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QUEENが教えてくれたこと――「不安を味方にして生きる」清水研 #18 [中年期に生き方が変わる理由②]

不安、悲しみ、怒り、絶望……。人生にはさまざまな困難が降りかかります。がん患者専門の精神科医として4000人以上の患者や家族と対話してきた清水研さんが、こころに不安や困難を感じているあらゆる人に向けて、抱えている問題を乗り越え、豊かに生きるためのヒントをお伝えします。
第1回からお読みになる方はこちらです



#18 中年期に生き方が変わる理由②

 前回に続き、人生の中年期を迎えると、なぜmustを手放すようになるのか。あるいはmustを手放す必要性が生じるのかについてお話ししていきます。
 私的なエピソードですが、最近の印象的な体験をもとに説明していきましょう。

伝説のロックバンド

 私は中学生のときから、QUEEN(クイーン)というイギリスのロックバンドに心酔していました。彼らは、魂を熱狂させる音楽を生み出す天才です。どの国でライブを行っても、何万人も収容するスタジアムが満員になる影響力の大きさに、強い憧れを抱きました。
 当時の私にとって、「彼らも自分も同じ人間だ」とはこれっぽっちも思えるはずがなく、別世界に生きていると感じていました。

 2024年2月、QUEENが日本で久しぶりにライブを行いました。伝説のギタリストと言われるブライアン・メイも76歳。くたびれた演奏だったら幻滅するだろうと当初は食指が動きませんでしたが、ともにQUEENに熱狂した昔の友人に誘われたこともあり、消極的な気持ちでライブに行きました。
 私が抱いた懸念は杞憂でした。エネルギーあふれる素晴らしい演奏に、こころは興奮して躍動しました。最初から最後まで魂が揺さぶられる、あっというまの2時間でした。
 彼らの演奏を聴きながら、10代前半にQUEENに熱狂していた頃の自分がリアルによみがえりました。わくわくしながらおこづかいを握りしめ、QUEENのレコードを買いにいったことが、昨日のことのように思い起こされました。
 彼らがライブでよく演奏する「タイ・ユア・マザー・ダウン」(きみのママなんか縛りつけろ)という曲があります。思春期の両親への反抗を歌ったものですが、私も含めてそれなりの年齢の聴衆がみな思春期にタイムスリップしたように、リズムに乗って「タイ・ユア・マザー・ダウン!」と絶叫していました。

 ライブで若い頃の自分に思いを馳せると同時に、私は別のことも感じていました。QUEENのメンバーは予想を裏切るエネルギッシュな演奏をする一方で、昔知っていた彼らに比べると年老いているのもたしかです。
 40年ほどの時を経ているのですから当然ですが、そのことについて私には大きな違和感がありました。
 若い頃の自分にとって彼らは雲の上のような存在で、彼らが老いるとは想像できませんでした。それが、明らかに年をとった現在の姿を通して、誰もが老いや死の前には平等であるという現実を目の当たりにし、感慨深く感じたのです。

 中学生の自分から見た当時のQUEENは、「俺たちは最高で、世界は自分たちを中心に回っている」と思っているように見えました。私自身も、「世界は彼らを中心に回っている」と感じていました。
 40年後の彼らは、世界の中心ではありませんでした。若い頃を懐かしみながら、自らの老いや死と向き合っているようでした。そして、もう一度魂を燃やして、かけがえのないこの瞬間を聴衆といっしょに味わおうとしているように見えました。

 QUEENをライブで見る機会はこれが最後かもしれないと思うと、人生のなかで大切に作ってきた曲を、魂を込めて演奏している彼らがこころからいとおしく思えました。
 「彼らも自分と同じ人間で、逃れられない運命と向き合いながら、大切に今日を生きている」のだと、別世界の存在でなくなってもその生きざまに感動し、涙が流れたのです。
 QUEENのメンバーが実際にどんな価値観を持っているのか、どのような思いで演奏に臨んだのかはわかりませんが、彼らの姿を見ながら私はそう感じました。
 QUEENについて知らない人には伝わりにくいと思いますが、若い頃に神のように思っていた存在が、人は死にゆく運命である現実を前に自分と同じ地平に立っていると感じたのです。
 ブライアン・メイでも運命には逆らえないことは、私のなかでは『平家物語』の諸行無常ともつながっています。
 QUEENはいまなお東京ドームを満員にする影響力がありますが、観客の多寡には興味がありませんでした。彼らの内面的な豊かさ、生きざまが音楽に表れているのを感じられ、感動したのです。

 私がこのとき感じたのと同じことは、さまざまなところで多様な表現で語られています。スティーブ・ジョブズはすい臓がんが進行し、死を意識した際に「私が勝ち得た富は、(私が死ぬときに)いっしょに持っていけるものではない。私が持っていけるものは、愛情にあふれた思い出だけだ」と言ったとされます。
 ジョブズの言葉は、社会的な成功や名誉を追い求めても、死を前にしたら色あせることを表しています。
 死を前にしても色あせないのは、内面的な豊かさなのでしょう。それはたとえば、ジョブズが言うような愛情深い体験や、あるいは真の美しさを感じるものです。愛情深さ、真の美しさが何かは説明しにくいのですが、実際に体験すればこころに残り、失われることはないと思います。

mustの崩壊

 若い頃の私が目指したのは、「社会に役立つような大きな仕事をすること」でした。言葉だけ見れば美しいですが、社会に対する温かいまなざしが原点にあったわけではありません。自信がないまま、父親に認められるために、あるいは自分を承認するために立てた目標です。
 このmustに縛られていた頃の自分は、(ありえないとしても)ノーベル賞のような名誉を得られたら、QUEENのメンバーのように別世界に行けるだろうと思っていました。努力するのも、自己本位の欲求からでした。
 けれど、人間ははかない存在だと知ると、別世界などないとわかったのです。

 吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』には、幼いうちは人の世界の見方は天動説だとあります。子供のとき、世界は自分を中心に回っているように感じるからです。
 けれど、主人公のコペル君はビルの屋上から地上を歩くおびただしい数の人を見て、人間は分子のような小さな存在であると感じます。成長するにつれて、世界の見方は地動説になり、逆らえない流れのなかで生きる存在であると気づくのです。
 自分の人生があと何年続くかはわかりません。仮に平均寿命ぐらい生きたとしても、中学生の頃に見えていた果てしない将来から比べれば、先はとても短く感じます。
 私もようやく地動説になったのかもしれません。強いmustに動かされてがんばり、どれだけ承認欲求を満たしても、最後には死を迎える未来は変わらないのだと気づいたように思います。
 そしてついに、自分を縛っていたmustは完全に崩壊したのです。

人生の第二ステージ

 mustが崩壊すると、世界の見え方がまったく変わりました。かといって人生のゴールにたどりついたわけではなく、新たな人生が始まった気分がします。
 軽い表現かもしれませんが、ゲームのステージをクリアしたら攻略方法が異なるステージがまた一から始まったようで、いまは第二ステージを生きています。

 私にとって人生の第一ステージは、mustが羅針盤でした。親から教えられたルールを原点に私なりに社会で生きていくために、日々奮闘していたのです。うまくやれれば自己満足につながり、そうでないと落胆しました。mustが崩壊した瞬間に第一ステージは終わり、それまで満足していたことではこころが満たされず、かといってできなくても落胆もしなくなりました。
 第一ステージで得た経験やスキルは第二ステージにも引き継がれましたが、自分が承認されるために利用したいと思わなくなりました。
 ときどき昔のクセで承認欲求の罠にはまり、他人の期待にこたえようと無理に仕事を引き受けてしまうことはまだあります。けれど、取り組もうとしてもエネルギーはあまりわかず、大きなむなしさと徒労感が残るだけになりました。

 mustという羅針盤がなくなったあと、どうしたら自分のこころが豊かになるのだろうかというのが第二ステージの課題です。第二ステージの進み方は第一ステージとは異なり、羅針盤もなく大海原を漂っているような心地でとまどいも多くあります。
 自分のこころが満たされるのはどういうときか、第一ステージのようなわかりやすいルール(攻略法)は、いまはまだ見えません。

 ユング心理学では、ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)を超えたあとに「個性化」というプロセスがあると言われています。個性化とは、それまで自分でも知らなかった、第一ステージでは押さえつけていたかもしれない、自分のなかにある大きな「個性」を目覚めさせる旅だと私は理解しています。直感的ではありますが、いまはこの考え方をたよりに進んでいきたいと思っています。
 個性化に基づくと、社会との対話の価値は相対的にかなり下がり、自分自身の内面との対話が重要だと考えられます。
 第二ステージは始まったばかりで、右も左もよくわからない、よちよち歩きの状態です。一方で、新しい展開にわくわくしている自分もいます。これから何をしていくか、どういう自分になっていくか、wantの声を聞いて自分自身に確かめながら生きていきたいと思います。


第17回を読む 第19回に続く

清水 研(しみず・けん)
精神科医。がん研究会有明病院 腫瘍精神科部長。2003年から一貫してがん医療に携わり、対話した患者・家族は4000人を超える。2020年より現職。著書に『もしも一年後、この世にいないとしたら。』(文響社)、『絶望をどう生きるか』(幻冬舎)など。

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