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人間を拒絶する厳しくて魅力的な場所――「マイナーノートで」#30〔森林限界〕上野千鶴子

各方面で活躍する社会学者の上野千鶴子さんが、「考えたこと」だけでなく、「感じたこと」も綴る連載随筆。精緻な言葉選びと襞のある心象が織りなす文章は、あなたの内面を静かに波立たせます。
※#01から読む方はこちらです。


森林限界

 森林限界。日本の本州中部では標高2500メートル以上にならないと達しない。

 日本アルプスには北アルプスにも南アルプスにも3000メートル級の山々が連なる。暑く苦しい樹林帯を脱けると、いっきに眺望が開ける。そこは這松と草しか生えない森林限界だ。動物は雷鳥ぐらいしかいない。日射しを遮る樹影もないから、紫外線の強い太陽光が容赦なく照りつけ、身を隠す岩陰もないから峰を越える烈風がふきすさぶ。夏のシーズンにはとりどりの高山植物の花が開く。それがいっせいに風に揺れる。どの花も丈が短いのはこの烈風に耐えるためだとわかる。短い夏が終わると8月にはすぐに秋の気配がくる。チングルマは風車のような綿毛をつけ、ワタスゲはいっせいに白い毛髪のような実をゆらす。

 森林限界を超える山行を何度もした。北アルプスはほとんど縦走した。黒部川の源流にも行ったし、槍穂高が裏側から見えるみつまたれんから笠ヶ岳への縦走路もたどった。白馬からじいたけに至るうしろたてやま連峰も縦走した。ほぼ毎夏を登山に費やした。母は色が黒くなるし、脚も太くなると言って、わたしの登山をいやがった。わたしは大学のワンダーフォーゲル部員だった。

 唯一の女子部員、というわけではなかった。三年上にたったひとりの女子の先輩がいたし、同期にはもうひとりの女子が入部したが、彼女は五月連休の新人研修合宿に参加する前にやめてしまった。比良ひら山中腹にあるワンゲル部の山荘には、歩いて登るのが鉄則、ロープウェーのすぐ近くにあったが、それを使うと退部させられる規則があった。2時間かけて麓から上った山道を、ましらのように1時間で走って下りた。膝も腰も柔軟で、敏捷だった。

 30代には近場の登山でがまんした。休みの日に遅い朝食を摂ってから、さあ、行くか、と山友に声をかける。装備を調えて比良山系の渓流登りにチャレンジする。今では渓流登り用のスニーカーが出回っているようだが、当時の必殺装備は地下足袋とわらじだった。シャワークライミングと呼ばれるように、全身ずぶぬれになる。なめと呼ばれるつるつるの岩のところでは、毎年何人かが滑り落ちて死者も出ていた。一度足場を踏み外して、下からくるパートナーにお尻をささえてもらって命拾いをしたこともあった。身長以上の落差を登り切るとほっとする。

 渓流登りで有名な谷川岳の渓谷や、関西ではおおだいはらの渓谷は奥が深く、たどり着くまでに1日はかかる。それに比べて、高野川の源流に当たる比良山系の渓流は短い。京都市内からのアクセスも近い。とりついてから源頭げんとうまで2時間で登り切る。それから1時間足らずで駆け下りる。まだ明るいうちに家にたどり着いてあおるビールは最高だった。

 だが、低山では頂上に到着したときの爽快感がない。森林限界を超えないので、うっそうとした樹木に覆われて視界が開けない。山頂に着いたことは、それ以上登りがないことから体感でわかるが、ここが頂上だという実感が持てない。せいぜい山頂を示す標識でそれとわかる程度だ。

 それにくらべれば森林限界を超えた山の頂上感はとくべつだ。目の前にあった坂がなくなって、突然視界が360度開ける。それまで視線を落として山道ばかりを見てきた。自分のしたたり落ちる汗だけでなく先行者の汗の痕が点点と残る。それが頂上にたどり着くと、足を出した先にそれ以上の登りがなくなって、両足が地に着く。そこが頂上である。晴れた日には遠くの山脈が見え、場合によっては足下に雲海が拡がる。3000メートル級の山の頂上は岩だけだ。

 汗水垂らして山登りをする。何がよかったのだろうか。

 森林限界を超えると、自然は人間のものでなくなる。里山のような人臭さや温かさはなくなる。崖にしがみつくように風に耐えている高山植物が一瞬の夏を過ごすように、人間もわずかな天候のあいまを縫ってつかのまその場に居させてもらう。悪天候になればテントのなかで雨チン(雨で沈殿の略語)だ。それが数日続くこともある。7月は梅雨明けまで雨模様、8月にはすぐに台風のシーズンが来る。予定を立てておいても好天に恵まれるとは限らない。夏山でも遭難者や死者は出る。たいがいは体力を過信したもう若くない中高年の登山者か、予定を変更できないサラリーマンの登山者たちだ。悪天候をついてスケジュールをこなそうと無理をする。夏山の雨は濡れたら芯まで冷えて体温を奪うだけでなく、山頂にたどり着いても周囲はガスに覆われて景色も見えず、爽快感もないのに。そして下りで道を迷うのはたいがいこんなガスの中だ。

 わたしが属するワンゲルが山岳部と違うのは、「雪(冬山登山)と岩(ロッククライミング)はやらない」という不文律があったことだが、それというのも「雪と岩」はいちばん生命の危険が大きく、親が泣いて止めるからだ。ワンゲルを隠れ蓑にして岩をやっている先輩もいた。事実、わたしの弟は医学部山岳会に属していたが、冬山登山中に170メートル滑落して死にかけた。

 雪と岩が好きな人たちも、それが人間を拒絶するからだろう。初冬の山に登ったことがあるが、翌朝テントを初雪が覆うと、そこは神々しい別世界だった。ごめん、わたしの居るところじゃないけれど、ほんのつかのまでいいから、ここに居させてね、という気分になる。

 森林限界から上の自然は人間を拒む。人の住むところではない。では神の住処か、と言いたいところだが、たしかにヒマラヤには「神々の座」という呼び名があった。北アルプスの尾根道を黙々と歩いたのはもう半世紀近く前になる。だがその時の景観や体感は、まざまざと甦る。そしてあの自然があの姿のままで残っていることをひたすら祈る。

 わたしが死んだ後にも、世界が少しも変わらず残り続けることは、なんという希望だろう、と言ったら、友人のひとりが、そんなのイヤ、わたしがいなくなったら世界も同時に終わってほしい、と言った。わたしは彼女の欲深さに絶句した。

 その世界も……少しずつ元に戻らなくなっている。温暖化で異次元のレベルに入った気候変動、世界各地で頻発する山火事、鹿に食べられてなくなった霧ヶ峰のニッコウキスゲ、日本の海からいなくなるサンマ。森林限界の上には哺乳類は住めないと言われていたのに、雷鳥の卵や雛が狐や猿に襲われるという。動物たちがしだいに標高の高いエリアに上ってきているのだ。自然史的な時間のもとでは、人間はほんのひとときこの地球に間借りしているようなものなのに、いつのまにか間借り人の失火で、大家が燃え始めているようだ。

 わたしの死んだ後に、世界はどうなるのだろう?

(了)

(タイトルビジュアル撮影・筆者)

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プロフィール
上野千鶴子(うえの・ちづこ)

1948年、富山県生まれ。社会学者。認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長、東京大学名誉教授。女性学、ジェンダー研究のパイオニアであり、現在は高齢者の介護とケアの問題についても研究している。主な著書に『家父長制と資本制』(岩波現代文庫)、『スカートの下の劇場』(河出文庫)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『ひとりの午後に』(NHK出版/文春文庫)、『女の子はどう生きるか 教えて、上野先生!』(岩波ジュニア新書)、『在宅ひとり死のススメ』(文春新書)などがある。

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