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自粛時のライフハックに疲れたら――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子

『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今回は、一年を超える自粛生活、工夫を凝らして過ごしてきた柚木さんに、ふいに訪れた「工夫ナシ時間」についてお届けします。
※当記事は連載の第3回です。最初から読む方はこちらです。

#3 ステイホームの工夫疲れ

 日常にライフハックを!との思いから始まったこの連載。しかし、「ちょっとした工夫で毎日を楽しく」することにほとほと嫌気がさしてきたのは、肺が弱いがために一年近く外出を控えているせいだけでもない。最近、戦時下を舞台にした小説を書いているせいだ。戦争経験者に電話で取材をしているのだが、「最近の閉塞感は戦時中によく似ている」という意見を何度も聞いた。資料をたどると、当時、女性向け雑誌には配給の食材をどんな風に工夫して美味しく食べるか、というアイデアが満載で、女の子たちはもんぺや防災頭巾にもちょっとしたテクニックで可愛く見せられるか情報をシェアしあっていたという。なんだかそれって……。「Zoom会議で映えるメイク」「アイデア次第でおうち外食気分」「家族全員が三食うちで食べるときに助かる時短メニュー」「マスクでもおしゃれ」なんかにニュアンスが似てないだろうか。もちろん、こうした生活アイデアに助けられた人は私含め大勢いるだろう。実際、ネットで見つけた「ステイホームを充実させるテクニック」に私は散々救われ、実行にうつしてきたのだ。みんな忘れているかもしれないが私は、去年の今頃、牛乳を煮詰めて、蘇(そ)*を作った人間である。おうち夏祭り、おうちディズニー、おうち居酒屋、はてはグミやポテトチップスも手作りした。アイデアなしにはもはや、個人が生き生き暮らしていけない。それこそが、この国の現状のヤバさを物語っているのではないか。
 ある日、子供と近所の公園に遊びに行った。最近は行き場を失った小学生たちが漫画やゲーム機片手に集まっているのだが、めずらしくがらんとしていた。今まさに雨が降りそうなせいだろうか。いつもなら消毒液片手に追い回すところだが、湿ったベンチに座ってぼうっとしていたら、子供も隣に来て座り、同じくぼうっとし始めた。
 目の前にある木の根元に空洞ができていて、それが魔界の入り口みたいに見えた。よく見ると、灰色の空が複雑なグラデーションを描いている。どれくらいそこにいたかわからないが、雨がポツポツ降ってきて、我に返った。ベンチの水が服に染みていた。
 帰り道に気がついた。この一年間、少しでも楽しくするために、私の脳は常にフル稼働だったのではないか。遠出ができないから、家や近所でも何かしらの思い出が作れないか、とそればかり考えていた。家から出られない時間を無駄にしないために成長や発見をしたいという必要以上のイキりもあった。カフェで書けなかったり、取材ができなかったり、資料館が閉館しているせいで、執筆は進まず、眠れないほど焦っていた。あとなかなか孫に会えない祖母たちのために、隙あらば子供の写真を撮ることばかり考え、全身が常に「映え」を意識していた。こんな風に親子二人でぼうっとして空を眺めたことなどない。突然訪れた工夫ナシ時間。そして、コロナ前、私は毎日こんな風にフラットに暮らしていたのかもしれない、とはっとしたのである。
仕事が遅れようとも、毎日の食事で外食のようなワクワクが味わえなくても、祖母たちが孫に会えずさびしい思いをしていても、子供が同じような日々に退屈していても、旅行やレジャーの思い出が作れなくても、当たり前だが、それは別に私やあなたの責任ではないのである。「工夫」と「アイデア」の情報を毎日浴び続けると、いつの間にか、深いところに呪いになって染み付いてくる。自分の頑張り次第で、状況はよくなるのではないか、という思い込みとそれに伴う緊張感だ。
 後日、初めての公園に無計画に訪れた。またもや季節柄、雨が降りそうなせいかガラガラで、おかげでぼんやり過ごせた。その時に、同じ年くらいの子供をつれた女性と目が合い、ほんの数分だけ離れた場所からおしゃべりをした。見知らぬ人と話すという経験ももうずっとしていないことに気付いた。お弁当などは用意していなかったので、その人が教えてくれた近所のパン屋さんに行ってみて、子供と一緒に、濡れた芝生の上で食べた。その日の朝はまったく知らなかったその焼きたての食パンの味は、雨が降る前の甘い空気のせいもあってか、しっとり香ばしく、とても美味しかったのである。

FIN

*蘇:古代日本で食べられていたとされる、乳製品の一種

題字・イラスト:朝野ペコ

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プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)

1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』など著書多数。最新作『マジカルグランマ』が好評発売中。

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