はしゃげるチャンスに貪欲たれ――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子
『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は、コロナ禍で失われた楽しみを、久しぶりに親子で楽しんだ様子をお伝えします。
※当記事は連載の第4回です。最初から読む方はこちらです。
#4 顔ハメ看板
この一年で近所の公園はあらかた遊びつくしてしまった。全ての遊具のクセのようなものまで完全に把握している。通りから回転するジャングルジムをちらっと目にするだけで、子どもを真ん中に乗せてグルグル回す時の軋みや重み、錆のつき加減までがてのひらに蘇るくらいである。そんなわけで、この間、母も付き添ってくれるというので、足を延ばして遠くの大きな公園に出かけてみた。最後にここにきたのはコロナ前である。緑も多く遊具も豊富、複雑なアスレチックもあるのだが、いかんせん、いつも大勢の子どもで賑わっているので、ずっと避けてきた。
久しぶりに訪れたそこは、やっぱり混んでいる。一瞬緊張したのだが、うちの子が明らかに目を輝かせていて、いつもの倍のスピードで走り始めたので、まあ、いいか、と消毒液とアルコール除菌ティッシュを両手に後を追いかけることにした。その時である。以前はそこになかったあるものを発見した。
顔ハメ看板がある!!
モチーフは欧米のモンスターで、親子一緒に楽しめるようにという配慮のためか、高低差のある穴が二つあいている。全身に血が巡り出すのを感じた。そう、感染が広まる前、私はいろいろな場所に出かけて顔ハメ看板を見つけては、変顔を突き出して写真を撮ることが大好きだったのだ。いつ頃からの習慣かよくよく思い出してみたのだが、確か二十代前半だ。十代の終わりまで、私はフランス映画や文学に影響され割とスノッブだった。顔ハメはもちろん大流行していたプリクラとも、ちょっと距離を置いていた。写真を撮る時は必ずキメ顔、小顔に見えるように必ず一歩後ろに下がっていた。三枚目を自ら買って出るなんてバカみたい……くらいに思っていた。しかし、社会人になってから初めて友達と出かけた温泉旅行で、駅改札口に置かれた二頭身のお地蔵さんの顔ハメ看板にふらふらと吸い寄せられた瞬間から、私の価値観、ひいては人生のようなものまで変わってしまったのである。友達が腹を抱えて笑っていたことも快感だったのだが、私はそれまで経験したことがない不思議な感覚を味わっていた。地蔵に顔をハメ、ご当地キャラクターと一体化した瞬間、自分が現実世界から浮遊したのがわかった。私は看板の世界に居た。でも、突き出した顔はその街に漂う硫黄の香りが混じったしっとり冷たい空気を感じていた。これ以上ないくらいその観光地の特徴やにおいを味わいながらも、同時に私という存在はそこから消えていたのである。魂は明らかに異世界に飛んでいたのに、携帯で友達が撮ってくれた写真を確認したら、そこに写るのは旅行をエンジョイする私そのものであった。
大げさにいうと、楽しむということ、生きるということは、こういうことなんだ、と全身で知った。すなわち顔ハメ看板を見逃さない、はしゃげるチャンスに貪欲たれということと、一瞬の浮遊感を味わいつくす感受性を持て、ということだ。
喜び勇んで、子どもも誘い、顔ハメすることにした。子どもも乗り気である。その時、急にギクリとした。顔ハメ看板において、一番大切なのは穴と顔に隙間を作らないことである。できるだけギュッと顔の肉を看板に押し当てることで看板と自分は一体化し、完成度は格段にあがる。しかし、この時期、不特定多数の人が皮膚を押し付けているかもしれない木の板はどうか――。私は慌てて消毒液を拭き付けて、アルコール除菌ティッシュで穴の周りを丁寧に拭いてから、再度、子どもと同時に顔を押し付けた。一瞬の浮遊感、顔に感じる公園の緑の匂い。母が撮ってくれた写真の、親子コラボ顔ハメの秀逸さ。久々の愉快な思い出となったのだが、やっぱり顔ハメ看板に緊張は似合わないと思う。一刻も早く、不用意にいろんなところに出かけ、気まぐれに看板に顔をつっこむ、そんな日々が当たり前になれ、と強く願うばかりである。
FIN
題字・イラスト:朝野ペコ
プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)
1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』など著書多数。最新作『マジカルグランマ』が好評発売中。