見出し画像

人見知りでも仲良くなりたい! 「来れネクストジェネレーション」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」

動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第5回は人見知りな篠原さんが仲良くなりたい人のお話です。
第1回から読む方はこちらです。


#5 来れネクストジェネレーション

 今年、私は親になる予定である。夏の初めくらいに出産予定で、体内に別の生き物の気配を感じて過ごしている。胎動をおしゃれに表現するのを楽しみにしていたけれど、「臓物の間でヘラクレスオオカブトの幼虫が暴れている」としか言いようがない。
 最近まで、どこか自分の臓器の延長線のように感じていたが、観劇の際に、好きなスター二人が手の届くような距離で踊り出した瞬間、「ドコドコドコッ」と激しくうごめき、思わず、(わ、分かるわぁ……)と共感したのがきっかけで、赤ちゃんを個人として認識し始めた。
 高校生のころ、かなり太っていたので、臨月での推奨体重は既に経験済みとたかをくくっていたのだが、まだ道半ばであるにも関わらず、著しい機動力の低下に悩んでいる。このくらいの体重であれば、喜々として20mシャトルランを走れるくらいの肉体であったはずなのに、今は、『おおかみと七匹の子やぎ』に登場する、石を腹に詰められたおおかみのようである。

 誇りを感じて取り組んでいた仕事である、「日立 世界ふしぎ発見!」のレギュラー放送の終了と一番好きな宝塚歌劇団のスターである和希そらの退団が発表されたところに妊娠が分かった。今年は、北米に生息する周期ゼミの17年周期のセミと13年周期のセミが同時に羽化する221年に一度のチャンスらしく、地上最大規模の蝉時雨せみしぐれを聞き損ねることだけが残念である。しかし、今、私のお腹にいる子ども、その人に会うチャンスも地球始まって以来、今回限りの現象である。

 妊娠が分かったときの気持ちは、「まだなんだか分からない」であった。子どもを育てることを楽しみにして、毎日葉酸のサプリを飲んでいたし、子育てに便利そうというのが最後の一押しになってICL手術も受けていたのに、それでも、うれしいより、怖いより、「よく分からない」であった。正確に文字に起こすと、「わー! わー! わー!」といった感じで、同じく、「わー! わー! わー!」となっている夫は、後ろ髪を引かれながら、そのまま出張に向かっていった。
 家に一人残った私は、何に不安を覚えていいのかすら分からずに、お腹が大きくなると自分で足の爪が切れなくなるらしいと聞いたことを思い出し、いつも深爪の夫に自分の爪を任せなければいけないことに気付いて、泣いた。

 母に妊娠を報告したとき、すごく喜んでくれたが、「産まれるまでが大変だと思いがちだけど、本当に大変なのは産んだ後なんだよね……」と遠い目をしていた。
 そして、思い出した。自分自身がいかに手のかかる子どもであったかを。判断力を置き去りに、好奇心と行動力だけをねて人の子の形にしたものが子どものころの私であった。
 私が捕まえてきたキリギリスを家に放ったせいで父は噛まれたし、私が引き出しの中でこっそり飼っていたハムスターが立てる音に母は怯えていた。生き物に関係ないことでも、母の時計をぬいぐるみの首につけて無くしたり、「捨てる」という動作にはまって父の時計をトイレに流したり、よかれと思って炊飯器いっぱいに炊かれたご飯にマヨネーズを混ぜ込んだり(つくったことないのに食事をつくろうとした)と予想のつかない行動の連続だった。
 幼少期は父がとにかくよく遊んでくれたことを良き思い出として記憶していたが、父と話す中で、私があまりに悪戯いたずらな子どもだったので、弟が生まれたあたりで、できるだけ外に出して、どうにか体力を削るためによく遊びに行っていたという事実を知った。
 自分のことを棚に上げて大変申し訳ないが、どうかお腹の中にいる人は、判断力も一緒に捏ねられていますようにと願っている。
 そして、本当にできればでいいのだけれど、もし、生き物好きになるならば、昆虫よりも恐竜派でありますようにと思った。いつの間にか捕まえてくることがないので。

 つわりがそれなりに重い方で、ダメになった匂いや食べ物はなかったけれど、とにかく吐き気が強くてピーク時は血を吐いていたほどである。トイレにしがみつく私は、まるで鵜飼いに飼われた鵜のようだった。ディスプレイや書籍の文字を受け付けなくなって、パソコンを開くだけで目眩めまいのする日々の中、この連載と書籍の執筆が始まり、新しくスライドを作成する必要のある講演会を3つ抱え、さらに博士号の中間試験が控えていた。つい最近のことなのにどうやって乗り切ったのか記憶がない。
 妊娠が未来の予定だったとき、お腹が大きくなって外に出る仕事が難しくなっても、私には文章を書くことが残ると安心していたけれど、まさか文章を書くことが一番難しくなるとは予想外だった。
 あまりに辛くて、他人を妬まないところが長所の一つだと自負していたのに、つわりがほとんどなかったと答えている著名人のインタビュー記事を読んで、初めて他人を妬んだ。ここで言う妬みとは、その人は全く悪くないし、その人の幸福は私には何一つ影響を及ぼさないというのに、羨ましい事柄があることで、その人自体をうっすら嫌いになってしまう気持ちの変化を指している。
 母はつわりで入院した経験があるし、もっと何も食べられない人もいるしと我慢していたが、自分の心に今まで登場したことのない負の感情が出現したことに気付いて、初めて、今、私は本当に辛いと感じているのだと認識した。
 ディスプレイも見られなければ、文字も読めない状態だったので、娯楽に飢えていて、20年ぶりに『ミッケ!』という探し物をする絵本を買って、夫に音読してもらって遊んでいた。

 昔から、子ども好きでいつか子どもを産むだろうと思っていたけれど、単為生殖たんいせいしょくが良かった。私の遺伝子しか受け継がない子どもが生まれれば、さぞかわいく感じるだろうと考えていた。
 妊娠して、毎日良かったと思っているのは、夫のことが大好きであることである。楽ではない妊娠生活の中で、夫を見ながら、「このくらいかわいければいいな」と思って耐え忍んだ。
 夫と仲が良いのはすごくうれしいことだ。私自身は両親と仲が良いが、父と母はかなりの不仲だったので、大好きな母と大好きな父の絶対的な味方でありたいと思いながら、それを両立するのが難しい場面が多かったことが悲しかった。両親はどちらも、私は自分に似ていると固く信じて、すごくかわいがってくれたけれど、もし父に「母に似ている」と言われたら悲しくなっただろうし、母に「父に似ている」と言われたら悲しくなったと思う。他人に言われる分にはどちらもうれしいのに、そう思うくらい仲が悪かった。だから自分だけで完結する単為生殖が良いと思っていた。ちなみに二人とも60歳を超えて、体力を失い、精神的にも落ち着いてきたのか最近の関係は「なぎ」といった感じである。
 今、もし、生まれてくる子どもが私のクローンか、夫のクローンか選ぶとしたら、夫のクローンがいい。そして実際には、どちらの要素も持ち合わせた、見知らぬ人が生まれてくる。
 興味本位の楽しみとしては、虫嫌いの夫と虫好きの私から生まれる子どもは、虫を好きになるのか否かの結果発表である。

 体型や体質は目まぐるしく変わっているけれど、私自身は思った以上に変わっていない。昔、友達の妹の子どもを預かって一晩なのに大変だったとSNSでつぶやいたら、見知らぬ高齢男性に「他人の子どもだから大変なんです。普通、女性は妊娠出産で母親スイッチが入るんです」と絡まれて、ずいぶん口論をしたことがあるけど、5年越しに答えます! 少なくとも妊娠では入らないでーーーーーす!
 あまり自分自身の内面が変わらないことにかえって動揺した。まだ、家族として生まれてくる赤ちゃんに対して、他の家族と同じような親しみを感じられていなくて、はっきり言って人見知りもしている。ただ、そこに大事な命があるだけだ。私の想像していた親らしさはなく、生きとし生けるものを慈しむという子どものころから変わらない私の姿しかない。
 同じくらいの妊娠週数の人をXで探してリストに入れて見ていたが、みんな私よりも愛情が芽生えているように思えて落ち込んだり、不安になったりもした。でも、「母親らしさ」なんてものは幻想で、唯一無二の正解は存在していないのである。これからも私はどうしようもないくらい私のままの人生で、私らしく家族を幸せにしていくのだ。

 もうすぐ29歳になる私の世代は、仕事で忙しい日々の中で、結婚するとかしないとか、子どもを持つとか持たないとか、公私ともにさまざまな選択を迫られやすい。
 本当に各人の好きにするべきだと思う。私たちは地球をはじめ、いろんなものをシェアして生きていくけれど、自分の人生の選択だけは、どこまでも自分だけのものだと思う。それは、何歳でも変わらないことだ。
 それでも、「いい年して結婚せずに遊んでいるのは云々うんぬん」だとか「子どもを産まずに犬や猫をかわいがっているのはどうだ」とか余計でしかない口出しをしている人を見る。底無しに無礼だし、自他の境界が緩すぎる。
 自分の人生を自力で肯定しきれない人が、他人の人生を否定することで、「自分は正しい」として、なんとか自分の人生に納得しようとする野蛮な行為にすぎない。たまに、「子どもを授からない人はしかたがないけど〜」と前置きすることで、その非常識さを隠した気になっている人もいるけれど、他人に自分の狭い了見を押しつけようとする野蛮さは消えることはない。あれは、もはや怪異の一種なので、耳を貸してはいけないし、振り向いてもいけない。あと、ことに結婚や妊娠に関しては、「社会は〜」とか「国は〜」と大きな主語で語る人もいるけど、そいつは「社会」でも「国」でもなく、「人」である。怪異でないとしたら、ただの人なので、恐るるに足らずである。
 妊娠してもあらゆる無礼さと縁が切れることはない。むしろ、今まで遭遇したことがなかったタイプの無礼さと出会うことがあり、驚くことも多い。最近は、常識的な印象しかなかった人に「妊娠は計画的だったのか」を聞かれ、面食らった(しかも、年齢も性別も異なる二人から聞かれた)。

 反対に、友人に言われてうれしかった言葉もある。
 「大人になると友達ってできにくいから、年は離れているけれど、しのちゃんの子どもとも仲良くなりたいんだよね」
 生まれる子どもが今の私と同い年になるのが2052年であると気付いたとき、未来人を産むんだと感じた。でも、長い生命の歴史の中で、同じ時代を生きるということはほぼ同世代といって差し支えない。
 良い親になろうと考えると、良い親とは一体何なんだろうと悩むけれど、これからも、良い人になるよう、生きていきたいと思う。
 是非、皆さん、この人と仲良くしてあげてください。私も仲良くなれるように頑張ります。

水天宮で戌の日参り(篠原さん提供)

第6回を読む
第4回へ戻る

プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)

1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。

バナーイラスト 平泉春奈

※「本がひらく」公式Twitterでは更新情報などを随時発信しています。ぜひこちらもチェックしてみてください!