日比谷の書店員のリアルな日常、街の情景、本の話――「日比谷で本を売っている。〔POPと謎解き〕」新井見枝香
※当記事はエッセイ連載の第15回です。第1回から読む方はこちらです。
遅番の日、夕方のピークが終わってホッと一息吐いたころだった。店長の花田菜々子がレジに近付いてきて、私を呼ぶ。この店のいいところは、みんな偉いし、誰も偉くないところだ。肩書きにかかわらず、自由に意見を言い合える。
「見枝香さ、あのメニューって何なの?」
それは本のPOPとして付けた、カードサイズのメニューのことだろう。飲食店を舞台にした小説を集めたフェアだった。その店の特徴的なメニューをイラスト入りで紹介すれば、フックになるだろうと思って付けたのだ。
ハンドドリップのコーヒーに手作りケーキ。豚の生姜焼き定食はご飯のおかわり自由。煮込みといっても「牛モツにハイボール」じゃなくて「トリッパに赤ワイン」。レストラン街で何を食べようかなとウロウロする感じで、何を読もうかなと選んでもらえるはずだ。
「お品書きPOPだよ」
「そりゃわかるよ」
実際、そういった胃袋に訴えかけるPOPは、過去にも販促効果があった。だからこそ、自分の得意技として、文庫本にも単行本にも付けているのだ。しかし「何なの?」と改めて聞かれて意識すると、あっちにもこっちにも付けすぎているような気がして、恥ずかしくなってくる。一度ウケたからと言って、何度も同じギャグを連発して、だんだん煙たがられる小学生の男子みたいではないか。
ドヒャーとなってレジを飛び出し、POPを回収しようとする私を、彼女は止めた。
「いや、それはそれでいいと思うよ、実績も出てるし。だけど……うーん」
そこから先の彼女の指摘は、ニュアンスの話であり、1字1句漏らさず書き起こしたところで、私以外の人に伝わるとは思えない。気心の知れた相手との会話は、1から10まで話さないものだし、さらに我々の会話は、文章を書く人同士(花田も複数の著書がある)とは思えない、フワフワと曖昧な言葉を使う。困ったな。
そこで問題です。
(注)自力で答えを求めたい人は、この先を読まないこと。
「謎解き習慣」を提案する松丸亮吾さんの『頭をつかう新習慣! ナゾときタイム』は、博識さより、頭の柔らかさが必要となる問題集だ。解くこと自体も楽しいが、習慣にすることで、勉強や仕事にも活きてくるとなれば、いいことずくめである。
漢字の画数を数えたり、アルファベットにしてみたり、ありとあらゆる発想で答えを探すこと。まるでそれは凝り固まった肩甲骨の間をグーッと縮めたり伸ばしたりするストレッチみたいだ。眠る前に一問解くと、気持ち良く眠れる。もしどうしても解けない問題があれば、次のページのヒントに頼ればいい。モヤモヤしたお尻の筋肉と同じで、やり方さえ分かれば、スッキリと解きほぐせるのだ。私には明日があるので、無理をせずページを捲(めく)ることにしている。
ヒントその1《矢印の左側には、「問題文」という言葉が3通りの文字で書かれていますね》
ヒントその2《ハテナに入る数字は何かお答えください」という問題文にも注目してみましょう》
さすがに答えが分かっただろう。
そして、私のお品書きPOPも、“問題文”なのだ。
「これはどんな小説でしょう」という謎を解くには、メニューからの想像や発想が必要であるのに、全く読んでいない人からすれば、このPOPには圧倒的にヒントが足りない。だからといって、読む楽しみを奪うほど書き過ぎてもいけない。自分自身でその本を選び取った実感がなければ、本を楽しむ姿勢も変わってしまうからだ。
書き過ぎることに臆する私の気持ちを「お品書きPOP」から敏感に感じ取った花田は、人に対する「謎解き習慣」が身に付いているのかもしれない。常に考え、想像し、ひらめいている。
メニューと小説を繋げるヒントをひと言足せば、さらにPOPの効果が出るのではないか。花田からもらったそのアドバイスは、私が自分で気付いてもいいはずだった。まだまだ謎解き力が足りない。
なにしろ書店は、じっくり集中できるベッドの中ではないのだ。ヒントのない問題ばかり並んでいたら、レジにたどり着く前に、お客様の脳味噌がモヤモヤのヘトヘトになってしまうだろう。
プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)
書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
*新井見枝香さんのTwitterはこちら
*HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEのHPはこちら
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