「日記の本番」 5月 くどうれいん
小説、エッセイ、短歌、俳句とさまざまな文芸ジャンルで活躍する作家、くどうれいんさん。くどうさんの5月の「日記の練習」をもとにしたエッセイ、「日記の本番」です。
考えてみると、わたしの中でいちばん思い入れのある花が芍薬なのかもしれない。わたしがはじめて出した本の1ページ目のタイトルは「芍薬は号泣をするやうに散る」という俳句から始まっている。はじめて一人暮らしの家で生けて散った芍薬のことをいまでも強烈に覚えている。白い芍薬は、散るとき、ぼろぼろ泣くように花びらを落とす。泣いたあと、涙や鼻水を拭うためにわんさか使ったティッシュペーパーが散らかっているようにも見える。とにかくそのころ泣いてばかりだった自分と芍薬の散り際はとてもゆかりのあるものに思えたのだろう。だから芍薬の時期になるとどうしても手にとってしまう。一年に一度はあれが零れるところを見ないと、と思う。芍薬が散ることでわたしの散るべきものも落ちる、お祓いに近いような気持ちもあるかもしれない。芍薬は、意外と咲かずに蕾のまま枯れてしまう花だということを5月は思い返す日々だった。
しかし、だ。その、いちばんに感動した芍薬を自分で買ったんだったか、それとも貰ったんだったか、ちっとも思い出せない。わたしはその日はじめて芍薬を生けた。それは友人から貰った一輪挿しに生けたのだけれど、その一輪挿しの口径と芍薬の茎の太さが、もう、本当にどっちが勝つかというくらいぎりぎりで、ねじ込むようにして生けた。そのことは覚えている。それから、朝起きたらあっという間に零れるように散っていて、その豪快な散りざまを覚えていて、写真に撮ったのも覚えている。そこまで覚えていて、どうして手に入れたのかを覚えていない。わたしの記憶はいつもそのようなことばかりだから、エッセイなどに対して「記憶力がいいですね、よく覚えていますね」などと言われるとうろたえる。葉の、葉脈の折れ方を覚えているのに、その木がどんな大きさで何色の幹だったのか覚えていない、というようなときに、わたしのこれは本当に「記憶力」なのだろうか……
たぶん、自分で買ったんだと思う。まだ、なかなか祝福の返ってこない時期のわたしだったはずだから、芍薬1本だけ貰うようなわたしでは、なかったはずだから。もうほんとうにどうしたらいいですかと思うくらい、いろいろな人からこうして気にかけてもらえるようになったのは、働き出してからずっと後のこと。わたしは中学校、高校、大学時代は、こう言っては何だが、祝った数よりも祝われる数の方がずっと少ない人生だった。友人の誕生日やなにかの賞のお祝い、家族のお祝い事。わたしはとにかくだれかを祝うのが大好きで、サプライズになりすぎない程度に、欲しいものを、言葉を、しかし驚いてもらえるくらい与えることに幸せを見出していた時期があった。ちょっとしたプレゼントや、その人にだけ特別にしようと思っている話を用意するのが好きだった。手紙を書くのがとにかく好きだった。要は、デート的なことがとにかく好きだったのだ。わたしと出会ったが最後、その人を完全にめろめろにしたかった。わたしが大胆にしたり、恥ずかしそうにしたりしているうちに、目の前にいる人がわたしのことをどんどん好きになってくれたらいい。そう念じるように過ごしていた。男女問わず、年齢問わず、そう思いながら暮らしていた19歳から24歳だったような気がする。それは、媚びている、とか、八方美人とか、そういうのとは違う色だと思う。わたしは本気で自分と違う人間全員に興味があって、本気で、できることならそっちの人生もやってみたくて、本気でわたし以外の全員に、なりたかった。
全員に、というのはあれかもしれない。ええと、ちょっとうそだ。わたしは19歳くらいから、とことん付き合いたい人間とばかり出会えるようになった。正直、明確にそういう瞬間があった。世の中にはいろんな大人がいて、いろんな大人がいるなあ、と思っているうちに、いろんな年下がいるなあと思うことも増えるようになる。全員に対していい人であろうとしすぎて、同じだけの時間をかけていては自分の暮らしを暮らしていけない、とあきらめた日があった。その代わりに、本当に長い付き合いをしたい人に対して、本当に長い付き合いがしたいのです、という態度に出すのが得意になった。それがわたしにとって花を買うことであり、決まって買う小さなチョコレートケーキの照りであり、酔ったその人の手の甲に書くために「またあいたい」と「すき」だけ覚えたモールス信号だった。
祝福を返してもらいにくい人間だった、と自分では思っているが、いま書きながら、わたしはその当時おそらく相当「祝い甲斐」のないやつだったよなあ、とも思う。好き嫌いが多そうで、斜めから物を見ていそうで、貰った花束を、ふーんと自転車かごに置いたまま帰ってしまいそうな、そんなやつだったかもしれない。「わーい」と声に出して言えるようになったのが19歳くらいで、「わーい」と言うようになってから、わたしは、花を貰えるようになったような気がする。「わーい」と言えたほうがいいよ、人生は。
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タイトルデザイン:ナカムラグラフ
「日記の練習」序文
プロフィール
くどうれいん
作家。1994年生まれ。著書にエッセイ集『わたしを空腹にしないほうがいい』(BOOKNERD)、『虎のたましい人魚の涙』(講談社)、絵本『あんまりすてきだったから』(ほるぷ出版)など。初の中編小説『氷柱の声』で第165回芥川賞候補に。現在講談社「群像」にてエッセイ「日日是目分量」、小説新潮にてエッセイ「くどうのいどう」連載中。2作目の食エッセイ集『桃を煮るひと』が好評発売中。