パイナップルみたいな「新メンバーを紹介するぜ」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第14回は篠原さんのお子さんに対する思いのお話です。
※第1回から読む方はこちらです。
#14 新メンバーを紹介するぜ
きついながらも、産前のズボンが入るようになった。今日は私の祝日である。体重は、まだまだ戻っていないので、ズボン自身のポテンシャルによるところも大きいと思う。
今回は、3か月くらい前から一緒に暮らし始めた赤ちゃんを紹介しようと思う。
まず、とてもかわいい。全ての赤ちゃんや、かつて赤ちゃんだった私やあなたと同じようにかわいい。
昔から、両親が私のことをあまりにかわいがるのを「さすがにかわいがり過ぎだろう」と思っていた。
幼い私は、持ち前の斜に構えた陰気さにより「そういうキャラ付けをして引っ込みがつかなくなってしまったのだろうな」と考えていたのだが、子育てを通して、どうやら、全て本気だったらしいと今更ながら気が付いた。
確かに、とても、冷静ではいられないほどかわいい。
私の世界に、太陽でも月でもない、地上を照らす新しい星が現れてしまったように感じる。あまりにかわいく、大切過ぎて、街ゆく人まで愛おしくなった。きっと、あの人もその人も誰かの新しい星として生まれたのだろう。
最近、赤ちゃんが笑い声を上げるようになったのだが、笑い声を上げる度、まだ、世界になかった色が生まれているような気がする。宇宙規模でしか表現できないほどかわいいのだ。
うちに来たのは、とても明るい赤ちゃんである。笑顔を振りまき、絶え間なくかわいい声を出していて、抱っこすると肩を組もうとしてくる。
大きくて、明るくて、なんというか、果物に例えると、パイナップルのような人なのだ。
これは、とても予想外であった。子どもは親とは別の人格を持った人間であることは重々承知していたのだが、自分たちの遺伝子の中に明るい性格を発現させるものがある可能性を全く想定していなかったのである。
生まれてくるまで「いつ、どのような形でインターネットに触れさせるか」については夫婦で相談していたが、例えばスポーツをさせることなんかは1mmも想像しておらず、今、将来スポーツに関心を示したときの親の振る舞いについて必死に調べているところだ。
赤ちゃんなんて全て明るいだろうと思われるかもしれないが、私は明るい赤ちゃんではなかったらしい。ほとんど笑わず、ごくまれに「ゲヘゲヘゲヘゲヘ」と低い声で笑ったと聞く。
悪役にしかいない、笑い声である。
それなりに大きくなってからも、あまり笑わず、今に至る。楽しくないわけではなく、外から楽しさが見えにくいタイプなのだ。
そんな訳で、生後2か月にして、既に私よりずっと笑う人だと思っていたのだが、この頃の赤ちゃんは、親が笑っているのにつられて笑うらしいと聞いて、私自身が普段よりもずっと笑っているのだと気付いた。笑っている赤ちゃんを見るとき、我々もきっと笑っているのだ。
今まで、私は、あまり笑うのが好きじゃなかった。私は、私なりに楽しいのに、大して知らない人からもっと笑った方がいいと言われるのが苦痛で、輪をかけて笑わなくなっていたのだ。しかし、赤ちゃんが笑うと、とてもうれしいのだ。私が笑えば、赤ちゃんも笑うとあれば、笑わない理由がない。
それに、私の両親の赤ちゃんであるところの私の、29年物の笑顔をもっと彼らに見せてあげようという気持ちにもなった。私が笑っているとやはり両親はうれしそうである。私が笑うとき、両親の世界にもまだ、なかった色が生まれているのだろうか。
ちなみに、うちの赤ちゃんは、よく愛想笑いもしてくれる。キャーとはじけるように笑うときもあるが、私が笑わせようとして滑ると、僅かにほほ笑みながら「ハハッ」と笑う。
もう一つの予想外としては、うちにいる赤ちゃんは、とても大きい。生まれたときは大きくなかったのだが、ラブラドール・レトリバーのごとき食欲でミルクを飲みまくり、すさまじいスピードで成長した。ふと気付くと50人に1人クラスの巨大赤ちゃんが家にいたのだ。
両親である私も夫も全く大きくないので、うすうす大きいんじゃないかと思いつつも、どこか信じられず、どんどん着られなくなる服の山を見て、赤ちゃんの服って縮みやすい素材なんだなと思っていたのだが、退院のときも乗せた、実家の車のベビーシートにしばらくぶりに乗せたときに衝撃を受けた。
それでも、まだいわゆる「ちぎりパン」状態の腕にはなっていないので、まだまだ変身を残しているのかもしれない底知れなさに動揺しながら、抱っこするための筋力を間に合わせるためにパーソナルトレーニングに通い始めた。
まだ絶対的には小さいのに、相対的に大きすぎて、どこに行っても「大きいですね」としか言われない。
産後ケア施設に行ったとき、他の赤ちゃんが全て「ちゃん」か「君(くん)」で呼ばれている中、特に月齢が高いわけではないのに、うちの赤ちゃんは「さん」付けで呼ばれていた。
顔だったり癖だったり、よく似ているところもあるのだけれど、存在から受ける印象があまりに私と違うので、この春まで、一塊の生き物として生きてきたことが、すごく不思議に感じられる。
赤ちゃんの好きなしぐさや好きなところは数あれど、なんと言っても私が好きなのは、赤ちゃんの世界に好きなものが増えていく瞬間である。
まだほとんど家の中だけで過ごしている赤ちゃんにも、少しずつ、これが好きなんだろうなと思う瞬間が増えてきた。
お風呂でプカプカするとき、コットンで口を拭いてもらうとき、犬を見るとき、プーメリーを見るとき、キラキラした絵本を読み聞かせられているとき、キリンビールの鈴木亮平のポスターを見るとき。今、赤ちゃんは楽しい気持ちなんだと思うと、私もすごく楽しくなる。
少しでもつまらなくなると、人を呼んであやさせるので、「人生、どの瞬間も面白いわけじゃないぞ」と思いながらも、「一生、面白く生き続けてほしい」という願いが勝って力の限りあやしている。
毎晩、赤ちゃんが眠りに就くと、君が目いっぱい世界を楽しめますように、そして、どうか、誰からも意地悪なことを言われませんようにと今までの人生にないほど切実に祈っている。
でも、見知らぬ誰かの挙動をコントロールすることはできないので、意地悪なことを言われても、「こんなに愛されている自分になんてことを……」と思えるくらい愛していく方が現実的かもしれないとも思っている。私がそうしてもらったように。
生まれてくるということは、我が家の新メンバーであるのと同時に世界の新メンバーにもなるということである。皆さん、このパイナップルのような赤ちゃんをどうぞよろしくお願いします。
プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈
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