凍りついたこころを溶かすふたつの変化――「不安を味方にして生きる」清水研 #16 [「こうあるべき」からの解放②]
不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
*第1回からお読みになる方はこちらです。
#16 「こうあるべき」からの解放②
ふたつの変化――①怒りの感情
第15回では、カウンセリングでのやりとりと私の経験をもとに、「must(~しなくてはならない)」から自由になるためのプロセスについてお伝えしました。
私の場合、だめだと長いあいだ思ってきた自分自身を許すことができてから、「must」の呪縛が緩んできた感覚がありました。そして、少しずつ自分を大切にしたい、自分を愛する気持ちが湧いてきたのです。
そうなると、不思議なことにふたつの変化が自分のなかに起きました。
ひとつは、理不尽なことに対して怒りの感情が湧くようになったことです。
それまでは私のことを軽んじる態度や行動をとる人に対して、「しょうがない、自分が我慢すればいい」と耐えていました。自分の態度が相手の増長を許し、横柄な対応に拍車をかける状況を作ったのかもしれません。そういったことの積み重ねから、ますます虚しさが募ったように思います。
自分を愛するようになると、相手の無礼な言動に我慢できなくなりました。自分をからかう発言には腹が立ち、「そんなことを言われる筋合いはない。発言を撤回してほしい」と求めたこともありました。
また、頼まれごとを引き受けたあとに感謝の言葉すらないと、「なんだと思っているんだ。この人の頼みは二度と引き受けない」とこころのなかで誓うこともありました。
振り返れば些細なことに腹を立てたようにも見えますが、当時は「want(~がほしい/したい)」の自分を守ろうと、必死だったと思います。
ふたつの変化――②「自分がしたい」ことをする
もうひとつの変化は、「自分がしたい」ことをしよう、となったことです。
たとえば、行きたいコンサートがあり、東京の公演はチケットが売り切れていて、名古屋ならまだチケットがあるとします。それまでの自分だったら、「名古屋まで行くこともないな」とあきらめていたでしょう。それが、「コンサートに行きたい」という胸の高鳴りを少しでも感じたら、「これは行くしかない」という気持ちに変わったのです。
日常的な話ですが、コンビニで昼食を選ぶときも、それまではカロリー表示をもとに太らないものにしようなどと考えながら選んでいました。それが、こころが「食べたい」とメッセージを発しているものを選ぶようになりました。胸に手を当てて考えると、「今日はカツ丼が食べたい」と、「want」の声が聞こえるのです。
なぜこんなことをしていたのか。「want」の声をキャッチして行動することで、自分自身の「want」を育てようとしていたのだと思います。「want」がメッセージを発しても、自分が無視していたら、その声はまたしぼんでしまうからです。
このふたつの変化が、私にとっては「want」を解放するためのプロセスだったのだと思います。変化を経て、喜怒哀楽などの感情がだんだん豊かになりました。
ふたつの変化ののち、紅葉シーズンに軽井沢に行ったとき、圧倒的な美しさをこころいっぱいに感じ、涙があふれてきました。凍りついていたこころが解け、こんなふうに感じられるようになったのだと、うれしかったのを覚えています。
カウンセリングでの失敗
「must」から自由になったばかりのころは大きな解放感があり、こころは晴れ晴れとしていました。いじめっ子がいない平和な世界に来たような安心感もありました。
当時の自分はその感覚をクライエント(相談者)にも味わってもらいたくて、「must」思考が強い人には勇気づけようと、「早くその考えを捨てて楽になりましょう」と強く勧めることがありました。いまでは大変申し訳ない気持ちですが、自分の思いが強すぎて、押しつけの部分もあったかもしれません。
私の強いはたらきかけが効果的だったと思える方もいる一方、「must」が強くてもその人自身が変えたいと思わなければ、自分の生き方を否定されたと感じたクライエントもいたかもしれません。
また、「must」に反抗したくてもなかなか実行に移せなければ、「せっかく勇気づけてもらったのに、いまだに縛られている自分はだめな人間だ」といった、自己否定の上塗りにつながってしまったかもしれません。
それでは、「must」から解放されるための「自分を許し、愛する」ステップと逆行しています。
カウンセラーはクライエントの気持ちを尊重し、傷つけないように最大限の配慮をしなければなりません。当時の私は自分の気持ちが先走ったときもあったと猛省しています。
こうしてあらためて振り返り、カウンセリングを続けることに恐れを感じる一方で、これからもできるだけ自分を省みながらこの仕事を続けるしかないとの思いにいたりました。
カウンセリングは悩みを解決する機会になるので、もしカウンセリングを受けたいと思っているなら、その気持ちがしぼまないようにと願います。
けれど医療行為に副作用があるように、カウンセリングには傷つくリスクがあることもたしかです。
納得がいかなければカウンセラーの言うことを受け入れる必要はありませんし、相性が合わない場合は躊躇せずにカウンセラーの変更を検討してもいいでしょう。
「must」が強い人にはやむを得ない事情がある
では過去の反省のもとに私のカウンセリングがどう変化したかというと、クライエントの「must」に支配されている生き方をまずは肯定するようになりました。
たとえば前回も登場した古田さんは、12歳のときに母親が亡くなり、苦労していた父親を目の当たりにして「長子の自分がしっかりして父を助けなければならない」と思ったことが「must」の発端です。
その状況であれば、無邪気に過ごしたい子供の気持ちを封印して、家族のために大人びて生きようとしたことは、ある意味必要だったと思います。
別の男性の患者さんは両親から強い期待を受け、社会的に成功することを課されました。彼は子供のとき、学校の成績が良いと母親に褒められ、悪いと激しく怒られました。そうして成長し、「優秀な自分でないと愛されない」との「must」ができあがったのです。
こういうタイプはリーダー型が多く、社会的に成功している人もよくいます。一方で、成功しつづけないといけないというプレッシャーに押しつぶされそうになっている場合も多く、何かのつまずきをきっかけに、もろく崩れてしまうこともあります。
私はカウンセリングのなかで、こういった事情や背景を細かく聞いていきます。そのうえでクライエントには、体験によって強い「must」ができあがり、葛藤する苦しみが生じるのは理解できるし、その「must」からすぐに自由になれないのも当然かもしれないといったことを伝えます。
それとともに、苦しみながらここまでやってきた道のりに私もともに想いを馳せます。簡単でなくても、このようなプロセスを丁寧に積み上げていくことで、「自分を許し、愛する」ステップが進むことがあります。
けわしい道のりを一歩一歩いっしょに進むように、カウンセリングのなかで自分自身を認めていくための作業をクライエントとともに続けるのです。
清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。