一生ださくなれない「男装の変人」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第10回はちょっと変わった(?)篠原さんのアルバイト経験のお話です。
※第1回から読む方はこちらです。
#10 男装の変人
私は、働くのが好きである。作家とタレントという今の仕事も好きだが、大学時代のバイトを始めたときから働くのが好きだった。良いアルバイト先に巡り合えたから働くのが好きになったのだと思う。とは言っても、苦手なことが多過ぎて続けられるアルバイトは少なくて、1年を超えて働くことができたのは、塾講師と男装喫茶だけであった。これらの仕事も決して苦手な業務がないわけではないが、苦手なことの数を得意なことの数が上回っていたので、長く続けることができた。昔から「話すこと」と「書くこと」だけがどうにか私を働かせてくれる。昔のようにたくさん授業を持てなくなった今も、籍は残している塾講師歴は11年でいまだ更新中、男装喫茶は4年ほど続けた。
塾講師は私の人生で初めてのアルバイトで、最初に面接を受けに行って採用されたそこでずっと働き続けている。18歳の私というのは、本当に社会のルールを何一つ知らない、害のない妖怪のような存在で、面接を受けたアルバイトはほとんど落ちており、家族でよく行っていた料亭ですら出勤2回でクビになっていた。
私が塾でだけうまくやれたというよりも、ただひたすら、その塾の懐が深かった。塾の面接を受けに行く道で、私の実力では年に2回しか捕まえられない素早いトカゲであるニホントカゲを捕まえるチャンスに遭遇し、見事物にしたので、迷ったあげく、ニホントカゲを持ったまま、面接を受けた。後に一か八かで採用したと聞いた。
この塾に関しては、作家やタレント活動をする中で関わる比率はどうしても少なくなってしまったけれど、それらの生業と同じくらい私に影響を与えた大切な仕事なので、少しずつでも続けていけたらいいなと思っている。話したいことがたくさんあるので、またの機会に改めて書きたいと思っている。
もう一つの長く続いたバイトは、男装喫茶である。一般に馴染みのあるものではないだろうが、コンセプトカフェの一種で、店員が男装している喫茶店である。私は、ここで自分の容姿を好きになる勇気を育ててもらった。
私は、高校くらいからずっと容姿に自信がなかった。小学校から女子校で、自分の容姿を全く気にしたことがなかったのだが、高校以降で運悪く女性に対して治安の良くない男性の群れと人生が交わったことでしばらくの間、呪いに足止めされることとなる。
誰が言ったことでも真剣に受け止めるタイプだったので、「太っていること」と「わきまえた服を着た方がいい」を同時期に指摘されたせいで、しばらく赤いオーバーオールで生活していた。
体型だけではない。私がモテない理由を勝手に考えてくれて、「顔でしょ(笑)」と一蹴した奴もいた。彼がSNSで「眉毛を整えた方がいいと言われたけど、セクハラだと思う」とつぶやいているのを見て、それだけ成熟した倫理観で生きていながら、私の容姿にケチつけたのか……と唖然としたのだが、髭脱毛に通い始めるのを見て、この人にもこの人の地獄があるのだろうと切ない気持ちにもなった。
とはいえ、その人のつらさだったり苦しさだったりを私まで受け止める必要はないので「しょうもないエステ脱毛を選んで、お金と時間を無駄にして髭だけ残れ」という呪いをかけていたのであるが、「人を呪わば穴二つ」とはよく言ったもので、昨年末、私が通っていた医療脱毛のクリニックが、まだ契約した施術回数を残したまま倒産した。
冷静に考えて、人の容姿にあれこれ言うことの正当性は金魚の吐息ほども存在しないし、そういう人間が一番かっこ悪い。容姿は本質じゃないというところまで比較的すぐに気付けたのだが、自分の容姿を否定する気持ちだけは心の奥にこびりついてしまっていた。
だから、私の人生には、絶対に叶わない夢が一つあると思っていた。私は、誰かの王子様になりたかったのだ。「味のある脇役のかっこよさ」を狙っていこうと堅実に考えつつも、「王道の王子様的なかっこよさ」への憧れを捨てられなかった。「ニヤリ」ではなく、「キラリ」と笑ってみたいし、鏡の前ではなく、誰かに笑いかけてみたかった。後天的に王子様になる方法を知らなくて、思いついたのが、男装喫茶であった。容姿が無視される仕事でもないと思っていたし、最初は応募することすら躊躇っていたけれど、こんなことを人生の悔いにしたくない気持ちで行くだけ行った面接で、「V系メイクできる?」と聞かれ、全く知らないくせに「してみます!」と元気よく答え、働き始めることになった。ちなみにそのときのオーナーは思いつきで言っただけらしく、別に誰もV系メイクじゃなかったので、初日にやたら化粧の濃い人と認識されることになる。
ここでもかなりポンコツで失敗ばかりしていた。料理は苦手じゃないのだが、正確な手順で作るのが苦手で、とうとう最後までパスタを提供する試験に合格できなかった。パスタにこだわりのあるオーナーだったので、オーナーの舌を満足させる必要があり、これが結構難しかった。そのくせに、なぜか毎回受かったと一人で勘違いして勝手にパスタを作って提供していたので、私の作るパスタは「脱法パスタ」と呼ばれていた。
一緒に働いていた同僚たちは、本当にかっこいいのにそれを全く鼻にかけず、心の底から優しくて愉快な良い人間ばかりで、人生の中でたった一瞬しかできない仕事であることが本当に悲しいと今でも思っている。もし、私が不老不死の力を手に入れたら、何らかの野望を遂げるために力を使うのではなく、ずっと男装喫茶で働いていたと思う。ここでできた友達はみんな、この先の人生でも大事にしたい人たちなので、結婚式にも来てもらったのだが、誰がどう見ても男装喫茶としか言いようがない、支店みたいな卓ができた。
そんな最高の同僚たちの中で私を一番に思ってくれるお客さんもいた。
私を推してくれる子たちを大切だと思えば思うほど、噓偽りのない言葉しか口にしたくなくて、歯の浮くようなかっこいいセリフは最後まで言えず、「もし、俺が、ノアの箱舟に乗せる生き物を選ぶ係だったら、絶対、人間の代表には君を選ぶよ」と意味不明にノア気取りの愛情しか伝えることができなかった。
去年、好きな俳優であるマッツ・ミケルセンと有料で写真を撮れるイベントに参加してきたとき、高いけれど、マッツ・ミケルセンと写真が撮れると考えたら安いよなあと考えていたら、ふとかつてキャストだった自分が撮ってもらっていたチェキの値段を思い出した。私のちっちゃい写真があの価格なのにマッツ・ミケルセンがこの価格なのは破格過ぎると震えた。
私がアルバイト先を辞めるとき、今まで撮ったチェキを持ってきてくれた子がいて数えたのだが、恐らく総額マッツ・ミケルセン2回分はあった。私の写真に2マッツの価値を見いだしてくれた女の子が今日も地球のどこかで息をしていると思うと、一生ださくなれないなと思う。
そして、彼女たちの言っていたことを信じない人にはなりたくないとも思う。
肉も皮も骨も全部灰になった後に残る魂の色だけが本物だろうと思っていたし、今もその気持ちは変わらないけれど、それとは別に生きている今、肉も皮も骨も愛していいのだ。
今は、誰がなんて言っても、私は、私の顔が好きである。私を美しいと思わない人はいるし、嫌なことを言ってくる人もいくらでもいる。でも、私の顔は彼女たちが好きだと言った顔なのだ。
私が表に出る仕事をしているので、当時男装キャストとしての私を応援してくれた人の中には、今の私の存在と結び付いている人もいるんだけど、基本的に、私は細かい変化はあれど、人生のどの時点で見ても、どんな場所にいても、誰から見てもおおよそ一貫性のある人間で、見ていて違和感はないだろうし、変わらないなと思ってもらえるはずなので普段はあまり気にしていない。
でも、妊娠発表したときに関しては、男装キャストとして出会った私を大好きでいてくれた女の子がショックを受けないか心配して、こっそりSNSのアカウントをのぞきに行ったら、戌の日参りの写真に対して「バカ好み過ぎて、テンション上がってる」と言っていて、強過ぎて安心した。
「昔、箱舟に乗せてあげたいって言ったけど、新たな地球の始祖として箱舟に乗せるには個性的過ぎるから、古い地球で一緒に滅ぼうね。誰もパスタの合否を出せない終末の世界で、地球最後のパスタを勝手に作るよ」
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈