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このわたしの、ああ、人間そのもののくさみ――「ことぱの観察 #07〔くさみ〕」向坂くじら

詩人として、国語専門塾の代表として、数々の活動で注目をあびる向坂くじらさん。この連載では、自身の考える言葉の定義を「ことぱ」と名付け、さまざまな「ことぱ」を観察していきます。


くさみ

 料理をしていると、「くさみ」という言葉にたびたび行き合う。そして、それはだいたい悪いものとして登場する。魚に塩をふって水を出すのはくさみを抜くため、レバーを牛乳につけるのも、豚骨を茹でたお湯を一度めは捨てるのも同じだ。ちなみに、三つめを「茹でこぼす」と言う。ほかの局面では見かけないけれど、質感のあるいい複合語だなと思う。ショウガやニンニク、スパイスなど、別の香りの強いものでくさみをカバーすることもある。インターネット上のレシピ投稿サイトで「くさみ」と検索すると、「くさみなし!」「くさみゼロ」が売り文句のレシピがたくさんヒットする。くさみとは克服する対象なのだ。
 かく言うわたしもくさみを抜きまくってきた。アクをとり、ショウガを揉み込み、よけいな水分を拭き取る。ときには酢を使って「茹でこぼし」たりもする。親元を離れて料理を始めたばかりのころはくさみをおそれるあまり、長時間塩につけすぎて尋常じゃなくしょっぱい魚の唐揚げや、確かにくさみこそなくなったもののそのほかの味もまたきれいになくなった煮豚なんかが、よく出力されたものだった。基本的に、いかにくさみを抜きながらほかの味を残せるか、というのが勝負どころであるらしい。本来は複雑な味の中に混じりあっているくさみだけを、外科手術のように精密に抜き取ることができると、確かに達成感がある。
 けれども一方で、くさみがあってこそおいしい、ということもある。肉や魚のくさみをおそれているくせに、くさみが好きな食べものがたくさんある。子どものころからいくらより筋子のほうが好きだし、内臓のたぐいも喜んで食べる。さざえのしっぽ、イカのわた、ほや、煮魚のめだま、鴨やダチョウや羊の肉。下戸のくせに、酒に合いそうなものばかりつるつる食べるというので、人からよく笑われる。
 それに、くせのある食べもののおいしさを発見するのは楽しい。趣味を聞かれると、「嫌いな食べものを克服することです」と答える。これまでありえないと思っていた食べものが、一度克服してしまうとにわかにおいしくなってくる。それも、違う味に感じられるのではなく、あくまで同じ味のまま、受け取るわたしのほうが変わっている。それがおもしろいのだ。だから、好きになれるかはわからなくても、出会うたび一度口に入れてみる。何度食べてもだめなものもあるけれど、ときどき克服できるものもある。最近は強敵だった生のサーモンを克服した。どうしても風味が苦手だったけれど、生のトマトと取り合わせたものを食べて以来、その風味こそがおいしい気がしてきた。
 思うに、くさみにも種類があるようだ。料理が好き、それ以上に食べるのが大好き、という程度の素人なりに分類をしてみたい。
 まず生鮮食品なら、鮮度が落ちたときのくさみ。これには衛生上の問題があり、軽々しく「くさみこそおいしい」とは言いづらい。最近は熟成肉なんていうのもあると聞くけれど、素人の台所ではなおさら手が出せない。つぎに、鮮度にかかわらず素材そのものが持っているくさみ。魚介やホルモン、それからにんじんやピーマンの青くささ、人によってはきのこにもくさみを感じるらしい。下ごしらえの不手際によるものもあるだろうけれど、避けようがないものも多い。そして、これはややもすればおいしさになる。わたしからすると、もっとも克服しやすい。
 それから、加工食品や料理のくさみ。なかでも発酵がからむものはだいたいおいしい。チーズ、納豆、熟れ鮓、アンチョビ。ただ、こちらも衛生面が怖い。発酵と腐敗とにさしたる違いはなく、人間にとって都合がいいかどうかで決まると言うからおそろしい。苦手さを克服できることもあるけれど、先に挙げた素材のくさみを克服するよりも、そのぶん一段ハードルが高い印象がある。
 整理しよう。くさみには、鮮度の悪いくさみ、素材そのもののくさみ、加工や発酵によるくさみがある。ただ、取り立てて「くさみ」というときには、やっぱり真ん中の素材そのもののくさみを指すことが多い気がする。ほかのふたつのことは、単に「におい」と呼べばいい。けれど素材の持っているある味には、「くさみ」としか呼びようのないものがある。そしてそれが、下ごしらえや取り合わせによって、ときに勢いよくおいしさへと反転する。

くさみ:
食べものに感じる複雑な味の全体から、食べたものを不快にさせる味だけを抜き出した言葉。なかでもとくに、素材がもともと持っている不快な風味。料理をするものにとって、また食べるものにとって、くさみは克服する対象である。くさみは、抜き取ることやほかの風味でカバーすること、そしてくさみ自体をおいしさと捉えてしまうことによって、克服することができる。

 携帯ショップの浅いソファに座って、クレジットカード新規契約の案内を見つめながら、うっすらとそのことを考えていた。担当についた店員は手続きについて店長に確認をしに行っている。向こうの机にはおばあさんが座っていて、説明する女性店員の声はだんだん大きくなり、敬語も外れていく。店頭に立っているペッパーもなにかしゃべりつづけている。なにをしゃべっているかまでは聞きとれない。店の外をゆく人に話しかけているようでありながら、ときどき身体の向きはそのままに首をぐいっとひねってこちらを向き、しばしそのままぴたっと固まるのが怖い。目があっているような気もする。
 店員がこのまま戻ってこないでほしかった。同い年か、少し年下に見える男性店員。長めの髪の毛には細かいパーマがかかっていて、明るい声だった。機種変更にあわせてクレジットカードの契約をすればキャッシュバックが得られ、さらにそのカードを支払い方法に登録すると月にいくらか使用料が割り引かれる、ということを早口で説明しながら自分でくりかえし頷き、頷くたびにこちらの顔を覗きこんだ。彼が近くに来ると、香水かなにか、重たい他人のにおいがした。
 人間のくさみ。
 嗅覚が過敏なほうだからか、誰かのことを苦手だと思うと、まず鼻が反応する。いちばんに不快に思うのは、必ずにおいだ。それから坊主憎けりゃ袈裟までの要領で、声色、表情筋の動きかた、小さなしぐさや口ぐせ、相手が無意識におこなっていることのひとつひとつが、わたしの感覚を刺激しはじめる。くさみだ、と思う。人間のくさみだ。素材の持っているある味、不快な味、克服すべき味。しかしそうだとしたら、これもどうにかすればおいしさに転じることがあるのかもしれない。やっぱり、受け取るわたしのほうの問題であるにちがいない。
 結局、クレジットカードの登録はしなかった。登録に必要なウェブサービスの名前が旧姓のままになっていて、それを変える方法が誰にもわからなかったからだ。もとより断るほうがおっくうというだけで進んでいた手続きだったから、はじめて自分の改姓がありがたかった。そのことを説明する店員は、首を上下ではなく前後にゆらしながらわたしに謝り、そのあいだもやはり、くさみはおいしさを伴わない、単なるくさみのままだった。帰りぎわ、ペッパーは中空をじっと見ていて、ぜんぜんこちらを見なかった。

 それでどうにか持って帰った新しいスマートフォンに、ラインが届く。学生時代の後輩からだ。このあいだ久しぶりに会ったときにうっかり打ち明けられてしまったせいで、わたしはなぜか彼女が不倫をしていることを知っている。彼女も愛人も結婚をしていること、さらにはふたりの配偶者をふくめた四人が全員お互いに知り合いであること、ふたりの関係が誰にもばれないまま、かなり長く続いているということまで。ラインをくれたのは、その愛人のほうが一方的に関係を終わらせようとしていて、やきもきしているからだという。
 はじめは「そうかあ」とか「こえー」とか相槌程度の返事をしていたけれど、やりとりが三日をすぎたころから、だんだん気がめいってきてしまった。だいたい不倫の相談というのは聞いていて元気が出るものではない。無責任な友人として、訴訟や病気に気をつけてね、ぐらい言ってやることはできるけれど、しかしその程度の返事をしているだけでも、なにか重大なことに加担させられているような気分になってくる。手を組んで彼女たちの家族にひどいことをしているのは、わたしも同じなんじゃないか。いや、でも、日ごろ芸能人の不倫の報道なんかを見ると、大人なんだから当人の問題にしておきなさいよ、なんて思っている、まさにその距離感でいればいいんじゃないか。いやいやしかし、彼女の話を聞いているかぎり唯一の相談役であるわたしという立場はもう、ほとんど当人の一部なんじゃないか。仕事の合間に「へえー」とか言っているだけでいいんだろうか。わたしに負うべき責任はないとしても、その負わなさこそがむしろ、わたしのしている悪事そのものなんじゃないか……こちらがぐるぐるとしおれてくる一方、当の本人は終始どこか楽しそうなことも、ますますわたしの生気を奪うのだった。返信はどんどん適当になったけれど、こちらの心中を知ってか知らずか、彼女は相談を送りつづけた。
 そのあまりヘルシーでない均衡を崩したのは、四日目に彼女から送られてきたひとことだった。
 「人を不幸にしてしまうのはわかってるのに、なんでこんなことしちゃうんですかね笑 サイコパスなんですかね?」
 そこで、突然ぜんぶがどうでもよくなった。この話の陰で不幸になりかねない誰かのことを、これまでわたしと後輩とは話さずにきた。わたしの中ではそのことを、せめてもの彼女の良心のように思ってきたのだった。しかしそれさえこんなふうに楽しげに、自分の特異さに引きつける形で語ってしまえるのだとしたら、もうわからない、と思った。
 「いやふつうに、ふつうの人間程度に利己的なんでしょ。みんな利己的だから他人を不幸にしなくてすむようなんとかがんばってるところ、そうしてないんでしょ」
 勢いにまかせてそう返事をしたのを最後に、ぱたっとやりとりが止まった。学生のころから、相手が自分を拒絶する気配はひと一倍するどく見抜く女だったことを、送ったあとに思い出した。自分で怒っておいて、しばらくするとつらくなってくる。ここ数日間のいやな後味が口のなかに残っている。彼女から届いた行為の報告、文末にいつもついている「笑」、愛人との会話のスクリーンショット、会ったときに見せてもらった愛人の写真、ワックスのついたその前髪。生ぐさいような気がした。よく知った女と知らない男。ふつうの人間程度に利己的な、その、素材そのものの。そして、これまでなあなあに話を流してきたくせに、そして心のどこかでは彼女の放埒さをおもしろがってもいたくせに、なんの前ぶれもなくけんもほろろにふるまって、それでしっぽ切りのように許された気になっている、このわたしの、ああ、人間そのもののくさみ。
 そのあと時間を空けて、なにか短いラインが届いていたけれど、返事をしないままになっている。

 さて、わたしたちのそのもののくさみは、果たしておいしさに転じることがあるだろうか。とうてい無理な気がする。さざえや、ほやや、ラムのように、簡単にはいかないだろう。
 ただ、仕事で子どもたちと接するとき、ときどきまさに「人間そのもののくさみ」と呼ぶべきものに直面させられる。子どもは純粋だと言う人がいる。それにはかろうじて頷けたとしても、だからかわいいのだとか、だから心を動かされるとか洗われるとか、そういうことを言われると首をかしげたくなる。子どもは確かにある意味では純粋だが、それは悪い部分を持っていないという意味ではない。反対に、悪い部分が混じり気なくあらわになっているのが、彼ら彼女らの魅力と言っていい。
 子どもはときにとても怠惰で、楽をするためにこちらをごまかそうとする。それでいて、しぶとく褒められたがってもいる。そのためならほかの子どもを出し抜こうとしたり、ずるをしようとしたりもする。大人ならぐっとこらえるところを、子どもは大声を出し、あからさまにいじけ、安いうそをつく。その欲望のぎらついた強さに、ときにぎょっとさせられるほどだ。けれど、彼ら彼女らを見ていて、子どもはよくないものだ、とは、まったく思わない。そもそも人間はよくないもので、そのありようがよりあらわれているのだ、と思う。下ごしらえを欠いた、人間そのものの風味。それが、子どもたちの味わいである。それでいて、携帯ショップの店員に思ったように、また後輩に思ったように、子どもたちを不快に思うことはない。下ごしらえの済んだ大人の態度よりも好きだと思うほどだ。
 どうしてだろう。まだ未熟だと思って、なにも期待していないからだろうか。あくまで他人にすぎないからだろうか。そのどちらも、ある部分では合っているかもしれないけれど、しかし完全な正解とは思えない。
 もしかすると、と思っている、ひとつの仮説がある。
 わたしが外の仕事で遅くに帰ってくる日、夫はだいたい眠そうに待っている。日ごろ早くに眠るふたりだから、わたしの帰りが遅い日には、平気でいつもの就寝時間を超えてしまう。
 いちにち離れて過ごしたぶんやさしくしてやりたいと思うのに、わたしのほうは疲れ果てていて、どうもそれがうまくできない。作っておいてくれたごはんを食べ、ひとことふたこと、今日あったことを話していながらも、夫が眠そうなことが忍びなく、それでいてさびしくなってくる。
 「待たせてごめんね。早く寝たら?」
 そう話しかけてみてから、自分の言葉の端に、自分自身でとげとげしいものを感じる。自覚すらできているものを夫が感じていないわけもなく、ときどき、それでけんかになった。夫からしてみれば、眠いのをおして待っていたにもかかわらずわたしの機嫌が悪いことに納得がいかない。しかし言わせてもらえばわたしだって、わたしの機嫌が悪いことに納得がいっているわけではない。本当はこの少しの時間を、おだやかに、ゆかいに過ごしたい。それなのに、夫の眠気も、自分の疲れも、さびしさも、結果起きたこのけんかも、すべてがそれをじゃましているように思える。
 いや、本当の本当には、もっとたくさんの時間を夫に費やしたいのだ。夫が大切で、しかし夫ではないものも大切で、一日がとても早く終わるように思える。そして、夫の一日はそれよりさらに早くに終わろうとしていて、それがくやしい。そして、夫が大切だからといってともするとほかのところをないがしろにしたくなる自分も、かといって待っていてくれる夫のほうに皺寄せを送ろうとする自分も、どちらも許せない。うまくできない、うまくできない。
 結局、もともとが実のないけんかだと、やりあったところでたいした結果は生まない。ふたりほうほうのていで布団に潜りこむ。電気を消したあと、やっとひそひそと謝る。
 「ごめんね。ほんとは、自分の、いいところばっかりきみにやりたいのに」
 そのときも、やっぱり食べもののことを考えていた。頭の中に、アンパンマンのように自分の身をあちこちに分配する自分の姿が浮かんでいる。わたしは一日歩き回って、自分の時間や心を、疲れ果てるまでいろんな人にやってしまった。ただしわたしの肉はパンではなく、ちぎるときちんと血がしたたり、あとには内臓や骨が見えてくる。
 「君に、わたしの中トロとか、もも肉とか、そんなものばっかりやりたい。でも、そういうのはぜんぶ外で別の人にあげてきちゃって、きみにはワタとか、鶏ガラとか、そんなものしか残ってない。ごめん。くやしいよ。どうしたらいい?」
 わたしとしてはしんしんと告白したつもりだったけれど、夫はあっさり、
 「ま、いいよ。逆にツウみたいなところあるよ」
 と言いのこし、そのまま眠ってしまった。
 このやけに気の利いた返しに、わたしはしばらく暗がりで呆然と考え、やがてひとつの結論に至って、後を追うように眠った。目が覚めたら、お互いにもう昨日のけんかについては話さなかった。
 結論というのは、この人はわたしを好物だと言いたいのだな、ということだった。さんまを好きな人がワタまで食べ尽くしてしまうように、そしてなんならそちらのほうが醍醐味であるなんて言うように、わたしのどうしようもないところ、くさみのあるところを、少なくともおもしろがろうとしてくれているんだな。
 そしてやっぱり、わたしはまず、子どもたちのことが好きなのだった。子どもという存在自体が好きとは思わないけれど、知り合う子どもたちのひとりひとりのことは、ふしぎに親しく思う。つまり、好きになってしまうことが先にあって、そのあとにはじめて、彼ら彼女らの放つ人間そのもののくさみが、むしろ魅力に思えてくるのだ。苦手に思うことが先にあって、そのあとに重たい香水のにおいが鼻を衝くように。食べられないものを克服するときだってそうだ。一度おいしいと思ってしまったあとから、「くさみこそ、おいしい」がついてくる。
 あの携帯ショップの店員に無二の親友がいたとしたら、その人にとって、彼の早口や明るい声、そしてあのにおいは、近くにあるだけでほっとするような、うれしいものだろうか。うーん、確かに、ツウだね。その人はツウで、そしてわたしは、ツウじゃないな。

くさみ:
あるものが持っている、ときに人を不快にさせる性質。そのもののことを嫌いなときはなおさらに気にかかる一方、そのもののことを好きになると、それさえ好ましく思うこともできる。受け取るものにとって、そしてそのもの自体にとっても、くさみは克服する対象である。

 自分のくさみを誰かにおいしがってもらえるのはありがたいとはいえ、自分ではそうしたいとは思わない。やっぱり、なんとか抜き取るか、せめてカバーしたい。塩づけにするなり、胡椒をふるなり、カンカンに沸きたつ鍋で茹でこぼすなりして。
 新品のスマートフォンの画面を見ながら、一度、ため息をつく。そうだ、取り合わせ。取り合わせがよくない。他人を不幸にすることも、「結婚」というものがたやすく崩れてしまうことも怖くてたまらないわたしと、そんなおそれとは無縁な彼女。ラインというのもよくないし、卒業してからほとんど連絡を取っていなかったのに、急にこんな重い相談を持ちかけてくるのもよくない。それから、わたしがたまたま忙しくて、余裕のないときだったのも。
 すっかり忘れていたけれど、彼女のそういう厚かましさが、もともとはけっこう好きだった。当時から目があえば男性に手をつけ、同じコミュニティの女性に総スカンにされていたけれど、それでもわたしだけが彼女とつるみつづけていたのは、その規格外ぶりが魅力的でもあったからだった。はじめに愛人について打ち明けられたときにはそれがなんとなく懐かしくて、わたしも調子よく話を聞いてしまったのだ。はあ。気が重いけれど、なにか、返してやろうか。まあ、食べものでさえ、大人になってから食べられなくなるものもあると聞く。彼女の家族や、彼女の愛人の家族が不幸になるのは、わたしにとってつらい。けれど、かといって彼女が不幸になるのも気持ちよくない。好きになれるかはわからないけれど、まずはもうひと口、口に入れてみようか。


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プロフィール
向坂くじら(さきさか・くじら)

詩人、国語教室ことぱ舎代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」で朗読を担当。著書『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)、詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)。一九九四年生まれ、埼玉県在住。

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