見出し画像

マツコの番組で伝えたかった、「しっとりチャーハン」の本当の意味(大衆食ライター・刈部山本) 【前編】

90年代、パラパラチャーハンが世を席巻し、「チャーハン=パラパラ」のイメージが固定化しました。これに対して異を唱えたのが、2015年、TBS系「マツコの知らない世界」に出演し「おいしいチャーハンはしっとり」と打ち出した、大衆食ライターの刈部かりべ山本さん(48)です。そのメッセージにこめた思いや、その後の反響、直面したジレンマについて伺いました。


■「半ドンの昼ご飯」と「町中華の出前」がチャーハンの原体験

町中華の「しっとりチャーハン」/ 画像・山本さん提供(以下も) 

──2015年放送のTBS系「マツコの知らない世界」で、山本さんは「おいしいチャーハンはしっとり」と、パラパラチャーハンに異を唱え、話題を呼びました。

僕が子どもの頃食べていたチャーハンは、学校が半ドン(午後半休) の土曜の昼ご飯と、近所の町中華の出前でした。

家のチャーハンは、母親が冷やご飯と冷蔵庫の残りもので適当に作る感じのもので、ダマがあったり、油でベッチャベチャしてることもありましたが、気にすることなくおいしいと思って食べていました。

出前で取る町中華のチャーハンも好きでしたね。米の甘みの水分を含んで、しっとりしていて。

ところが、90年代に「パラパラチャーハン」ブームが起きると、猫も杓子しゃくしも「パラパラ」を追い求めるようになり、僕がおいしいと思ってきたチャーハンは下に見られるようになった。

家庭では、主婦が「うちのチャーハンはパラパラでないからダメなのかしら」と悩んだり、子どもが「お母さんのチャーハンはパラパラじゃないね」と言うようになったりもして。

──店もパラパラを意識せざるをえなくなりますね。

そんな中、僕は生まれて初めて「おいしくないチャーハン」にも遭遇しました。

その店は、若いスタッフが運営する、元気と威勢の良さが売りみたいな中華居酒屋でした。鍋の音をガンガン鳴らして作っていましたが、出来上がったチャーハンはパラパラを通り越し「パッサパサ」。ご飯の水分はとび、レンゲですくうとポロポロこぼれ落ちました。

自分が好きで食べてきたチャーハンが低く見られるようになった一方で、こんなチャーハンをみんな本当においしいと思って食べているのか……?

違和感が深まりました。

──パラパラへの、過剰さはどこから来たのでしょう?

恐らく、一つは周富徳さんが、中華鍋でチャーハンをパラパラ舞わせていたビジュアルの影響が大きいと思います。

それと、90年代バブルの頃、エスニック料理など本場の本格料理がいろいろ入ってきました。その中で「本格料理=正解」みたいな妙な序列ができ、町中華や家庭料理などが一段低く見られるようになったのだと思います。

──山本さんの「違和感」は、その後、番組出演にどうつながっていくのですか?

僕は90年代半ばからミニコミ誌を出していて、2014年冬に「街道deしっとりチャーハンを食う ~no more パラパラ!~」という特集号で問題提起しました。それが「マツコの知らない世界」の番組スタッフの目にとまったのです。

■板橋には奇跡的に昔ながらの町中華が多く残っていた 

町中華のある風景

──番組では東京・板橋区を「しっとりチャーハン」の聖地として、5店紹介しています。連載67回に登場した「丸鶴」も出演しました。

最初、番組出演のオファーが来た時に断ったんです。僕はチャーハンは好きで、それなりに食べてきましたが、全国津々浦々食べているわけではないので。
ミニコミも板橋をメインとする「川越街道の町中華」に限定した内容でした。

でも、逆にエリア限定も面白いという話になって、「板橋チャーハンの世界」というくくりで出演することになったのです。

──板橋に着目した理由は?

僕は埼玉県の川口市出身で、10年ほど前に板橋に引っ越しました。その頃、千駄木でおひとり様専用の喫茶店をやっていて、自転車で通える距離だったんです。

仕事を終えて夜ご飯を食べると、板橋には僕が子どもの頃に好きだったチャーハンを出す町中華がたくさんあることに気がつきました。

東武東上線の急行の止まらないエリアは開発を逃れ、奇跡的に昔ながらの昭和の町中華が多く残っていたんです。

■番組放送後の反響にジレンマ

番組出演のきっかけになった、山本さんのミニコミ

──マツコさんは番組で「パラパラブームに警鐘を鳴らしたんじゃない?」と言っていましたが、反響はいかがでしたか。 

紹介した店には行列ができ、メディアにも多く取り上げられました。「しっとりチャーハン」も認知されるようになり、良かったと思います。しかし一方で、僕自身はジレンマを抱えることになりました。

──ジレンマとは?

「しっとりチャーハン」が食べられるのは番組で紹介した店だけでないのに、そこにばかりお客や取材が集中しました。
また、それらの店をあたかも自分で見つけたていの取材記事やまとめ記事もたくさん出ました。

番組でも話したのですが、町中華のチャーハンは基本「しっとり」です。だから、家の近くにも店はきっとあるはずで、普段見過ごしている、そうした「しっとりチャーハン」の店を再発見してもらいたい。それによって店を応援したい思いがありました。

で、「しっとりチャーハン」を実際に味わってみて、パラパラもおいしければ、しっとりもおいしい。絶対的な「正解」なんてないことに気づいてほしかった。

ところが、残念なことに番組に出た5店が「しっとりチャーハンの正解」であるかのように各種メディアで扱われ、拡散し、消費されました。

──「しっとりがよくわからない」という声もあったようですね。

取材記事の中には、「しっとりが、いまいちわからなかった」という感想をつけたものもありました。それだったら、僕に問い合わせるなり、取材するなりしてほしかったのですが、ほぼありませんでした。

もともと「しっとりチャーハン」というジャンルがあったわけではないんです。冒頭で話した、パラパラブームの中で低く見られるようになった、町中華や家庭のチャーハンを表す言葉はないかと思った。それで「パラパラ」に対するカウンターとして、「しっとり」の言葉がひらめき、名付けました。ピンと来る人は少なくなかったようです。

ちなみに「町中華」という言葉も僕が言い出しました。

■言葉が生まれることで可視化される

時代の空気を感じさせる、町中華店内

──えっ、山本さんが「町中華」の言葉の言い出しっぺなんですか!?

恐らくそうだと思います。ブログで「町中華」の言葉を初めて使ったのは、2009年です。「町の中華屋さん」っていちいち書くのが面倒で、何かいい言葉はないかな、と。それで「まち中華」の言葉が浮かびました。

次に、「まち」の字は「街」か? それとも「町」か? を考えた。「まち中華」があるのは主に下町。先行する言葉に「町工場まちこうば」があるな、と思って。置かれている状況も似ているし、それで「町」の字を当てました。字面からもイメージがつきやすいでしょう。

──2009年とは、かなり早いですね。

そうなんです。だから、テレビとかで「町中華」の言葉を使うと、「視聴者に伝わらない」とカットされたり、会議で「使わないでくれ」と言われたりすることが多かった。番組が先鞭せんべんをつければいいのに、ともどかしく思いましたけどね。

その後、北尾トロさんたちが「町中華探検隊」を結成し、メディアにも徐々に浸透して、今や「町中華」の言葉を聞かない日はありません。あの否定され続けた日々は何だったんだろう……と思いますよ。

──「言葉」を生むことで、新たな概念や視点、潮流が生まれます。「しっとりチャーハン」「町中華」の言葉によって、日常の中で見過ごされてきたものが可視化されたのではないでしょうか。

僕は映画が好きで、大学も美大の映像学科でした。押井守監督の映画がとりわけ好きで、強い影響を受けました。
なんてことのない日常を読み解き直すことで、世界がガラリと違って見える。その面白さを押井監督の映画を通じて学びました。そんなことが影響しているのかもしれません。

──山本さんはチャーハン好きの一方、ラーメンの本も出されています。「チャーハンとラーメンの違い」や「話題を呼んだミニコミ」について、引き続き後編で伺わせてください。

町を探索する山本さん 撮影・寺嶋崇

←第9回(城咲仁さん後編)を読む
第11回(刈部山本さん後編)に続く→

◆連載のバックナンバーはこちら

◆プロフィール
大衆食ライター 刈部山本
1975年生まれ。埼玉県川口市出身。武蔵野美術大学映像学科卒業後、広告会社勤務を経て、谷根千の路地裏や南阿佐ヶ谷でおひとり様専用喫茶店を2017年まで営む。ブログ「デウスエクスマキな食卓」やミニコミ同人誌「デウスエクスマキな食堂」に、町の風景の記録や研究、その町ならではの飲食店のインプレッションをまとめるほか、各種メディアに執筆、出演。2015年、TBS系「マツコの知らない世界」の「板橋チャーハンの世界」に出演。著書に『東京「裏町メシ屋」探訪記』(光文社)、『東京ラーメン系譜学』(辰巳出版)などがある。

取材・文:石田かおる
記者。2022年3月、週刊誌AERAを卒業しフリー。2018年、「きょうの料理」60年間のチャーハンの作り方の変遷を分析した記事執筆をきっかけに、チャーハンの摩訶不思議な世界にとらわれ、現在、チャーハンの歴史をリサーチ中。

題字・イラスト:植田まほ子

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!