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日比谷で働く書店員のリアルな日常、日比谷の情景、そして、本の話――エッセイ「日比谷で本を売っている。」第10回 〔踊り子と家族〕新井見枝香

※連載第1回から読む方はこちらです。

 炊きたてのつやつや新米に、こんがり肉厚な鯖の塩焼き、刻み葱を乗せた具だくさんの豚汁と、箸休めの塩もみキャベツ、ご飯のお供は細かく刻んだ京都の柴漬け…。友人からLINEで送られてきた写真に、猛烈な食欲が湧いた。スマホを見ながら菓子パンで朝食を済ませた私とは大違いだ。悔し紛れに《うちも新米だよ》と返したら、「うち」という言い方を笑われた。
 踊り子の仕事で、福井県の芦原温泉に来ている。毎晩ステージに立ちながら、劇場の楽屋に寝泊まりしているのだ。順応性が高いのか、3日も寝起きすれば、そこが「うち」になり、ひとつ屋根の下に暮らす人たちを「家族」と錯覚し始める。終演後、みんなで晩ご飯の食卓を囲めば、なおさらだ。しかし日比谷の書店で働いている時は、都内のアパートが「うち」である。そこに「家族」はいない。ひとりで自由に暮らしたくて、両親と住む実家を出たのだ。
 前回ここへ来たときは、真夏だった。料理上手なお姐さんと、お酒が好きで愉快なお姐さんというメンバーは、兄ではなく姉が欲しかった私にとって、最高のプレゼントである。ひとつ屋根の下、踊り子3姉妹が手分けして家事を行い、たまには近くの飲み屋へ出掛け、ほどよい距離感で暮らす穏やかな日々。食の趣味や、きれい好きなところも気が合って、何のストレスもない10日間を過ごした。
 そして秋になり、今度は芦原に20日間の滞在だ。前回とはメンバーが異なり、今週デビューの新人さんと、私を娘のように可愛がってくれるベテランのお姐さんという組み合わせである。お姐さんはとても愛情溢れる人で、私と新人さんのことを、何かと甘やかす。メンバーが変われば楽屋の雰囲気も変わるが、たった数日で、お姐さんのことをつい「かあちゃん」と呼んでしまうくらいには、ここでの暮らしに馴染んでいた。
 だが1週間を過ぎた頃、徐々にストレスが溜まり始める。
 かあちゃんは大きな怪我から復帰したばかりだった。ステージで踊る以外は、できるだけ体を休めて欲しい。それなのに、料理も掃除も、かあちゃんがやろうとする。新人さんは、まだ自分のことで手一杯だから、ここは私が動くべきなのに。
 しかし、仕事を奪えば、かあちゃんはまた別の仕事をしようとする。じっと座っていてくれと言えば、しゅんとする。良かれと思ったことが空回りして、私自身が疲れてしまった。
 この悩みは、どこかで聞いた覚えがある。ラジオの人生相談か、はたまた職場の休憩室だったか。いや、『家族のトリセツ』だ。脳科学・人工知能研究者の黒川伊保子さんが、自身の経験を交え、家族との関係にストレスを感じる理由と解決法を教えてくれる「家族の取り扱い説明書」である。実家との縁が薄い私にとって、今はこうして劇場で寝泊まりする仲間が「家族」だ。何かヒントをもらえるかもしれない。
 それは、黒川さんが過去に受けた人生相談だった。
《実家に残った姉が食事を一切作らず、母親がせっせと姉家族に作って食べさせている。》
 相談者は、お姉さんのこともお母さんのことも心配して、何とかしたいと思っているのだ。しかし黒川さんの回答は「放っておけばいい」。脳科学の観点から、娘一家に食事を作ることは母親の生きがいであり、お母さんの脳の健康を促進している、と説明していた。
 私は、かあちゃんの生きがいを奪おうとしていたのか。
 私も新人さんも、かあちゃんがごはんを作ってくれるのは嬉しい。そしてかあちゃんも、作ったごはんを食べてくれるのが嬉しいのだ。いくら心配でも、私はそれを「放っておく」べきなのだろう。
『家族のトリセツ』は、私が今抱えている問題のトリセツでもあった。数日のうちに、かあちゃんができないこと、苦手なことが見えてくる。それをサポートすることは、実にたやすいことだった。
 そしてこの本には、黒川さん自身が育った家庭環境についても、綴られている。
《父は、自分は教育者だったけれども、私に勉強しろとも、宿題しろとも言ったことがなかった。》《晩酌の膝に抱いて、とことん甘やかしてくれたものだ。》《ふすまを破って飛び出しても、壁を傷つけて絵をかいても、父のみならず母までもが、面白がった。》
「甘やかされて育った子」という言葉を悪い意味で使うことがあるが、親になった黒川さんの、夫や息子とのエピソードを読むと、あながちそうとも言えないのだ。
 思えば私も、そういう家庭に育ったのだ。親に何かを強制されたり、無理矢理奪われたりすることはなかった。いつだって、私がしたいように、させてくれていた。それなのに私は、両親のアラばかりに目がいって、変わってくれないことに苛立ち、家を出た。もう今さらやり直すことはできないが、別の形の「家族」との付き合いを、より良きものにできるかもしれない。
 この20日間限定の家族が解散する時、私はこの本を楽屋の本棚に置いて帰ることにしよう。

連載第11回へ続く

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プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)

書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
*新井見枝香さんのTwitterはこちら
*HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEのHPはこちら

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