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こんにちは。くじらちゃんですよ。――「ことぱの観察 #06〔忘れる〕」向坂くじら

詩人として、国語専門塾の代表として、数々の活動で注目をあびる向坂くじらさん。この連載では、自身の考える言葉の定義を「ことぱ」と名付け、さまざまな「ことぱ」を観察していきます。


忘れる

 「ふーん」と相槌を打ったら、話していた夫がなにかちょっと言い淀んだ。
 「うーん。まあ、どう考えても君も知ってる人ですけど……」
 「うそっ。どこの人」
 「サークルだね。おれと君とが入ってたサークル」
 「マジ?」
 聞けばマジであるという。
 べつに、夫が巧妙な叙述トリックを使って話していたわけではない。わたしはびっくりしているが、それは夫の意図したところではない。双子の話をしているときだった。夫に双子の知りあいがいるというので、へえ、言われてみればわたしはいないなあ、と答えた。すると「後輩だよ」と返されて、冒頭の「ふーん」に戻る。なにが、わたしはいないなあ、だ。自分で振り返ってみてもひどいと思うけれど、わたしは同じサークルにいた人の存在を完全に忘れていたのだった。
 あまりのことに自分でもショックを受け、必死で食いさがる。
 「うそだ。わたし、その人と話したことないんでしょ。なんか話してたことある? ないでしょ」
 けれどもしばし考えて夫が言うには、わたしとその双子の男の子とがあるとき親しく話していたのを見たという。学園祭準備のための練習室で、十九歳のわたしは粗野にふるまい、男どうしで話しているような雰囲気を出していたらしい。そしてそのこともまた、まったくわたしの記憶には残っていない。顔と名前は夫に写真を見せてもらってなんとか思い出したものの、彼らの性格や声色、そして彼らに接している自分がどのようであったかということは、すでにわたしの中からそっくり消えている。
 夫はわたしの人にあるまじき薄情さに呆れていたけれど、わたしにはそれよりも、自分の記憶から消えているもののかつて確かに存在したらしいある自分、というものが気にかかった。ふだんは自分の過去を覚えていることのつなぎあわせのように思っているけれど、本当はその隙間に、わたしにも忘れられた細かなわたしが、ぎゅうぎゅうに押し込められている。それなのにそのわたしは世界から消えてなくなったわけではなく、そのことをきちんと覚えているわたしではない人がいる。指摘されてはじめて、自分にすかすかに隙間が空いていることに気がつく。
 自分の輪郭がめまいを起こしたような感覚だった。それでいて、ふしぎに悪い気はしなかった。

 それからというもの、古くからの知りあいに会うたび、かつてのわたしがどんなふうだったかについて聞かせてもらい、それを録音して収集している。話を聞くときには、他人事のように「その人はなにをしていましたか」と尋ねるのがしっくりくる。自分の目撃情報を、自分で募っているようなものだ。
 大学時代の友だちによれば、「サークル入って二回目か三回目かで部室にアイス食いながら入ってきたやろ。そのときから、こいつやばいな、って感じはあったよね。あとなんか、よく跳ねてた。最初はわざとキャラ作ってんのかと思ったけど、しばらく見てると別にそういうわけでもないっぽくて、よくわからんかった。今は全然しないやんね。よくわからん」。
 通っていた高校の先生によれば、「被服実習でエプロンを作るとき、ミシンは止まってるのに、隠れてなにか他のもの作ってた。だから、ミシンはあんまり好きじゃないけど、作ること自体は好きなんだな、って思った。ミシンの使い方がわかんなかったんじゃないかな。かといって先生わかりませんって聞いてくれるタイプでもない、ちょっと! 止まってんじゃん! って言ったら、だってよくわかんないんだもん、っていう感じ」。
 ふたたび、夫によれば、「君、みんなが集まってしゃべってるのにひとりで座って口笛吹いてたよ。当時は、あっサークルで浮いてる、めっちゃかわいそうと思ってあわてて話しかけたけど、いま思えば、君、口笛吹きたいから口笛吹いてただけなんだろうね。てかデートのたび海見たがるから不安で、飛び込むんじゃないかと思って怖かったけど、それもいま思うとただ海見たかっただけだね?」
 いずれのわたしのことも、わたしは覚えていない。彼らがそれぞれにしているわたしについての憶測が正しいのかもわからない、もはや知る術もない。わたしの脳みそは手のひらに載るほどしかなく、一度は収納したはずのことも、一歩歩くごとに端からぽろぽろとこぼしていってしまう。振り返った道の上には、わたしが点々とこぼれている。飛び跳ねるわたしも、被服実習をさぼるわたしも、いまにも海に飛び込みそうなわたしも、かつてはいて、いまはいない。

 忘れることとの付き合いは長い。ほとんど連れ添ってきた、と言っていい。
 子どものころ、宿題や持ちものを忘れるのは毎日のことで、クラスメイトの名前を忘れ、家庭訪問を忘れ、正しい通学路を忘れた。道に迷っているくせになぜか強気で長い坂を登りきり、頂上で開けた視界のはるか遠くに自分の住むマンションが見えたとき、もう帰れないのか、と思った。大学では書類の期日を忘れて教員免許を取りそびれ、そのあと取った内定も運転免許を取り忘れて反故にし、試験日を一日間違えたせいで大学院入試をおしゃかにした。久しぶりに知りあいと会うと、共有しているはずの思い出や共通の知りあいのこと、かつてその人とどんなふうに接していたかを少しずつ忘れていて、せめてほほえみながら苦しくごまかしている。会ったことのある人に、何度うっかり「はじめまして」とあいさつしたか知れない。
 忘れていたと気がつくたび、心のなかでちりっと音を立てて摩擦が起きる。過去の自分と、いまの自分との摩擦だ。忘れることによって、わたしは一貫しなくなる。わたしの主観から見れば過去から現在にかけてすらりとつながっていたはずの「自分」という一本の線に、あちこちグリッチノイズが入る。そしてあとにはやっぱり、本当はなにかがあったらしい隙間だけが残される。
 唯一よかったのは、勉強を教えるときに忘れる気持ちがわかることかもしれない。勉強をするときにはどうしても暗記をしたり、すでに覚えたことを前提にして次に進んでいったりする必要がある。けれども、わたしたちは当然のように忘れてしまう。必死で覚えたことを忘れるのはむなしいものだ。ともすると、「自分には暗記は向いていない」さらには「努力というのはそもそも、報われないものなのだ」と思ってしまいそうになる。しかし思い出とは違い、本を開けば何度も覚え直すことができるのが勉強のやさしいところである。そんなふうに覚え直しを励ますときだけは、自分の忘れやすさが生徒の忘れやすさと似ることが、自分で頼もしく思えたりする。
 忘れてばかりいる一方、忘れずにいることもある。もう十何年も聞いていないはずのCMソングの一節、球技大会をさぼって教室にいるとき校庭に見えたレゴブロックのような人の群れ、悪夢、そして、思い出すたびに身体的な痛みを錯覚するようなこと、こと、こと。言葉を足すほど上滑りする受け答え、肩を掴んだ他人の強すぎる手、温和な修道女の校長が、わたしを憐れむあまり泣き出した面談室の景色。覚えていたほうがいいことはどんどん取りこぼすくせに、忘れてしまったほうがよいことばかり深々と根を張っている。
 つまり忘れることは、基本的にわたしのコントロールを超えている。「忘れよう」と意図して忘れることはできないし、かといって完璧に覚えていることもできない。かろうじて覚え直すことはできるとしても、そもそも頭に入ってくる情報は多すぎて、そのすべてを留めておくことはできない。結局、食べもののように記憶を代謝しながら、そしてわたしはおそらく人よりも多く排出しながら、ぽろぽろと暮らしていくしかないらしい。
 だから、わたしの忘れているわたしを人から教えてもらうことが小気味よいのだった。隙間を埋める、とまではいかないけれど、隙間があると思い出せるだけで、自分の存在が予想もつかないところへ広がったように思えるのが。

 最近はそういう年頃なのか、周りで次々に子どもが産まれている。新生児というのはいつ見てもおもしろい。つやつやの黒目、シルバニアファミリーが使うお皿くらいの爪、まだハサミを入れたことがないために先が尖った薄い髪の毛。かと思えば全身をふいごのようにして発される盛大な泣き声。新生児に会わせてもらえるたび、「こんにちは」と声をかける。
 「こんにちは。くじらちゃんですよ。お母さんの友だちですよ」
 次に会ったときには、当然わたしを忘れているに違いない。そんなことはおそらく誰でも分かっていて、しかしその場に居合わせたものはみな、同じようにかわるがわる抱っこをしては声をかける。彼らよりも早く産まれた義理の甥は、そろそろ五歳になる。新生児時代のことはすでに忘れていて、「もう赤ちゃんじゃないでしょ」というのを説得材料にされて言いつけを守ったりもしている。「赤ちゃんである」と思われることは、いまの彼にとって屈辱であるらしい。新しく生まれた義理の姪は彼の従姉妹にあたり、かわいいね、かわいいね、と言って抱っこしたがる。次に会ったときにもわたしのことぐらいは覚えているだろうけれど、しかし小学生にでもなれば十中八九、この日のことは忘れてしまうだろう。
 わたしは、子どもが言葉や動作を覚える速度に感動するのとまったく同じに、子どもが忘れる速度にも胸を打たれる。子どもたちは軽々と覚え、そして軽々と忘れる。その出し入れのダイナミックさに、つい見とれてしまう。たいしてなにも知らないくせ、せせこましく忘れることを怖れている自分が、情けないように思えてくる。
 それに彼らと接していると、彼らの記憶をこっそりとくすねている気分になる。今度は反対に、彼らがいずれ忘れてしまうであろう彼らの姿を、わたしが勝手に覚えていられるのだ。彼らが道の上に点々とこぼしたものはわたしの中に落ちて、一部、わたしのものになる。そのことが、彼らが知る由もないままに彼らの存在を押し広げ、彼らに隙間を空けていく。子どもたちを見ていると、思う。忘れながら育っていくというのは、そのときどきの自分という存在を、惜しげもなくあちこちへ渡していってしまうことではないか。

 ところで、忘れやすいというのはつまり、なくしものをしやすいということでもある。二日にいっぺんは家のなかで「ないっ」と叫ぶ。帽子がない、鍵がない、充電器がない、免許証がない。そのたびに夫に尋ねる。すると夫、透視のごとく空中を見やり、すぐに「二階の机の上にあるよ」と言い切る。そして、九割九分は夫の言うとおりの場所で見つかる。
 「すごい、すごい、どうやってんの?」
 こちらはかなり感心し、はしゃいで聞いているのに、夫はこともなげに答える。
 「どうやってんのって。君がどう動いてたか思い出してるだけだよ」
 それもまた、ふしぎに悪い気はしない。わたしの知らないところでわたしは動き、鍵を置きっぱなしにする。忘れることにいいかげん慣れてきたのか、自分の意識を外れた自分というものに、このごろどんどん鷹揚になってきてしまった。わたしというものが、わたしの外がわにはみ出しながら平気で生きつづけていることを考える。自分に意識できる自分というのは所詮一面的な、ちっぽけなものであるらしい。わたしの主観を超えたところでは、わたしは一本の線なんかではなく、立体として一貫している。そしてそう思う方がむしろ、自分というものの全体をおおらかに捉えられる気がする。自分で抱えきれないだけの自分を、夫や、友だちや、ひょっとしたらわたしがすでに忘れた人たちに、無節操に預けるようにして。忘れることはときにつらくて不便だが、そのような感覚を支えているのも、間違いなく忘れることなのだった。

忘れる:
自分の持っていた情報が、不随意に自分の外がわへと押し広げられること。また、自分というもののある部分は情報によって形作られるのだとすれば、自分の存在そのものが、不随意に自分の外がわへと押し広げられること。忘れられたものは自分の意識を外れるけれど、消えてなくなるわけではない。それゆえにときに後になってやっかいごとを引き起こし、またときに忘れた者を離れたところで、忘れた者を形作りつづける。

 とすれば覚えていることとは、誰かの存在を自分の中に抱え込むことになるだろうか。わたしたちは互いに自分の覚えていられない部分を渡しあい、複雑に絡まりながら暮らしている。わたしがされたひどいことは、もしもその人が忘れていたとしても、わたしが覚えているかぎりその人の一部でありつづける。もちろん、逆もまた然りである。そしてまた、すでにこの世にいない人のことを思う。「死んだ者は思い出の中で生きつづける」なんていう文句を、これまでごまかし半分の単なる麗句としか思わずにきたけれど、そういう意味では正しいのかもしれない。

 さて、忘れることを考えるとき、八木重吉の短い詩を思い出す。

「果物」
秋になると
果物はなにもかも忘れてしまって
うっとりと実のってゆくらしい

『貧しき信徒』

 わたしは、この詩にあこがれる。すぐに忘れるくせ、さすがに「なにもかも」忘れたことはない。それができないから大変なのだ。自分という存在を、結局は自分自身で持ちつづけなければならないことが。だから、いつかはこの果物のようになにもかも忘れ、そして「うっとりと実のって」みたい。それからなにより、誰かの手に落っこちて、豊かな栄養になってみたいじゃないか。


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プロフィール
向坂くじら(さきさか・くじら)

詩人、国語教室ことぱ舎代表。Gt.クマガイユウヤとのユニット「Anti-Trench」で朗読を担当。著書『夫婦間における愛の適温』(百万年書房)、詩集『とても小さな理解のための』(しろねこ社)。一九九四年生まれ、埼玉県在住。

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