日比谷で働く書店員のリアルな日常、日比谷の情景、そして、本の話――エッセイ「日比谷で本を売っている。」第9回 〔ヤクルトと本〕新井見枝香
「ヤクルトレディ」に初めて会った。もちろん道ですれ違うことは何度もあったが、制服を着た彼女たちは、たいてい自転車に乗って、スイスイとどこかへ向かっている。「1本くださいな」と声を掛けて呼び止めるのは気がひけるし、そもそもそういう石焼き芋的な買い方をしている人を、見たことがない。だが、ヤクルトレディは思いがけず近くにいた。ある職場で先輩と雑談をしている際、彼女が元ヤクルトレディであり、辞めた今でも、ヤクルト愛があることを知ったのである。
曰く、スーパーやコンビニでは買えない「ヤクルト1000」という商品が存在し、それには、生きて腸まで届く乳酸菌が1000億個も入っているらしい。そのおびただしい数にピンと来ないかもしれないが、一般的なヤクルトに含まれるのは200億個であるから、その力強さは凄まじい。毎日飲み続けた彼女の実感として、確かにストレスが緩和し、睡眠の質が向上したと聞けばもう「ヤクルト1000」が欲しくてたまらない。年齢のせいなのか、最近どうも眠りが浅く、疲れが取れないのだ。そうなれば当然、化粧のノリも悪い。ヤクルトには美肌効果もあると聞けば、なおさら私に必要と思えてくる。自宅に帰らない日が多いため、定期的な配達をお願いしにくいと元ヤクルトレディに言うと、彼女は「センター」で直接買うこともできると教えてくれた。Googleマップで検索すると、自宅から徒歩数分の路地にひっそりとある。訪ねてみるとそこは事務所のような場所で、ヤクルトレディから「ヤクルト1000」の10本入りパックを買うことができた。なるほど、ヤクルトレディはここでヤクルトを積み込んで、各所に配達していたのである。よくすれ違うわけだ。
職場で出会った元ヤクルトレディは、それほど長期間働いたわけではないのに、やたらヤクルトに詳しかった。どうやら採用後の研修が手厚いらしい。製品の種類や特性だけでなく、そもそもヤクルトとは何なのか、訪問販売先で何を聞かれても答えられるように、きちんと学んでから実務に移っているのだ。
私は10年ほど前、大手書店にアルバイトとして入社した。ちょうど出版不況が騒がれ始めた頃で、そのうち「電子書籍 or 紙の本」「ネット書店 VS リアル書店」なんて図式がメディアで頻繁に報道されるようになった。けれど、店頭には毎日新しい本が並び、レジに並ぶお客が絶えない。確かにこの10年で、本の売上げは大きく減ったかもしれない。電車内では、文庫や雑誌を読む人が少なくなり、大勢がスマホをいじっている。だが、どうしても私には、本が誰からも必要とされない未来なんて、想像できないのだ。その「実感」としか言いようのない、明るくて強い希望に根拠を与えてくれたのが、『本の世界をめぐる冒険』である。
荻窪で「6次元」というブックカフェを経営するナカムラクニオ氏が、本の歴史を紐解くことで「本とは何か」を追求していく本だ。わかりやすく簡潔にまとめられているが、この本を書くにあたって、大量の本を必要としたことが想像できる。本で学んだ本のことを本に書く。ひとりの人間が吸収できる情報を、本は莫大に増やしてくれるのだ。本の定義は、実に広い。まだ紙がない時代の、文字を彫った粘土。文字すらない時代に遡れば、情報を口で伝えるのは、人間そのものだ。電子か紙かで大騒ぎしていることが、ちゃんちゃらおかしくなってくるではないか。そして彼に言わせれば、現代のインターネットも、人と情報をつなぐ巨大な「本」である。それなら電車の中は、本を読んでいる人ばかりだ。
いつの時代も、本屋が心配しなくたって、人は何らかの手段で情報を記録し、必要とする誰かに伝えてきた。だから本はなくならない。本屋の私が売ろうとしているものの実体は、ヤクルトの乳酸菌みたいに増え続け、進化し続けているのだ。10年前、「そもそも本とは何なのか」を、ヤクルトレディのように研修で学んでいたら、もう少し早くこの答えにたどり着けたかもしれない。
プロフィール
新井見枝香(あらい・みえか)
書店員・エッセイスト。1980年、東京都生まれ。書店員歴10年。現在は東京・日比谷の「HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE」で本を売る。芥川賞・直木賞の同日に、独自の文学賞「新井賞」を発表。著書に『探してるものはそう遠くはないのかもしれない』『この世界は思ってたほどうまくいかないみたいだ』(秀和システム)、『本屋の新井』(講談社)。
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*HMV & BOOKS HIBIYA COTTAGEのHPはこちら
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