幸せそうで、なにが悪い――料理と食を通して日常を考察するエッセイ「とりあえずお湯わかせ」柚木麻子
『ランチのアッコちゃん』『BUTTER』『マジカルグランマ』など、数々のヒット作でおなじみの小説家、柚木麻子さん。今月は、電車の中で起きた痛ましい事件と、「幸せそうな女性」について、社会に思うことを書いていただきました。
※当記事は連載の第5回です。最初から読む方はこちらです。
#5 幸せそうな女性
「幸せそうな女性を殺したかった」という理由で男性が女性を狙って刺した。ニュースを見て、事件の被害者や居合わせた人々に思いを馳せ、胸を痛めると同時に苦しい記憶を蘇らせた女性は多いのではないか。私はそうだ。謎が解けていくような、身体の奥がすっと冷えるような感覚がずっと消えない。
直近だと、子どもが生まれてまもなく、スーパーマーケットで見知らぬ男性にベビーカーを蹴られた。その時の私は産後のマイナートラブルとワンオペ育児でボロボロ、仕事への不安もあり、幸せを感じるとかそんな余裕はまったくなかったのだが、あの初老の男性からは「赤ちゃんと満ち足りた時間を過ごしている金銭的にもなんの不安もない女」に見えたのかもしれない。妊娠中、または出産後、嫌な目にあったという友達からの報告はとても多い。だから、みんな緊張して暮らしている。子どもと一緒の時間に集中しているというより、自分たちに冷たい目を向けている人は今近くにいないか、誰もが神経を研ぎ澄ませている。
もはや子どもがいる・いないは関係ないのかもしれない。幸せになる努力より、「幸せに見せない努力」を女性に求められるのが、日本社会なのではないか。
だから、私は有名人に限らずSNSでキラキラした毎日をどんどんアップする女性が大好きだ。案の定、叩かれている人も多いが、彼女たちはファイターだ。この社会で「楽しい」「嬉しい」「自分が好き」と顔出しで発信することは、どれほど勇気がいることだろう。
実はこれまでどこにも書いたことがなかったのだが……。私は今から十年以上前に、渋いバーのカウンターで初老のマスターに怒鳴りつけられた経験がある。これを書いている今も、どこからか彼が飛んできやしないかとドキドキしているくらいだから、やっぱりトラウマなのかもしれない。騒いでいたわけではない。店内には、私と私の連れの女性以外、客はいなかった。「出て行ってくれ」と急に眉を吊り上げられた。声の大きさや態度をとがめられはしなかった。ただ「話している内容がうちの店にふさわしくない」と叱られた。
さて、私たちはなにを話していたか――。
現在、社会に大きな衝撃を与えた事件についてのエッセイで、この続きを書くのは非常に迷うが、大切なことなので正直に告白しようと思う。私たちは「ともさかりえの素晴らしいアメーバブログ」について真剣に話し込んでいた。店を追い出されながら、私はこう考えた。「もうバーでアメブロの話をするのはやめよう」と(ともさかりえの話題のせいかな、と微塵にも思わなかったのはファンの心理のなせるわざである)。
こんな風に、私は見ず知らず、またはまったく親しくはない年長者に唐突にキレられた経験がかなり多い。新卒時の入社式で、重役の男性から支社の全社員の前で叱られた。「あなたの笑顔はよくない!」と。作家になってすぐ「売れたいなあ」と無邪気に言ったら、ベテランの出版関係者を激怒させた。「モノ書きが売れようと思うなんて汚い。この業界には売れることなんて考えず、人生を投げ打って貧しさに耐えながら歯を食いしばって自分の納得がいく作品を生み出している人が大勢いるのに」と言われた(その時は反省したが、それからしばらくして、私は同世代の女性作家たちとつるむようになる。みんな原稿料や税金対策のことを気にして、有益な情報をシェアしあっていた。作家がお金の話をしてもいいんだ!と衝撃を受けた)。あと、私は女子校時代からの親友がいて、彼女との思い出をよく話すのだが、やはりほとんど初対面の年長の出版関係者にとがめられた経験がある。「親友という言葉で傷つく人は大勢いる。親友という言葉は親友とそうでない人を分ける言葉だ。あと、楽しい雰囲気の東京の女子校に通っていたなんて、あなたは恵まれていて、社会的特権の中にいたのだから、あまりに当時のことを話すべきではない」と注意された。確かに色々なところで「親友」という言葉に嫌悪感がある、という文章を読む。「女子校」での経験を面白おかしく語る人への無神経さを指摘したコメントもどこかで目にした。私が特権を持っているのは紛れもない事実である。その時も深く反省した。
これらの思い出は私の中ではわりと最近まで「自分が世間知らずで無神経だった」で回収されていた。おしゃれなバーでは過去の恋愛とかなんかしっとりした話をするべきだったし、入社式や出版関係者の前では神妙な面持ちで慎ましく振る舞うべきだったし、親友の話をする時はTPOをわきまえるべきだ、くらいに思っていた。
しかし、いずれの私にもある共通点がある。ともさかりえの話をする時、希望の会社に内定をもらえて出社した一日目、作家デビューしたばかりだった時、そして親友の話をする時、私は幸せで、実際幸せそうに見えたはずだ。そして女性だ。幸せそうな女性だったというわけで人を激怒させるなんて、にわかには信じがたいが今回、私はようやく腑に落ちたのである。
実際、小説でも映画でも、女性が幸せそうな作品よりも、女性が死んだり不幸になる物語の方がずっと評価が高い。こうしている今も、女性は謙虚で控えめでちょっぴり不幸そうじゃないと痛い目にあうぞ、とあらゆるコンテンツが訴えかけてくる。
報道を受けて、喜びを追求すること、生き生きと暮らすことが怖くなってしまった女性は大勢いると思う。この日本で、女性が幸せになろうとすること、幸せであることはもはや社会へのカウンターなのだ。さらに、分断社会で辛い思いをしている人が大勢いる中、楽しそうに振る舞うことをとまどう心理は当然である。でも、自分の特権を自覚し社会貢献しようとすること、幸せでいることは両立できると私は思っている。もちろん今、苦境の中にある人は無理して幸せぶる必要などない。少しでも楽になる道を探ることに集中するべきで、周囲が、社会が、私のような人間が助けるべきだ。
でも、少しでも気持ちや時間に余裕がある人であれば、入社式で座っていただけで重役をブチ切れさせた私のように振る舞ってみてもいいのではないだろうか。そんな無防備な人が一人、また一人と増えるだけで「幸せそうな女性」を憎む人たちの気力は萎えていく。私はそう信じている。同時に自分よりずっと若い女性が野心満々なことを口にしても「絶対できる! がんばってね」と励ます人間でありたい。そして、将来もし私がバーテンダーになって、カウンターにともさかりえの話を熱心にしている女性客が座っていたら、「カプチーノ」か「林檎」か「すいか」をベースにしたカクテルをそっと差し出そうと思っている(わからない方は調べてください)。
FIN
題字・イラスト:朝野ペコ
プロフィール
柚木麻子(ゆずき・あさこ)
1981年、東京都生まれ。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞し、2010年に同作を含む『終点のあの子』でデビュー。 2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞を受賞。『ランチのアッコちゃん』『伊藤くんA to E』『BUTTER』など著書多数。最新作『マジカルグランマ』が好評発売中。