ミステリーハンターとして「まだ見つけられるのを待っているふしぎがある」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第8回は今月でレギュラー放送が終了する「ふしぎ発見!」のお話です。
※第1回から読む方はこちらです。
#8 まだ見つけられるのを待っているふしぎがある
38年にわたり、人々の好奇心をくすぐり、異文化や歴史への興味を育んだ番組「日立 世界ふしぎ発見!」がこの3月でレギュラー放送を終了する。子どものころは、視聴者として、大人になってからは回答者や出題者としても参加し、楽しんできた番組の歴史に幕が下りるのは、やはり寂しい。面白いだけではなく、とても誠実で、見ていても取り組んでいても安心できる番組だった。
ロケはすごく楽しかった。楽しかったのは間違いないし、撮影クルーもみんな大好きな方々ばかりなのに、私は大抵、2週間の取材期間の1週間目に一人で泣いていた。最初の数日は何もかもが新鮮で、私の心もまだ家から連れ出されたことに気付かないので、楽しいばかりの時間を過ごしているのだが、1週間経つと、遠くに来たことに気付き、さらに「1週間こんなに頑張ったのにまだ1週間ある」という果てしなさを感じるのだ。家から出された私は、貝殻から引き抜かれたヤドカリのように心許ない。これは、飛行機を使って27時間かかる国でも在来線で行ける範囲の国内ロケでもさほど変わらなかった。私は元来、世界を「家」と「それ以外」に分けていたくらいの出不精である。しかし、よくロケで出歩いたおかげで国内は全て近所だと思い、誘われれば気軽に福岡くらいまで行く人間へと成長した。
そして、泣き続けというわけでもなく、1週間目に一度泣き、帰国二日前くらいに空港のある首都に移動して、お湯の出るシャワーに感動して泣くというのが定番であった。
そう、ジャングルにお湯の出るシャワーはない。雨水を溜めたタンクがある。夜は意外と冷え込むので、日中にできるだけ走り回っておいて、まだ体が熱を持っているうちにサッと雨水を浴びてしまうのが良い。それぞれの業界に就職していった同級生たちが社会人としてのスキルを積み重ねている間、私はジャングルで快適に過ごすスキルを積み重ねていた。
「日立 世界ふしぎ発見!」でミステリーハンターを務める前に別の番組でコスタリカロケに行ったことがあるが、コスタリカはかなり観光地化されていたこともあり、旅行以上フィールドワーク未満といった感じで準備した荷物に不足が出るようなことはなかった。
「日立 世界ふしぎ発見!」で初めて行った国は、スリナムという南米の国である。中南米地域だから、勝手もそこまで変わらないだろうと甘い考えで赴き、いろんなものが足りず、工夫を重ねて2週間を乗り切ることとなった。足りなかったら現地で買えばいいという甘やかされた考え方はそのとき以来、私の中から取り除かれることとなる。
行った国はどこも大好きになったが、特に思い出深いのは、ガイアナである。首都のジョージタウンからセスナ機で1時間弱かかるジャングルの山小屋に2週間滞在した。ここで見た光景を私は生涯忘れることはないだろう。
川から離れた、草原の、朝露に濡れた背丈の高い草の中に干からびたワニの死体を見た。雨で増水したときに歩いてきて行き倒れたのだろうと聞いた。おそらく、もうかなり時間が経っていて、皮が綻びて半分骨が見えていたけれど、死の生々しさや恐ろしさは感じなかった。
遮るものがない地平線は、確かに地球は丸いのだろうと思わせるほどに緩やかにたわんで見えて、そこからジリジリと昇る太陽に、そこらじゅうがゆっくりと照らされて、ワニは「死んでいる」のではなく、「生きていた」と感じられた。
コロナ禍で、世界の国々を回れなくなってからは、日本各地を取材した。このころ、私は、大学院の修士課程の後半だった。奄美大島のロケの真っ最中に、明日が修士論文の中間試験だと突然知らされたことがあった。
コロナ禍のドタバタに加え、私は少し大学院の年次が複雑になっていたせいで、誰も私が今期で卒業すると思っていなかったようで修士修了予定者の名簿から漏れており、中間試験の連絡が来ていなかったのだ。
実は、私は大学院の修士課程を2回受験している。最初は推薦入試で合格していたのだが、入学手続きを忘れたのだ。私はいつでも至って真剣に生きているつもりなのに度々このような大きな失敗をする。3月2日までの書類を3月4日に発見した。2年住んでいる家の郵便受けの番号も時々忘れる数字に弱い私がここまで数字を正確に覚えているのは、奇跡と言ってもいいほどだ。大変しょうもないことだけど、これもまた生涯忘れることのない強い衝撃だったのだと思う。
その日は、もうどうしていいのか分からなくて、関係各所に連絡を済ませた後、できるだけ楽しくて意味のないことをしないと心が折れてしまいそうで、きつねの着ぐるみを着て公園で花火をした。
師事していた教授の計らいで研究生として登録してもらい、実験を続けながら、半年後に一般入試で受け直して正式に入学した。そのせいで学年がよく分からなくなっていたのだ。
中間試験の存在を前日に知った件について、私にはあまり責任がないのだが、よく失敗する人間に一番大切なライフハックは「他人の失敗を誰よりも許すこと」である。アマミノクロウサギとアマミトゲネズミを探し回った直後に、夕飯をスキップして、夜通し資料を作成し、中間試験(コロナ禍だったこともあり、ポスターと音声の提出だった)をやり遂げた。あのとき、アマミノクロウサギとアマミトゲネズミが素晴らしいスピードで登場してくれたおかげで私の学位があると言ってもよい。
思い返せる直近の人生のイベントが大抵「日立 世界・ふしぎ発見!」と隣り合わせになるように点在しており、結婚して1週間でシンガポールロケと新婚旅行の聖地としても名高いモルディブロケに行った。もちろん一人で。マンタを待つ船の上で噓みたいに真っ赤に焼けながら、新居のガス開通を申し込んだ。
最も波乱の取材となったのは、コロナ禍が始まってすぐくらいの時期に行ったエジプトロケであった。入国した日は、国内での感染者1名と報じられていたが、ロケが始まってから、日本では連日、エジプトのナイル川ツアーの参加者の新型コロナウイルス感染が報じられ始めた。できるだけ人目につかないようにひっそりと取材を続けてなんとかほとんど全ての行程が終了したところで、別のニュースが報じられた。
エジプトが50年に一度の砂嵐と50年に一度の大雨に同時に見舞われるというのだ。その日はロケの最終日だったのだが、前日から盛んに注意喚起がなされ、学校やお店も全て休みになっていた。砂嵐と大雨がぶつかった場合、一体何が起きてしまうのだろうと砂混じりの猛烈な雨を想像して怯えていたが、砂嵐は大雨によって完全に鎮圧され、実際に体験したのは大雨のみであった。しかし、日頃雨の少ないエジプトでは、日本ほど道路の排水機能が整備されておらず、空港までの道は全てだくだくと水が流れ、車に乗っているというより船に乗っているようだった。
波乱のロケも無事に終了と思われたが、トランジット先のドイツで私が飛行機の時間を間違えて乗り逃し、大変な迷惑をかけることとなった。コロナ禍で1日に1本しか飛行機が飛ばない時期だったので、次の飛行機は24時間後だった。
100年に一度級の疫病の流行の中での困難な取材、50年に一度の砂嵐、50年に一度の大雨は乗り切ることができたのに1年に一度級の私の失敗が一番強烈だった。やはり私は今後、500人分くらいは、誰かの失敗を許しながら生きなければ釣り合いが取れないと思う。
私が関わった5年くらいでも思い返せば、思い返すほど色鮮やかな思い出ばかりで、たくさんの夢を見ることができた番組だった。38年という長い時の中で、常に色褪せることなく、古くて新鮮なふしぎを多くの人々に見せてくれた。
一つ叶え損ねた夢は、子どもを産んだ後に海外ロケに行くことである。レギュラー放送としては終了するが、特番としての放送があるので、いつかまた、ミステリーハンターとして世界を飛び回りたいと強く思っている。今は、自分のお腹の中の不思議で精いっぱいな身であるが、もう一人、世界の面白さを伝えたい人が増えた世界で、私はどんなふしぎに出会えるのだろう。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈