「must」から「want」へ――「不安を味方にして生きる」清水研 #14 [こころの着地点を見つける②]
不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
*第1回からお読みになる方はこちらです。
#14 こころの着地点を見つける②
「must」の自分から自由になる
第13回でお話しした、抗がん剤治療の終了後、なかなか体調が元に戻らない古田恵理さん(仮名・52歳女性)が、また私の診察室を訪れました。
前回の診察の際に、きちんと家事をこなせないご自身のことを否定する古田さんに対し、私は「なぜ自分のことは厳しく律しようとするのか、考えてみてください」とお願いしました。そのときから2週間がたちました。
清水:前回、古田さんは自分に厳しい考え方をするとお話ししました。その後どのようにお過ごしですか?
古田さん:相変わらず「こんな自分じゃダメだ」と思ってしまい、落ち込んでいます。先生に言われて、「そこまで完璧を求めなくてもいいじゃない」と思うのですが、つい「それじゃダメだ」という思いが勝ってしまうんです。
清水:なぜ自分をそこまで律するようになったのか、その原因を考えてみたでしょうか?
古田さん:いろいろ考えてみましたが、あまり思いあたりません。やっぱり自分が弱い人間だからではないでしょうか。
「must」から自由になる方法は、その程度によってさまざまです。自分の規範意識(must)が強すぎると気づき、意識的に改められる人もいます。
一方で、古田さんもそうですが、自分の規範意識が強すぎると気づいても、なかなか考え方のクセから逃れられない人は多いのです。その場合、次のように過去を振り返る作業をします。
まず、ある質問から始めます。
清水:子育ての経験がある古田さんなら実感されているでしょうが、子供は完璧主義ではないですよね。古田さんも、幼いころはのびのびと自分の欲求や感情のままに生きていたでしょう。いまのように完璧主義になったポイントがあったと思うのですが、いつからそのような「きちんとしなくては」という考え方が芽生えたんですか?
古田さん:父によると、小さいころの私はやんちゃでわがままだったそうです。変わったのは、12歳のときに母が病気で亡くなってからかもしれません。仕事をしながら私と2歳年下の弟を育てていた父はとても苦労をしていました。そんな父を見て、心配や迷惑をかけてはいけないと考え、家事を手伝うようになりました。
清水:古田さんなりに、家族を守ろうとがんばってこられたのですね。
古田さん:父が「恵理ちゃんが手伝ってくれてとても助かるよ」とほめてくれると、とてもうれしかった。母はしっかりした人だったので、子供ながらに、母の代わりになろうとしていたのかもしれません。父から「そんなにがんばらなくてもいいよ」と言われるくらい、しっかりしようとする意識に拍車がかかっていました。
家族を支えようとずっと一生懸命だった古田さんの小さいころの姿を、私は想像しました。古田さんがなぜそこまできちんと家事をこなすことに執着するのか不思議に思っていましたが、子供のころのエピソードを聞いて、謎が解けた気がしました。そして、次のように声をかけました。
清水:古田さんのきちんとしなければならないという考え方は、子供のころの経験からできあがったんですね。「お父さんに迷惑をかけないよう力になりたい」と、小さいころからがんばってきたのでしょう。
しかし、どうでしょう。いまはご主人や娘さんを頼っても十分やっていけるんじゃないですか。
古田さん:そうかもしれません。夫も娘もとてもやさしいから、甘えてみようかしら。
その後外来でお会いしたとき、ご自身をがんじがらめにしていた「must」から少し解放されたのか、古田さんの表情はこころなしか柔らかく見えました。
そして、古田さんは少しずつ、家事ができないときも「体調がよくないのだからしょうがない」と思えるようになり、ご家族と協力しながら対応できるようになったそうです。
「must」の探求プロセス
カウンセリングや精神科の診察では、生い立ちからその人の歩んできたプロセスをお聞きすることがあります。その目的のひとつは、古田さんのケースのように、その人の「must」ができあがったプロセスを一緒に探求することです。
古田さんは、わずかなヒントをもとに自分の「must」に気づきました。多くの方は1回のカウンセリングではたどりつかず、生い立ちから現在にいたるプロセスを何回かに分けて振り返り、「ある経験が大きく影響している」と共有していくことが多いものです。
私の場合は、この作業に取り組むときに、患者さんに事前課題として以下の6項目について、ご自身で振り返って紙に書いてもらうようにしています。
1 どのような家族(親)のもとに生まれ、どのように育てられたか
2 少年・少女時代はどのように過ごしたか
3 思春期にはどのようなことを考えたか
4 成人してからはどのように社会(仕事、家族、友人など)と向き合ってきたか
5 病気になるまえはどのようなことが大事だと考えていたか
6 病気になるまえはどのようなことが嫌いだったか
私たちは自分自身の歴史のなかで生きています。幼児期に親や周囲から教えられた価値観、学童期に仲間とのかかわりを通して学んだこと、思春期に思い立ったこと、成人して社会のなかで経験したことなど、人生には一連の重要なできごとがあります。
それらについて順を追って物語ることによって、自分がどんな人間で、どんな人間になろうとしているのかが立体的に見えてきます。
事前課題に取り組むだけで、いろいろな気づきがあったという患者さんもいるので、みなさんにも試してほしいと思います。
そして、「must」に縛られた生き方が立ち行かなくなっているとしたら、自分の「must」がどういうもので、どのようなプロセスによってできあがったのかを理解し、勇気を持ってその「must」に背いてみましょう。
「must」への反抗の仕方
私の場合、初めて「must」に反抗した経験は印象的なものでした。遅いと思う方も多いかもしれませんが、それは40代半ばのことでした。
私は父から「社会のために役に立つ人間になれ」と教えられ、それが私の「must」になっていました。そして、仕事を最優先に取り組むことで、「must」の要求を満たそうとしていました。仕事関係の依頼は、どんなにやりたくない気持ちが起きても、がんばって取り組んでいたのです。
けれど中年期になり、それまでのようなエネルギーが枯渇すると、こころは悲鳴をあげるようになりました。自分の心理状況を分析し、「こうあらねばならない(must)」を手放す必要を頭では理解していましたが、実行に移すのはなかなか大変でした。
思いきって手放せば楽になるとわかっていても、手放した経験がない自分には一歩を踏み出すのが難しかったのです。大丈夫だとわかっていても高い飛び込み台の前で足がすくむような、バンジージャンプをなかなか飛べないような、そんな感覚だったように思います。
そんな私にも転機が訪れました。その日は仕事関係の会合に参加を予定していましたが、自分がいてもさして意味がないように感じ、まったく気が進みませんでした。
折りしも、こころを惹かれていたターシャ・テューダーという絵本作家の人生を描いた映画が上映されており、その日を逃したら見逃してしまうかもしれないという気持ちもありました。会合に出なくてもペナルティがあるわけではなく、私は勇気を出して出席を断わり、映画を見にいったのです。
ターシャ・テューダーは、50代後半でアメリカの田舎町に移り住み、自給自足に近い一人暮らしを始め、生涯それを続けました。そのライフスタイルはアメリカのみならず日本でも話題となり、熱心なファンを獲得しています。
映画では、「自然の美しさのなかで過ごす日々は、毎日がバケーションのようだ」との言葉どおり、まさに自分のこころのままに生きているターシャ・テューダーの姿が描かれていました。映画が終わったときは感動に包まれ、こころが温かくなっていました。
その夜、眠りにつくときも、ほかほかとしたこころは変わらず、充実感でいっぱいでした。いままでの自分にはなかったもので、「この方向でいいんだ」と、確信めいた感覚がありました。
それからは、「must」に背いてもいいと自信を持ったこともあり、反抗のやり方が徐々に大胆になり、自由になっていきました。
自分の経験からいうと、いきなり転職といった大きなことに踏み出すまえに、ささやかな「must」の反抗をお勧めします。リスクが少ないことを手始めとして、実験的に、自分が求めている方向性はこっちなのだろうかと探りながら試みるのです。
そうすると、「want」の自分が「こっちでいいんだよ」というレスポンスを、ささやかなかたちかもしれませんが、してくれると思います。
こころが危機的になっているときに、理性的、理論的な考えだけで選択しては、道に迷ってしまうかもしれません。胸に手をあて、「こっちでよかったのか?」という「want」の自分との対話が重要でしょう。
もうひとつ私が試みている方法は、ワクワクしたことにはコストがかかったとしてもきちんと取り組むということです。
たとえば、着てみたい服があったら、量産品より割高でも買って着てみることです。行ってみたい場所があれば、時間をかけてでも行ってみる。これも、コストパフォーマンス重視の「must」から離れて、感性優位の「want」を大切にする方法のひとつでしょう。
一時期「コスパ」という言葉がもてはやされて、そのことばかりを気にする人も少なくないような気がします。コストパフォーマンスを究極に最大化した人生は幸せなのかというと、そうは思えません。
では「must」から自由になり、「want」が主体になった人生とはどのようなものでしょうか? それについては、また改めて書いていきたいと思います。
清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。