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みんなで使えば高くない?!「人生で一番高い買い物」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」

動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第17回は篠原さんが届くのを楽しみにしている、大切な家具のお話です。
第1回から読む方はこちらです。


#17 人生で一番高い買い物

 最近、ダイニングテーブルを買った。
 かなり高かった。私は自動運転が完全に実装されるまで、車を持たないことにしているので、自分一人で買うものとしては、今までの人生で一番高い買い物であるし、恐らくこれからしばらく一位を守り続けることだろう。

 なぜ車を持たないかと言えば、免許がないからである。免許を持たない理由は、両親に反対されているからだ。29歳で、私自身も人の親になっているのに、親の反対に素直に従うのかと違和感を覚える人もいるかもしれないが、これがなかなかに説得力のある反対だったので、私は免許を持たないことにした。
 まず私は、子どもの頃から両親に何かを反対されたことがほとんどない。例えば、叶うはずがないと思うほど途方もない夢を見ることや、将来を考えると安定性に欠ける選択すること、危険の伴う興味に向かっていくこと。いずれも「できない」とか「危ない」と止めるのではなく、私がやることは当然としたうえでサポートをしてくれた。
 ところが、車の運転となると話が違う。操作を誤った時に他者に影響を及ぼす可能性が高い。それは私の興味の範疇はんちゅうにとどまるものではないので、初めて「危ないから」という理由で止められた。両親は、価値観が割と離れているので、意見が一致することは少ない。それが満場一致の反対だったのが、新鮮で説得力があったし、両親から特に反対されていなかった弟が1回通えば免許が取れるはずの自動車学校に3回通ってまだ免許を取れていないという事実も後押しして、自動車免許を取ろうと考えることはなくなった。

 そろそろ買い物に話を戻していこう。厳密に言えば、昨年の夏に受けたICL(眼内に特殊なレンズを挿入することで近視や遠視を矯正する手術)の方が高いが、物として手元に残っているわけではないので、「買い物」としては、ダイニングテーブルが一番高い。今後文明が進んで、食洗機や乾燥機付き洗濯機に並ぶような画期的な家電や自動運転機能付きの車が出現しないかぎりは、私の人生で一番高い買い物になる可能性もかなりある。
 私は、部分的にケチだ。正直なところ、そんなに稼ぎは悪くないのだが、物を買うことに少しだけ恐怖心がある。観劇のチケットに関しては、当たれば当たるだけうれしくて、それが合計いくらかなんて考えたことがないというのに。
 私はなんと言っても、うっかりミスが多い。何でも応援してくれる両親が車の運転だけを許さなかったくらいには、うっかりしている。うっかり物も無くすし、うっかり物を壊す。だから、形ある物に思い入れを持ち過ぎることが怖いのだ。

 結婚指輪も、「思い入れが持てるデザインであること」の他に「買い直せる価格であること」「買い直せるブランド・シリーズであること」を考えて選んだ。もっと浮かれて選んでもいいタイミングの買い物だったはずであるのだが。購入してから3年近くたつが、今もまだ手元に存在しているというのは、望外の結果である。指輪をつけたまま、木を揺らしたり、土を掘ったりしていたせいで割と傷はついているが、輪っかの形を保ったまま、見えるところに存在しているというのは、100点に近い。
 「一生物」に憧れがあるものの、一生使えるような金額のジュエリーやバッグを買うのはまだ怖い。私も少しずつ成長していて、年々物をなくさなくなっているので、いつか買う時が来るかもしれないけれど、今ではない。
 「欲しいものは、早く買った方が日割りで考えれば、安い」という考え方もあるし、年々、一生物と言われるようなブランドの値段自体が高騰していることも存じているのだが、どちらにせよ、無くさないことが前提になっていると思う。

 ダイニングテーブルの最も良い点、それは無くさないことだ。
 ICLのレンズも無くす心配がないので心穏やかに支払うことができた。
 これは、笑い事ではない。私は一人暮らしの頃、アイロン台を3回無くして、その度に買った。そして、引っ越しの時に計4台のアイロン台が勢ぞろいして頭を抱えた。一体、今までどこに行っていたというのだろう。ちなみにその頃住んでいた部屋は、8畳のワンルームである。
 私にとって、自分より小さいものは、砂漠の砂つぶと同様なのだ。
 ただ捜し物が苦手なわけではない。なんと言っても、私は修士時代に、解剖バサミの刃を入れた途端、どこかへ飛んで行ってしまった2mm四方の実験サンプルのカケラを誰よりも早く見つけ、誰かが海に貴重品を落とせば必ず私が見つけるほどの捜し上手である。今までに海の中から、スマホを2回、眼鏡を1回救出した。だが、それ以上に無意識でどこかにやってしまうことが上手すぎてしょっちゅういろいろなものを無くしている。今も、今世紀最大級に楽しみにしているライブの最前列のチケットを紛失して、家中ひっくり返していたところである(無事、見つかった)。全く難儀である。

 そして、ちょっとやそっとのうっかりミスでは壊れそうにないところも良い。
 自分の物にはケチ気味な私も赤ちゃんの物には、躊躇ちゅうちょなくお金をかけているのだが、最近は、離乳食も温められるという将来性を見込んで買った哺乳瓶ウォーマーの真横でフライパンを火にかけたせいで壊した。残念ながら、せっかく多機能に作られた哺乳瓶ウォーマーだったのに、私のせいで離乳食までたどりつけなかった。

 新しく買ったダイニングテーブルは6人掛けの大きなもので、天板がオーバル型で大理石調のセラミックで出来ている。そして、遠目に見ると少し虫っぽい。実際に家に届くのは、今月の末頃であるが、今月引き落とされる明細の額が、確かな存在感をもって私にこれからも頑張って働けよと訴えかけてくる。

 今うちにあるダイニングテーブルは、木製で天板が正方形の小さなテーブルだ。中古で椅子2脚とセットで22,000円のものを買った。
 一人暮らしの時から、今までほぼ毎日使っているので、1日当たり10円くらいになる。完全に元は取ったと言ってよいだろう。ところが、新しいダイニングテーブルを同じく1日当たり10円になるくらいまで使い込もうとすると、私も200歳が見えてくるくらいの年月が必要になってしまう。
 ただ、ダイニングテーブルのもう一つの良い点は、私一人で楽しむものではないというところだ。来月には、赤ちゃんの離乳食も始まる。今まで、大人の食事中は、揺りかごに乗って、文字どおり指をくわえて待っていてもらったのだが、満を持して食卓に加わってもらうことになる。
 それに6人掛けという大きさを選んだのは、家族以外とも食卓を囲みたいからだ。
 友人の皆様、これから友人になるかもしれない読者の皆様、是非、私の人生で一番高い買い物であるダイニングテーブルでたくさんくつろいで、このテーブルの日割りの金額を安くしに来てください。

完全に元を取った旧ダイニングテーブル:篠原さん提供

第18回へ続く(2024年11月27日更新予定)
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プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)

1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。

バナーイラスト 平泉春奈

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