん買って、30歳まで生きることを想定していないような生活をしている友人達とつるんで、同じ話を繰り返してしまうくらいにお酒に酔いながら、生きることと創作について語ることを青春だと思っていた。

 29歳になった今、二人とも、少なくとも私か彼の片方はこの世にいるまいと本気で思っていた友人と結婚して、旬野菜の炊き込みご飯なんか食べながら二人で健康的な人間になって、夏には新しい家族が増えることになる。全く想像のつかなかった突飛な未来ではあるけれど、結果として、今目の前にあるものはすごく大切で満足もしている。もし、10年前にタイムリープして、一からこの苦じょっぱい日々を29歳の物心が付いた状態で送る羽目になっても、これしか今への道がないならば、歯を食いしばりながら頑張ると思う。当時は一番楽しいと思っていたけれど、今の私には厳しい。

 しかし、今がさほど変わらないならば、過去に戻ってやり直したい後悔は多い。主に「もっと健康に気を遣ってくればよかった」と「もっとちゃんと努力すればよかった」の2点である。

 20代後半で初めて体を壊した。不摂生ばかりが原因ではないけれど、気を付けていれば、もっと早くに気付けたと思う。健康診断で全然別のところを調べるつもりで受けたCTで片方の腎臓が機能していないことが偶然発覚した。腎臓は二個あるため、腎機能自体は、健康診断でのチェックをすり抜けてしまうほどに正常と変わりがないのだが、仮に日本人女性の平均寿命まで生きると考えたとき、約60年を一つの腎臓で乗り切っていくことになった。クイズで言えば、87○2×(87回正解する間、1回まで誤答できるルール)のところを27○時点で1×付けて、もう失敗できない中で60の正解を重ねる状況である。正直、プレースタイルを大幅に見直さなければ厳しい。
 肉体が不可逆な壊れ方をしたのは、初めてで、この時ようやく、私もこれから年を取っていくのだという、確かな手触りのある実感が芽生えた。

 努力をしてこなかったわけではないけれど、私は、とにかく結果を待つのが苦手だった。5の努力を100日続けるより、50の努力を10日続けた方がずっと楽、さらに言うならば、500の努力を1日するのが一番楽という、パワフルな怠け者でいつも失敗していた。
 痩せようと思えば、ひよこも空腹を訴えるような量まで食事を絞って動けなくなり、早くプロの作家になりたくて、毎日1万字の文章を書くことを2週間続けて、ある日、本当に自分が何をしているのか分からなくなって、その後、3か月元の感覚に回復しなかったこともあった。
 大損するデイトレーダーのようなやり方で努力して、結局手元に残ったものは当初の予定よりずっと少ない。

 そんな日々を送る中で最近、人生は意外と長いということにやっと気が付いた。
 だから、最近は、「明日の私」のために何かをしてあげようと思って過ごしている。これまでは、明日の私に何かをしてもらおうと思っていた。それも具体的に「明日の私」を思い描いてのことではなく、追い詰められて、パス相手がどこにいるのかも考えずに空中に向かって放ったボールのような感じで。
 明日の私のためにしてあげることは何でもいい。あとはオーブンで焼くだけになったオニオングラタンスープが冷蔵庫に入っていたら、明日の私はきっとうれしい。寝る前にゆっくりストレッチをしておいてあげるのもきっとうれしい。今日、図鑑を開けば、明日の私は、今日まで知らなかった、新しい花の名前をいくつか知った状態で目覚めることができる。明日の私に何かできるようになって、初めて、本当に自分のために生きていると思えるようになってきた。

 小さなことで言えば、最近、原稿が締め切りまでに完成していることがある。この原稿は、今日パソコンを開いた時点で400文字程度しか書かれていなかったが、それでも、だいぶ助かるし、何よりやる気になる。ちなみにこの次の原稿はなんと既に提出してある。ありがとう!! 何週間か前の私! 
 そして、もちろん、明日の私に何も渡してあげられない日もある。どうにもこうにもやる気が出ない日や、具合が悪くてただ横になって次の日が来るのを待つしかないような日もある。かつての私は、どうせ未来の自分に全てを投げるのに、そんな日に気分だけはひどく落ち込んで、何もできないという落ち込みを取り戻すのにその3倍の時間をかけていた。これをすると、明日の私、明後日の私、明明後日の私まで潰れることになる。
 毎日、前に進むことができたらいいのだけれど、確実に前に進んでいくものは、時間しかない。そんな時こそ人生の意外な長さを思い出してほしい。毎日進み続けるには長すぎる。ついつい一日という単位で、うまくできたとかできなかったとか考えてしまうけれど、一日というのは、ただの天体の動きによる区切りである。太陽に休まれたら困るけれど、我々がたまに一日動けないくらい、何の問題もない。そんな時にできる一番大切なことは、落ち込まないことである。

拝啓

明日の私へ。今日は何も目に見えるものは残せなかったけれど、何もできなかったという落ち込みを今日のうちに消化しておきます。本日は休養に努めます。明日の私がどうか幸せでありますように。

敬具

明日の私に送るもの代表格(お節):篠原さん提供

第10回を読む
第8回へ戻る

プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)

1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。

バナーイラスト 平泉春奈

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!

この記事が参加している募集

新生活をたのしく

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!