雰囲気優等生にだまされるな!「人間の警戒色」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第16回は篠原さんの引っ越し早々にやってきたピンチのお話です。
※第1回から読む方はこちらです。
#16 人間の警戒色
臨月に家を探し、産後の入院中に転居の手続きをして、里帰り中に引っ越しを遂行し、どうにかこうにか生活が落ち着いて一息つけると思った瞬間に、マンションの管理会社から電話がかかってきた。
引っ越して2か月も経たないというのに、繰り上がりと順番の都合で、私が今期のマンションの管理委員会の役員になってしまったというのである。
大変なことになってしまったと思った。思わず、「それはさすがに大人のやることじゃんかよ!」と思った。
私だって普段は、年齢相応に大人である自覚を持っていると思う。美術館やカラオケに行けば、もうスタッフの人から聞かれなくもなっているのに、「学生証持っています」とヘラヘラ自己申告して学割を使ってはいるけれど。それでも、年を重ねてきた感覚や若い世代が歩む未来が良きものであれと願う気持ち、それに伴い自分が取るべき態度なんかが備わり始めて、「ちゃんと大人になれたじゃん」と思いながら日々を過ごしてきた。
しかし、マンションの管理委員会の役員が回ってくるほどの?大人だとは思っていなかったのだ。
私は、来年30歳になるが、就職をしたことがない。
幼稚園児の頃、大学生になるのが夢だった。なりたいもの何にでもなって戦うレギュレーションの遊び「なんでもごっこ」では、周りがスーパー戦隊やポケモンになっていた中、私は具体的にどんなものか分からないまま「大学生」で参戦していた。今思うと、戦力差としてはかなり無謀な戦いである。
そんな訳で念願かなってなった「大学生」(院生含む)をかれこれもう11年間やっている。おとぎ話の呪いのようだ。
「社会人経験がない」というと、会社勤めじゃないだけで立派に働いていると思われ、優しくフォローしてもらうことがある。気持ちはありがたい。
しかし、厳密には、働いているものの「社会人経験がない状態の人」を想定しておいてほしいという意味である。
何が困るかというと、社会人経験がある人がおおよそ持っているであろう常識を期待されると期待に沿えないことが多いのだ。
確かに日々の生活の糧を自分で稼ぎ上げてはいるが、毎日会社に通っているわけでもなければ、フリーランスのように自分で全てを切り盛りできているわけでもない。
実態としては、所属している事務所のマネージャーさんに、珍獣のように手厚く世話を受けながら、自分自身だったり、このエッセイのような文章だったりを見せているだけである。私にとっての仕事とは、篠原かをりの生態展示であり、日々、どんな気持ちで仕事をしているかというと、世間との触れ合いコーナーだと思って意気込んでいると言える。
今思えば私の社会性を心配してだったのか、父が申し込んでくれた新社会人研修に行ったときのことである。チェック項目が記された紙を渡されて、隣同士ペアになり、互いに常識ある社会人としてふさわしい、失礼のない服装かどうかを確認して、身だしなみについて指摘し合うという取り組みを行った。金髪と厚底で参加していた私は、頭のてっぺんから足の先まで失礼な装いということで、「一応チェック入れときますけど、きっと、服装自由なお仕事なんですよね……?」とペアを組んだ人を困惑させてしまったことがある。
なめてかかっていたわけではなく、金髪は一度染めるとなかなか元に戻せないからその数日のために染め直すのももったいないと思い、厚底は唯一持っている黒い革靴だったから履いていったのだ。他に持っている靴は、知人に「悪質なミニ四駆」と呼ばれている棘だらけの炎柄のブーツとか、蛇柄と花柄が混ざった黄色のスリッポンなどだったのである。もし、野山でこんな生き物を見つけたら、間違いなく触れない方がいいだろう。
そんな訳で、自分自身をマンションの管理委員会の役員を務められるようなまっとうな大人だとは思えなかったので、不安にさいなまれ、役員になったことにかなりしょぼくれてしまった。
「せめて、常識的な大人に見える服を着ていこう」と焦りながら、手持ちの服の中から、辛うじて話が通じそうな人に見えるであろう服を選んでいる私に、夫が「常識的に見えて良いことないのでは?」と声をかけてきた。そして、「持っている常識に見合った服がいいよ」と続けた。
なるほど一理ある、と思った。服装こそ変わっているが、元来私は、しっかりしてそうに見える方である。物心付いたときには、いわゆる劣等生だったのだが、何もしていないと優等生っぽいのだ。
模試では一度も合格圏内に入ったことがなかったのに、小学校受験で、倍率の高い第一志望に合格したのも、なんとなくしっかりしてそうなこの顔立ちのおかげであったと思う。
そんなこと言って、実は相応の実力を発揮していたのではないかと思われるかもしれないが、受験時に、まだご飯を手摑みで食べていたので、母が手摑みで食べられるものばかりのお弁当を持たせて、事なきを得たほどである。
これは、お受験の常識からするとかなりあり得ないことなので、通っていた幼稚園では、父親がアタッシュケースに現金を詰めて小学校に持っていったと噂が流れた。
この真面目そうな顔立ち一本でやってきたのだ。得をしたかというと、なんとも言えない。進学した学校では、小1から高3まで落ちこぼれ続けることになった。
うっかり入学してしまった私の幼少期は不憫なものとなったが、合格させてしまった学校も不幸であったと思う。もし、紺色ワンピースではなく、蛇柄と花柄を混ぜたような服で挑んでいたら、このようなミスマッチは起きなかったと思う。その点、今の私は、一目で常識が欠けていそうだと分かる。生まれ持った好みではあるが、結果として私は、有毒生物ならぬ、非常識生物であることを周りに知らしめているのだ。
ちなみに弟は、母親が当時ハマっていたベッカムのユニフォームを着せられてお受験に挑み、当然のように落ちた。ほぼ全員白シャツと紺色ベストで受けに行く学校だったので、「ベッカムのユニフォームで行こう!と考えるご家庭は、入学後に足並みを揃えるのが大変だろうから」と、どんなに弟が魅力的な子どもでも合格は出さなかったのだと思う。私もベッカムのユニフォームで行きたかった。
小学校受験以外でも、何かを習得する際には、できていそうに見える雰囲気のために何かと安心されて見逃されがちなので、気が付くと取り返しのつかないほど取り残されていることがある。
例えば、説明がかなり進んだところで、実は分かっていないのでは?となって確認していくと、まさかそんな序盤から分かっていなかったのかと絶句されるなど……。
理解できなくなったところで聞けという話だが、分からないときにそこで手が止まるのではなく、何も考えずにとりあえず進めてしまうという悪癖があるので、自分でも分かっていないことが分かっていないのだ。
ちなみに、複数人で歩いても、全く道が分かっていないのにどんどん進んでしまうので、自信にあふれた歩みにつられてみんながついてきてしまい、パーティー全員を迷わせることがある。
しっかりした人だと誤解されて、責任のあることを任されてしまったら、大変である。これは怠惰ゆえではなく、このマンションに住まうみんなのためを思ってのことである。
誤解のないように、ちょうど自分の持っている常識に見合うが、周囲に対して失礼には当たらないくらいの格好をして総会に向かうと、思いのほか参加者の皆さんの服装に堅苦しさはなく、思い思いのカジュアルな装いであった。けれど私と異なるところとしては、全員事前に配られた資料を持っていた。私は配布された瞬間無くしていたので、まあいいかと思って、丸腰で向かったのである。初めましての挨拶とともに、無事、重要なことを任せられる人物でないことが伝わったのではないかと思う。このくらいの常識を持った人間なりに精いっぱい頑張っていこうと思うのでぜひ、よろしくお願いしたい。
結局のところ、私の常識は、金髪で厚底の頃から微塵も増えてはいないし、布一枚では隠しきれないのだ。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈
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