自分を許して一歩踏み出す――「不安を味方にして生きる」清水研 #15 [「こうあるべき」からの解放①]
不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
*第1回からお読みになる方はこちらです。
#15 「こうあるべき」からの解放①
ほんとうの自分はどこにいるのか
第14回では、自分の規範意識(must)から自由になるために行うクライエント(相談者)とのカウンセリングについて紹介しました。
今回も「こうあるべき」から解放される方法について掘り下げていきます。
私の外来でカウンセリングを行った古田恵理さん(仮名・52歳女性)は、乳がんの手術後、再発予防を目的に抗がん剤治療を受けており、半年前に治療が終わったところでした。何度かのカウンセリングを経て、古田さんは少しずつ気持ちが楽になりましたが、簡単に考え方の転換ができない場合もたくさんあります。
「must(~しなくてはならない)」の意識が強い人の苦しみは、いくつかあります。
まず、「きちんとしているべき」との思いが強いので、がんばりつづけようとすることです。へとへとに疲れきってそれ以上がんばれなくなっても、自分自身に対して「がんばらないとだめだ」と厳しい言葉をかけます。
「休みたい」「甘えたい」「弱音を吐きたい」という「want(~がほしい/したい)」の声は、強い「must」の前にかき消されてしまうのです。
また、「want」の声が聞こえないと、ほんとうの自分がわからないとの悩みが生じます。周りの目を気にして生きるのは素直ではない、自分らしさを発揮できていないと、自信を持てません。自分の対極にあるような、「嫌なことは嫌」「好きなものは好き」とはっきり言える人が強く見え、あこがれたりもします。
さらに、感情を押し殺して嫌なものや理不尽なことを受け入れるクセがつくと、喜怒哀楽すべてが凍りついてしまいます。そうなると、生きている実感が失われていくこともあるのです。
1 「must」と「want」を分ける
「must」に縛られて苦しんでいる場合、私のカウンセリングで最初のステップとして行うのは、「want」の声と「must」の声を分けることです。
「休みたい」「自由になりたい」といった「want」の声と、「なまけたらだめだ」という「must」の声がこころのなかで同居していることを知り、それらを客観的な視点をもとに切り分けていくのです。
相反するふたつの声の存在について理解すると、こころの葛藤がどうして起こるのかという苦しみの要因がわかり、気持ちの整理が進みます。
「must」の縛りがそれほど強くなければ、この段階で「want」の声を大切にしていこうと考え、その思いを実際の行動に反映できる人もいます。
2 なぜ「must」が生まれたのかを知る
一方で、「want」を大切にしたくても、長年呪縛のように「must」に支配されていると、簡単には自由になれません。その場合は、次のステップに進みます。
それは、古田さんとのカウンセリングで行ったように、自分の歴史を振り返ることです。生い立ちから家族構成、人生において大切な出来事などを確認すると、なぜ自分のなかに強い「must」ができあがったのか、その過程や理由が見えてきます。
たとえば、ありのままの自分を両親に認めてもらえず、厳しすぎるしつけのなかで、自分を縛る「must」ができあがった人もいるでしょう。古田さんのように、家庭環境から「自分ががんばらなければいけない」という意識が根づく場合もあります。
カウンセリングの際に過去を振り返ることはよくありますが、「このような状況によって〝must〞ができあがったのだ」と気づけたら、変わるチャンスが訪れます。
「must」の正体がわかると、「いまは過去とは状況が異なるのだから、〝must〞の声に従う必要はない」ことも実感できます。そして、確信をもって「must」から自由になれるのです。
1と2のステップを経ても「must」からの解放が難しい場合もあります。 「must」の思考が理不尽だとわかっていても、その声に反抗することは簡単ではないのです。
前回、自分の経験をもとにささやかな「must」への反抗の方法をお伝えしました。私自身も、1と2のステップでは解放されませんでした。
まだ幼稚園に通っていた幼いころ、スキップがうまくできず、ひとりだけスキップの練習をみんなの前でさせられたことがあります。私の不器用な様子に友達は笑い、それ以来幼稚園に行けなくなりました。
私はおっちょこちょいでミスが多く、また気分にもむらがあり、コツコツ努力することが苦手でした。緊張しがちで、試験や発表など本番で結果を出せないこともよくありました。
スキップも試験もいまの時代なら、「それも含めてきみらしさだよ」と言ってもらえたかもしれませんが、昭和の時代背景のなか、私の場合は「もっと努力しないと」「真剣さが足りない」といった言葉を両親や教師から多く投げかけられました。
こうして、いつしか私のなかに、「自分はなまけ者だから、気を抜くとだめになる。だからがんばらねばならない」という強い「must」の声ができあがったように思います。
自分はだめな人間だと自信が持てず、なかなか苦しい状況でした。それでも若いころはエネルギーがあったので、自分を叱咤激励し、「must」の声に従って突き進んだ時期もありました。
けれど中年期になりエネルギーが減ると、そのやり方では立ち行かなくなりました。どうやって自分を奮い立たせてもがんばれず、いままでの生き方を根本的に変える必要が出てきたのです。
生き方をどう変えたらよいのかに対する答えは、おぼろげながら見えていました。自己啓発本の多くにも、「〝want〞の声に従えばよい」と書かれています。
なにより、私が対話したがん患者さんたちが、「他人の期待など気にせず、こころのままに生きればよい」ことを身をもって示してくれていました。
それでも、いままでやったことがない生き方に踏み出すことは簡単にはできず、その後ますます精神的な危機を迎えることになりました。
なぜ私は踏み出すことができなかったのか。
「must」の声に従うのは苦しくて仕方なくても、その生き方を手放すことはとても怖かったからです。
また、苦しいのはたしかでも、「〝must〞に駆り立てられて、ここまでなんとかやってこられた」という実績を感じていたからというのもあります。
「want」の声に従って生きる人生は未知の世界です。私の場合、「自分は根本的にはなまけ者だ」と思っているので、そんな選択をしたらほんとうにだめになり、破滅してしまうのでは、という強い恐れがありました。
前回、これまでと違う人生に一歩踏み出す感覚はバンジージャンプを飛ぶときに似ているとお伝えしましたが、別のたとえで言えば、自分より強い相手に喧嘩を挑むような感覚かもしれません。
私は昔いじめられっ子で、いじめっ子の理不尽な行為に、とてつもない悔しさを覚えました。いじめられた夜には、「明日こそやりかえすぞ。こんな理不尽な関係は終わらせてやるんだ」と誓ったものです。
けれど、一度できあがった弱者と強者の関係性を変えるのは難しく、翌日いじめっ子の前に行くと、こころは萎縮してしまい、同じように負けてしまうのです。
バンジージャンプ、いじめっ子への反抗は私の経験をもとにしたたとえですが、そのように自分を縛る「must」を打ち崩すのは簡単ではありません。
振り返ると、私が勇気を出して一歩踏み出せるようになるまでに7~8年かかったように思います。
3 自分を許し、愛する
以前私が働いていた病院には小児科があり、がんの治療を受けている子供たちと対話することがよくありました。それは、大人になって忘れていた子供のこころの在り方について、あらためて違う視点を通して見る良い機会になりました。
5歳のこころ、8歳のこころ、11歳のこころ、思春期のこころ……それぞれに違いはありますが、みな病気と向き合い、懸命に自分の居場所を探しているように私には見えました。
そんななか、ある日ふと子供のころの自分を思いだしました。自分もあんな幼いときから一生懸命、居場所を探してもがいていたのだと。
そう考えると、当時の自分を慈しむ気持ちが湧いてきたのです。そして、凍りついていると思っていた自分の感情が解けだし、涙が流れました。
そのとき私は、こころに湧いてきた言葉を急いで書きとめました。それは以下のものです。
これは、私が45歳のときでした。こんなに長いあいだ自分のことをだめだと思って生きてきたのかと、あらためて驚いた次第です。
このときやっと、私は自分で自分を許し、愛することができたのだと思います。不器用で無様かもしれないが、そんな自分がここまでやってきたのだと。
長々と自分の話をしてきましたが、私のように「must」の声に簡単に反抗できない人は多いと思います。
自由になりたくても、「自分はだめだ」「がんばらないと、だめになってしまう」など、自己否定の声が聞こえてきて、縛られるのです。
自分の経験からですが、そんな場合には「いろいろな事情から、長年苦しみながらも、なんとかここまで投げ出さずにやってきたんだ」といった具合に、「must」に縛られている自分を許してあげられれば、最初の一歩を踏み出せるのではないでしょうか。
清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。