葛藤と挫折、(やや)ドラマチック体験の末に得たもの――お題を通して“壇蜜的こころ”を明かす「蜜月壇話」
タレント、女優、エッセイストなど多彩な活躍を続ける壇蜜さん。ふだんラジオのパーソナリティとしてリスナーからのお便りを紹介している壇蜜さんが、今度はリスナーの立場から、ふられたテーマをもとに自身の経験やいま思っていることなどを語った連載です。
*第1回からお読みになる方はこちらです。
#16
やっとのことで手に入れたもの
我が敬愛する漫画家兼作家の女性は言った。「誰もが、自転車に乗れるようになるまでにはドラマチックな経験をしているのではないか」と。
彼女の描く漫画の主人公は、小学校3年生。背景には自転車ブームがあったが、主人公は自転車に乗れなかった。
「べつに乗れなくてもいいや」と考えていた主人公が、ひょんなことから自転車の練習を始めるのだ。乗れるようになるまで何度も転び、友人たちの助けもあり、やっと乗れるようになる。途中あきらめかけた際も「絶対に乗りたいって思わなきゃダメなんだよ!」的な檄を飛ばされ再度立ち上がる姿に、私(当時中学生)も読んでいて「じぃん」ときた。そして自転車に乗れるようになる……漫画はそこで終わる。
作者の「自転車に乗れるようになるまでにはドラマ」という趣旨の発言は、漫画内のエッセイ部分で読んだのだった。作者本人も自転車に乗れるようになるまでなかなか苦労したらしく、転倒と負傷の連続だったという。
たしかに「自転車の練習大変だった話」は、周囲からよく耳にする。街を自転車で走行する人々を見るたびに「あの人もこの人も(転倒負傷それでも練習するドラマを経験しているのかも)」と思うと胸が熱くなる、とそのエッセイにもあった。
私もややドラマチックな経験勢かもしれない。私は小学校1年生を終えた春休み中、自転車に乗る練習を父と行った。当時は近くの神社にある遊戯場のような場所で自転車の使用が可能であり、転倒しても土だからアスファルトよりはダメージが少ないだろうという父の判断だったようだ。
補助輪を取り、二輪になった自転車にまたがる私。父が自転車の後ろでサドルを支える。ペダルをこぎ、少しずつ進んでいく。「離すよ」と手を離され、支えを失って転倒……立ち上がって自転車を起こし、再度またがって……の繰り返しだった。痛みともどかしさで何度も目に涙がにじんだ。しかし父は「がんばれ。もう一回。もう少しだよ」と倒れた自転車と私を起こしてくれた。
これを1日1時間くらい繰り返し、たしか4日ほどで遊戯場内をヨタヨタしながらではあるが走行できるようになった。たった数日間だったが、「乗れるようになったら○○(よく行くスーパーや父方の祖母の家など、歩くにはちょっと遠いと感じる場所)に一緒に行こう」という父の提案は私の励みになったし、なにより当時「仕事仕事」だった忙しい父(ツアーコンダクター)が休みを取って自転車の練習に付きあってくれた特別感も相まって、私を「自転車に乗るんだ!」と鼓舞していたのかもしれない。今思えば、ドラマチックな父娘の自転車練習風景といってもいいだろう。
このドラマ(?)、乗れた直後に近くの銭湯に一緒に行き、ひとっ風呂あびて脱衣所の販売機でコーヒー牛乳を買ってもらい、「乾杯(父は牛乳)!」でエンディング。父と男湯に入ってひと息つけたが、負傷した足がじくじく痛んだのは覚えている。
この「自転車に乗るスキル」は、苦労して得た何かに入ると思っていたが、己の人生を回想してみると、それ以上に苦労して得た何か、は存在する。それは「泳ぐスキル」だ。
私は30歳を過ぎても泳げなかった。母校にはプールがないのに、中高生になると夏期合宿のなかに海で遠泳というイベントがあった。決められた2キロほどのコースを泳がなくては体育の単位はもらえない。プールはないのに何で? と理不尽さを感じていた。プール教室(スイミングスクールを借りて行う)や海での水泳教室は授業の中に組み込まれてはいたが、集団で数日間行う授業だけでは覚えの良くない私は泳ぎなど習得できるわけもなく、本番の遠泳では犬かきでごまかしてやりすごした。
遠泳中は皆で並んで泳ぎ、数艘のボートに乗った教師たちが側で補助やチェックをするが、私を含めどんどん取り残されていく者たちもいたため、遠泳終盤のほうはコースを端折ったような温情措置的誘導をしてくれていたようにしか思えない。これ以上続けさせたら溺れそうだ、と判断された生徒はボートからロープを渡され、「これにつかまっていなさい」とやんわり指示され、引っ張られながら「2キロ泳いだ」ことになった……そんな噂もあったし。
そして水泳と縁のないまま成人して「壇蜜」となり、水泳講座を受ける仕事をもらい、溺れかけた。プールで「あっぷあっぷ」する壇蜜の映像は今でも動画サイトにて観ることができるらしい。その後なんとなく水泳のことを意識しはじめるようになり、「魚にできて人間の私にできないのはおかしい」というおかしな考えを持ちながら悶々としていた。
そんなとき、近くに住んでいたマネージャーから「俺の行ってるジム、プールあるよ。講座みたいなのもあるしインストラクターさんもいる」と言われ、「じゃあ、私も通う」となった。週に1回水泳の個別レッスンを受け、仕事の合間に自主練習もして、平泳ぎ、クロール、背泳を1年弱かけて習得した。
水に顔をつけたり潜ったりするような段階から徐々に少しずつ……苦手意識のためか進行は遅かった。講師も手を焼いたと思う。「少しずついきましょう」「大丈夫です。できてきています」と励まされながらの1年だった。「ダメだダメだ! もう1回!」「はい! コーチ! 私負けない!」みたいなドラマチックな展開こそなかったが、「やっとの思いで得たもの(大人編)」としてはこの水泳スキルだろう。
プロフィール
壇蜜(だん・みつ)
1980年秋田県生まれ。和菓子工場、解剖補助などさまざまな職業を経て29歳でグラビアアイドルとしてデビュー。独特の存在感でメディアの注目を浴び、多方面で活躍。映画『甘い鞭』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。『壇蜜日記』(文藝春秋)『たべたいの』(新潮社)など著書多数。