二面性の意外な理由――「不安を味方にして生きる」清水研 #19 [承認欲求の正体①]
不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
*第1回からお読みになる方はこちらです。
#19 承認欲求の正体①
二面性をもつ人
今回は患者さんではなく、ある医師の生い立ちと体験を通して承認欲求ができあがる過程について見ていきます。
病院勤務の横山医師(仮名)は大学卒業後、並々ならぬ努力によって、外科医の経験を積み重ねてきました。「神の手」と言われるほど評価の高い横山医師の手術を受けるために全国から多くの患者が訪れ、名医としての評判は確固たるものでした。
入院患者には朝晩の回診を欠かさず、穏やかにはげましの声をかけるなど、横山医師は患者やその家族に対して熱意をもってあたりました。容態に急な変化があれば、休みであっても駆けつけ、患者やその家族からは「技術だけでなく人格も素晴らしい」との声が多く寄せられました。
一方で部下には厳しく、ミスをすると手術中でも激しく叱責し、「外科医として失格だ」といった言葉を投げかけることもしょっちゅうでした。
部下の医師のひとりは自信を喪失し、うつ状態になって休職にいたりました。その後復職しましたが、その医師は外科医としてやっていく自信がなくなり、ほかの科に転向しました。
その様子を見かねた病院長が「患者さんやご家族に対するように、もっと愛情をもって部下に接してください」と指導を行いましたが、横山医師は聞く耳をもたず、毅然とこう反論しました。
「手術室は戦場です。そんな甘っちょろいことでは患者さんの命に関わりますし、将来ロクな医師になりません。厳しく指導することが、患者さんにとっても後輩にとっても自分の責務だと思っています」
みなさんは横山医師のことをどう思いますか? なぜ患者・家族には温かいのに、部下には冷徹という二面性をもつのでしょうか。
私は医師になって以降、彼のような人をたくさん見てきました。医療者にかぎらず他業種でも、顧客には評判が良いのに同僚からは避けられている、部下にパワハラを行う傾向がある人もいるでしょう。
20年以上前のことですが、私の研修医時代は横山医師のような態度が問題になることはあまりなかったように思います。いまではパワハラと認定され、どんなに医師として優れていても、組織のなかで居場所を失うおそれが高いでしょう。もしそうなったら、その医師は精神的に危機的な状況に陥るのではないでしょうか。
もちろん、後輩の教育は大切ですし、間違ったことについては指導する必要があります。一方で、教育をする際には部下にも敬意をもたなくてはなりません。
じつは私にも、医師はあらゆるものを犠牲にして患者・家族にベストを尽くすべきだと考える時期がありました。横山医師のようなタイプを尊敬に値すると思い、あこがれていたのです。率直なところ、自分にも似た側面があったと思います。いまはこころから反省し、改めるように心がけています。そのようなふるまいの多くは、承認欲求など利己的な動機に基づいているからです。
私は横山医師のような人を見ると、「この人は一生懸命、人生の第一ステージに取り組んでいるんだ」と感じます。自分がその部下ならたまったものではないですが、第三者の視点に立つと、「僕を認めてよ!」という子供時代からのこころの叫びが聞こえてきます。こころの奥底にある〝傷つき〞を想像すると、過去の自分と重ね合わせ、横山医師のような人を愛おしくさえ思えてきます。
訪れた危機
横山医師はその後も同じような態度で仕事を続けていました。徐々に社会がハラスメントに対して厳しい対応を行うようになり、以前なら外科医として優秀であることで見逃されていた横山医師も、だんだん風あたりが強くなっていると感じるようになりました。
それでも彼はいっそう意固地になり、「患者のために妥協するわけにはいかない」と自身の言動を正当化し、態度をあらためようとはしませんでした。こうして、徐々に病院内で孤立していったのです。
ついに彼は、若手の医師3人からパワハラで訴えられる事態となりました。彼らは横山医師の言動を詳細に記録していました。横山医師は不安を感じながらも、「自分は患者のために一生懸命働いてきた。患者・家族の信頼は絶大であり、私の力で多くの症例がこの病院に集まっている。病院はきっと自分を守ってくれるだろう」と自分に言い聞かせていたそうです。しかし、査問委員会が開かれ、彼を擁護する人もいましたが、多くの委員から厳しい意見が相次ぎ、退職勧告を受けてしまったのです。
横山医師は絶望しました。長年がんばってきたことが否定されたと感じてうつ病になり、一時期は自殺も考えました。妻と二人の娘を残して人生を終わらすこともできず、困り果てたのち、私のもとに相談に訪れました。
憔悴した姿に、私は「ずっと走りつづけてきたのですから、少し休んでもいいでしょう」と伝え、抗うつ薬を処方しました。そして、いまは頭を休めるのが仕事だと思って、家でごろごろ寝ているか、こころがリラックスできる行動をとることを勧めました。
少し思考力が回復してきたころ、私は彼の話をじっくり聞くことにしました。人には誰でも、いまの生き方を選ぶようになった歴史があるはずです。現在の価値観をもつようになった物語を話してもらうことは、カウンセリングにおいては重要な意味があります。両親からどのようなことを学び、少年少女時代に仲間とどう過ごし、思春期に何を思い立ち、そして成人したのちに社会でどう実践してきたか。そういう話を通して、自分自身の生き方が立体的に見えてくるからです。
欲求の封印
横山医師の父親も著名な外科医でした。家庭内では権威的にふるまい、専業主婦の母親は逆らえなかったそうです。いまなら「モラハラ」と認定されるでしょうが、「誰のおかげで生活できると思っているんだ」と口にし、家族を支配していました。母親は穏やかな性格でしたが、父親が帰宅すると、家庭内に緊迫感が漂ったと言います。
横山医師が子供のとき親しかった友達の家は、彼の家とはまったく異なっていました。遊びにいくと友達のお母さんは温かく迎えてくれて、ときどき家にいるお父さんは冗談を言ったりおどけてみせたりして、家族をなごませていました。ピリピリした雰囲気はまったくなく、横山少年は内心うらやましくてしょうがありませんでした。
友達から家族と過ごした楽しい休日のことを聞いた横山少年は、一度だけ、父親に誕生日に遊園地に連れていってほしいと頼んだことがあります。父親は承諾し、横山少年はその日を心待ちにしていました。
けれど当日の朝、「急な大切な用事ができたから遊園地には行けない」と言われたのです。横山少年はこころの底から落胆し、泣きながら精一杯抗議しましたが、「遊園地ぐらいなんだ。自分の仕事には人の命がかかっている。わがままを言うな」と怒られてしまいました。
おそらくこの出来事は、横山少年にとって大きなこころの傷になったのでしょう。それ以降彼は、「自分がこうしたい」との主張は「わがまま」だとこころのなかで変換し、欲求を封印するようになりました。
横山医師は長男として生まれ、幼いころから父親に外科医の素晴らしさについて教えられました。勉学にはげむことが第一であり、成績が良ければ褒められる一方で悪ければ烈火のごとく叱られたそうです。
このような背景を経て、父親に対して畏怖を感じるとともに、絶対に逆らえない、逆らったら見捨てられかねないという無力感が、横山少年のこころに深く根差すようになりました。「無力な自分が認められるには父のような外科医になるしかない」と思い込んだのも無理もないことです。
「患者を助ける」という大義のもとに本当の気持ちを隠しながら、周囲に認められるための努力を彼は始めました。一方で、「こうしたい」という欲求を封印せざるをえなかったくやしさや怒りが鬱積して、それが部下や周囲を大義で支配する行動へと転換されたのかもしれません。
カウンセリングの対話のなかでこのことに気づいた横山医師は、過去の自分の苦労と、自分が傷つけた人たちのことに想いを馳せるようになりました。
その後だんだん彼の顔は穏やかになり、好きな趣味の話をするときは無邪気な一面を見せるまでになりました。もともとの横山医師は穏やかな性質なんだろうと、私は思いました。
長年勤めた病院を辞めたあと、彼がどうするかはまだわかりません。ただ、これからは自分を認めてもらうために仕事をするのではなく、患者さんにも部下にも愛情をもって接することができるのではないかと想像します。
次回は人生の第一ステージと第二ステージで起きる変化を通して、承認欲求についてより掘り下げていきます。
第18回を読む 第20回に続く
清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。