得意であるという自信は「誇り」。じゃあ得意じゃないことができるという自信は?「得意じゃないことをやるという特技」――昆虫・動物だけじゃない、篠原かをりの「卒業式、走って帰った」
動物作家・昆虫研究家として、さまざまなメディアに登場する篠原かをりさん。その博識さや生き物への偏愛ぶりで人気を集めていますが、この連載では「篠原かをり」にフォーカス! 忘れがたい経験や自身に影響を与えた印象深い人々、作家・研究者としての自分、プライベートとしての自分の現在とこれからなど、心のままにつづります。第18回は篠原さんが最近見た夢から広がる、人生の判断基準についてのお話です。
※第1回から読む方はこちらです。
#18 得意じゃないことをやるという特技
最近、歌のオーディションに参加する夢を見た。夢の中で私は、課題曲を知らなかったので、食い下がって頼み込んで別の歌を歌わせてもらった。そこで目が覚めた。
起きてから、ぼんやり夢の内容を思い出して、私らしい夢だったなと思った。
どんなところが、私らしいのかというと、絶対に無理なことであっても深く考えずにやってみるところである。実は、私はものすごく歌が苦手である。リズム感というものがカケラもないので、ダンスも苦手だ。ちなみに、凄まじい棒演技になってしまうので芝居も苦手である。とんだ逆タカラジェンヌなのだ。
だから、歌のオーディションなんて、夢の中でだって通るわけがないし、そもそも課題曲を知らずに別の歌で挑むなんて、たとえ歌がうまかったとしても無謀な話である。しかし、私は現実世界でも、割とそういうことをするタイプである。そして、子どもの頃は、現在の私の比ではないほど、無謀な試みを厭わないタイプだった。
できるという自信があるわけではない。その瞬間、奇跡が起きて、今までの自分にない力が発揮できることに期待しているわけでもない。絶対無理だとしてもやってみることや、その結果、何も起きないということに抵抗がないのだ。ある意味、変化球だが、究極のポジティブなのではないかと思っている。
小学生の頃、学芸会のピアノの伴奏者はオーディション方式で選ばれた。私はそれに毎回、エントリーしていた。私はもちろん、ピアノも弾けない。
そして、お受験をして入る学校なので、私以外の人の多くは、大抵、何かしらの楽器ができた。楽譜が全く読めなかったのは、恐らく私だけだったと思う。小学校の最初の音楽の授業で、先生が弾くピアノの和音に合わせて、起立・礼・着席を私以外の全員ができていたとき、大変な場所に来てしまったと思った。高校卒業後、音大に行った子は何人もいるし、プロの音楽家がさほど人数の多くない同級生の中から2人も出た。ピアノの伴奏は、ほとんど全ての年で、後にプロのピアニストになる子がやっていた。
それでも、毎回オーディションに参加した。しかも、ただエントリーするだけではなく、ピアノが得意な知り合いの元で課題曲の練習を見てもらってもいた。
なぜかというと、シンプルにピアノの伴奏者もオーディションもやってみたかったからだ。それ以外の理由は一つもない。実力面で悪目立ちしようが、選ばれなかろうが、何も気にしていなかった。当時の私の中で、「できること」と「やること」は、全く結び付いていなかったのである。
ところが、そういうことが苦手になってしまったときがあった。私はいつものように、運動会の一輪車リレーの選手の選考会にエントリーしていたのだが、あまりうまく乗れるわけではなかったので、スタート地点から何度も乗り直しながらなんとか完走した。
嫌だったのは、後日保護者面談のときに、担任の先生によって「できないのに頑張る姿に感動した」と言われたことである。もちろん、善意だったと思う。しかし、今でも忘れないくらいの衝撃を受けた。それまで、自分以外の人が、私ができているか、できていないかを見ているという視点を全く持っていなかったのである。そして、できないのに挑戦することは、誰かを感動させてしまうほど涙ぐましく映るものだということにも気付いていなかった。できなくて笑われるくらいならば、まだいいが、勝手に感動されるのだけは我慢ならなかった。食べたいから食べる、走りたいから走ることと同じように、ただやってみたいからやっただけなのに、勝手に「健気」のレッテルを貼られるようで、急に恥ずかしくなった。
ばかにされるのは、ばかにした人の方が悪いと思えても、感動した人を悪いと思うのは難しかったからである。それ以来、しばらくの間、挑戦することに臆病になった。
それから再び、できないのに恥ずかしげもなくトライするようになったのは大人になってからである。
一時の恥じらいのために、大きなチャンスを逃したことを今でも後悔しているからである。中学生の私は、宝塚音楽学校を受験したくて、母に頼み込み、歌とダンスと芝居を習うスクールに通っていた。この時点で元々の変化球ポジティブな気質の残り香が感じられるが、自分の中であと一押しが足りなくて、結局、受験はしなかった。私は、昔も今と同じように歌とダンスと芝居が苦手でその上、太っていたから。
どうせ受からないから受けないのではなく、基準に大きく満たないであろう人間が受験すること自体が良くないことだと思って、勇気が出なかった。
私は、これをずっと後悔している。受けていれば、少しでも可能性があったとは全く思わない。ただ、受けていれば、今をときめくタカラジェンヌの音校受験生時代を劇場の1列目よりも近い距離で見られたかもしれない。そう思うと、生涯、取り戻すことができない失敗だったと言わざるを得ない。
だから、私は、これからの人生で、「向いていないこと」や「できないこと」をやらない理由にせずに生きていこうと心に決めている。
期待どおりの結果が出るのは、やはり、「向いていること」や「できること」だ。
でも、良い結果にならないものをやってみることで、何も得られないわけじゃない。その後、もう二度と私の至らなさに勝手に感動されたくないと思って一輪車を猛練習して乗れるようになり、大人になった私は、なんと今でも一輪車に乗れる。他の曲は一つも弾けないけれど、いつかの年のピアノの伴奏の課題曲だった『トルコ行進曲』を1フレーズだけ弾ける。一輪車に乗れることで直接的に得したことはないのだが、「一輪車に乗れる」というプロフィールをかなり気に入っている。
できなかったことに関連して嫌な思いをした一輪車に乗れるようになったという事実は、得意科目で良い成績を取るとか、執筆でお金を稼ぐとか、得意なことが与えてくれる自信では補えない部分の自信をくれる。
得意であるという自信は、「誇り」だ。得意じゃないことができるという自信は、「安心」だ。
もし、何一つ得意なことが無くなったとしても、得意じゃないことをやるのが得意なので、大丈夫なのである。
第19回へ続く(2024年12月11日更新予定)
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プロフィール
篠原かをり(しのはら・かをり)
1995年2月生まれ。動物作家・昆虫研究家/慶應 義塾大学 SFC 研究所上席所員。これまでに『恋する昆虫図鑑~ムシとヒトの恋愛戦略~』(文藝春秋)、『LIFE―人間が知らない生き方』(文響社)、『サバイブ<SURVIVE>-強くなければ、生き残れない』(ダイヤモンド社)、『フムフム、がってん!いきものビックリ仰天クイズ』(文藝春秋)、『ネズミのおしえ』(徳間書店)などを出版。
バナーイラスト 平泉春奈
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