マガジンのカバー画像

小説・エッセイ

298
人気・実力を兼ね備えた執筆陣によるバラエティー豊かな作品や、著者インタビュー、近刊情報などを掲載。
運営しているクリエイター

2021年9月の記事一覧

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔千穐楽と送別会〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第21回です。第1回から読む方はこちらです。  久しぶりに神保町へやって来た。有楽町で書店員になって、いつかは働いてみたいと憧れた本の街である。今の書店に転職を決める時、私は三省堂書店の神保町本店で働いていたのだ。辞表を出す前に、何度も自分に確認したことがある。 「それって今の職場から逃げ出す口実ではないよね?」  長年、同じ会社に勤めていると、何人もの退職を見届ける。理由は様々だったが、本当のところは本人にしかわからない

佐藤健主演で話題の映画『護られなかった者たちへ』に連なる社会派ヒューマンミステリー――中山七里「彷徨う者たち」

ミステリーにとどまらず、社会問題に鋭く切り込みながらそれに翻弄される人々の人間模様を色濃く描いたストーリーが人気の「宮城県警シリーズ」。『護られなかった者たちへ』『境界線』に続く本作は、笘篠&蓮田刑事の名コンビ第3弾。直面する難事件に、笘篠はどのように挑み、蓮田は何を選択するのか―― 一 解体と復興1  八月十五日、宮城県本吉郡南三陸町歌津吉野沢。  渡辺憲一(わたなべけんいち)は作業の手をいったん止め、高台から伊里前湾を眺めた。海はここから一キロ以上離れており、波の具合

ハードワークからの回復――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は、新作長編『らんたん』の発刊を控え、怒涛の締め切りを乗り越えた後の様子のリアルレポートです。 ※当記事は連載の第6回です。最初から読む方はこちらです。 #6 徹夜明け  大きめの締め切りが終わった。子どもがレゴで遊んでいる横で、ずっと原稿を赤ペンでチェックしているような日々を二週間送っていた。最終日は徹夜して、バイク便の方にゲラを渡し、ほっとして周囲を見渡

“子どもたちの心にアメリカの精神を育む『セサミストリート』の生みの親” ジョーン・ガンツ・クーニー――連載「アメリカ、その心の生まれるところ~変革の言葉たち」新元良一

 自由・平等・フロンティアを旗印に、世界のリーダーとして君臨してきたアメリカ。様々な社会問題に揺れるこの国の根底には何があるのか? 建国から約230年。そこに培われた真のアメリカ精神を各分野の文化人の言葉の中に探ります。  第4回は、教育の平等が国力を強くすることに気づいていたアメリカで、1960年代から今なお放送を続ける教育番組の創設者であり、放送作家のジョーン・ガンツ・クーニーです。  ※第1回から読む方はこちらです。 第4回「この番組は決して、才能あるひとりの人間が支

戦争体験の「継承」――マイナーノートで ♯06 〔被傷体験〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。 ※#01から読む方はこちらです。 被傷体験  今も胸を刺す記憶がある。 「おひとりさま」シリーズの取材のために、高齢おひとりさまをお訪ねしてインタビューをしていた時のことだ。わたしはおひとりさまになってからの暮らしのあれこれについて聞きたかったのだけれど、話は先立たれた夫の看病と介護、そこに至る

日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――〔米とひとりぐらし〕 新井見枝香

※当記事はエッセイ連載「日比谷で本を売っている。」の第20回です。第1回から読む方はこちらです。  ついに特大の米袋が空っぽになった。実に玄関のたたきの9割を占拠していたそれは、知人が知り合いの農家に頼んで直送してくれたもので、推定30キロの米が詰まっていた。いくら私が食いしんぼうとはいえ、ひとり暮らしの女性である。我が家はアパートの3階にあり、エレベーターがない。額に血管を浮かべた運送会社の人が荷物を下ろす瞬間、潰したAmazonの段ボールを差し込んだのは、我ながらグッジ