宝塚元雪組男役スターへ捧ぐ「さよなら大好きな人」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第7回は先日惜しまれつつ退団した篠原さんのご贔屓のお話です。
※第1回から読む方はこちらです。
#7 さよなら大好きな人
2月11日、贔屓が卒業した。
贔屓というのは、宝塚歌劇団において、自分が一番好きなスターを指す言葉である。歌舞伎や大相撲でも同じ使われ方をするらしい。
昔、SNSで贔屓を「推し」と表現するのを嫌がる人を見かけたことがあり、推しという言葉は使わないようにしていたのだが、宝塚の文化に親しみのない友人に説明する際に「私が一番好きな人」と言ってかえって混乱を招いたこともあるので、ここでは推しという言葉で理解してもらうのが一番分かりやすいかなと思っている。
私の贔屓は、和希そらという人である。
少しやんちゃな風貌と抜群の運動神経、伸びやかで憂いのある歌声。踊っていると、本人どころか、肉体によって切り裂かれた周りの空気までもがかっこいいと感じるようなダンサーであった。冷ややかな色気が映えるからか、最近はもっぱら、「死ぬ役」か「女性を泣かせるタイプの役」のどちらかをやっていて、主演公演では、「女性を泣かせるタイプの役」だったので、「今回はこっちか〜」と思い、観劇していたら、思いきり死んだ。
私は、間違いなく何かのオタクではあるのだが、メインコンテンツが昆虫なせいか、今まで、推しという感覚に馴染みがなく、好きな漫画の話をしても、キャラクターよりも名シーンや作品考察を好むタイプのオタクであり、宝塚においても人より作品に関心があった。
出演者も好きだけど、誰が好きとかではなくて、みんな好き。ずっとそうやって過ごしてきた。
そんな私の胸にある日突然、キラキラ光る隕石が落ちてきたかのようにズドンと刺さった感覚があって、よく見てみたら和希そらという人だったというわけである。劇場でオペラグラスを構えていても、気付いたら、いつの間にか和希そらに焦点が合ってしまうのだ。
初めて特定の誰かの熱烈なファンになって、何に分類すればいいのか分からない感情に出会った。文字にすると「大好き」になるのだが、恋愛感情とは異なる、純粋なるときめきだけが存在する。セスナ機でジャングルに向かってガイアナの空を飛んでいたとき、ふと下の雲を見ると、飛行機の影がまあるい虹の中にすっぽり包み込まれて進んでいたのを見たときの気持ちが一番近い。執着せずに済む、なすすべのない美しさをただ、目に焼き付けることだけが許されている感覚だ。その人にどんな人であってほしいとか、何をしてほしいという理想や希望はなく、とにかく、できるだけ源泉掛け流しのその人を勝手に浴びさせてほしいという気持ちでいる。ちなみに私がファンになる前の情報なので一次ソースには当たれていないのだが、和希そらのお風呂の温度は46℃らしい。かっこいい。
私にも応援してくれる人がいて、誰かの推しという側面も持つ人間だが、私を見つけてくれた人は、道端に一つだけ落ちている面白い形の石ころに目を留めてくれたようなものだと思っている。もちろん、それにはそれ特有の難しさがあって、日常生活の中でアンテナを張っていないとその存在に気が付くことすらない。
そういう形の運命とはまた異なり、宝塚歌劇団で贔屓(たった一人の推し)を見つけるということは、無数の花が咲き乱れる100エーカーの広大な花畑で一番好きな花を1輪だけ見いだすのと同じような難しさがある。
彼女の退団が発表される前日に、別の組のトップコンビの退団が発表され、たまたま宝塚ファンの友人とディズニーランドにいたので、ひとしきり残念がった後で、何か聞き分けの良いことを言っていたと思う。翌日、退団者のニュースに和希そらの名前が載っているのを見て、本気で何を言っているのか理解できなかった。正直、今のタイミングでの退団は全く想像していなかったので油断していた。
「永遠じゃないから美しい」と言われたところで、和希そらは永遠であっても美しいような気がするし、全く慰めにならなかった。
和希そらは、男役としては背が高くない。不利と言える体格で、舞台の上の世界を圧倒的に捩じ伏せるから2倍かっこいい。
私は、161cmで、相対的に小さい方ではないが、自分の理想の身長よりは随分小さく、街でガラスに映る自分が思ったよりも小さいことにショックを受けて過ごしていたので、和希そらのかっこよさにときめきだけじゃなく、癒やしを感じていた。妊娠前は、飯盒炊爨の飯盒のような信じられない厚底の靴を履いて生活していたのに、今はチャパティくらい薄いかかとの靴で生活しなければいけない身の上なのだが、この切なさは和希そらのかっこよさでかなり和らいでいる。
贔屓が卒業するときの千秋楽に、ファンはおのおのが選んだ白い服を着るという文化があり、既に自分の贔屓を見送った経験のある人から一番探すのが難しいと聞いていた白い靴を探してすぐに買った。服はゆっくり探そうと思っていたところで妊娠が分かり、千秋楽のときの自分の体型が予測つかなくなってしまい、ギリギリまで探しあぐねていた。真っ白の上下でマタニティでも着ることができる、それでいてフォーマルで華やかな服なんてどこにもないのだ。そもそも、「ちょっとしたパーティー」なんてほとんどUMAのような存在で、白はNGである結婚式のお呼ばれくらいでしかフォーマルかつ華やかな服を着る場がない日本で白のフォーマルを探すのは困難を極める。
しばらく理想の白い服を探し回って過ごし、最終的に見つけたのは、自宅のクローゼットの中であった。
昔、学生時代に働いていた男装喫茶を卒業するときに着た、白いフロックコートだ。「もう着る機会がないんだろうな」と思いつつ、捨て難くて残していた。ウエストのアジャスターを最大限に広げたらピッタリだったので、それに白いシャツを合わせて千秋楽に着ていった。
このフロックコートはどこかの結婚式で知らない新郎が着ていた、ウェディング用の作りの良いもので、フリマサイトにて中古で購入したのだが、ポケットにくしゃくしゃになった味のあるスピーチ原稿が入っていて、こちらも捨て難く残してある。
退団公演は、コナン・ドイルを主人公に据えたコメディで、和希そらは『名探偵シャーロック・ホームズ』シリーズを連載する雑誌の編集長という役柄だった。久々の健全で幸せそうな役で、寂しい気持ちが増幅されずに済んだのがありがたかった。コナン・ドイルに向けられた言葉を勝手に味わうとはおこがましいのもいいところであるが、作家をやっていてよかったと思う瞬間に贔屓が退団公演で編集長をやっていたことが追加された。度々劇場に足を運んで、迎えた千秋楽、ようやく寂しさよりうれしさが込み上げてきた。
永遠でも美しいと思うけれど、永遠じゃない瞬間の中に滑り込めたことは2倍うれしい。時間が永遠なら、いつかは見つけられたと思うけれど、時間制限のある中で私は好きになるのが間に合ったのだから。さよなら、また会えても会えなくても大好きな人。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈