相対的な「しんどさ」ではなく、絶対的な「しんどさ」と受け取るべき。「だからなんだ」――《こどく、と、生きる》統合失調症VTuber もりのこどく
「同じ病で苦しむ仲間とつながりたい、救いたい、当事者以外の人たちにも病気のことを知ってほしい」という思いでVTuberになり、配信を通してメッセージを伝え続けるもりのこどくさん。高校生で統合失調症になった彼女がいかにしてVTuberになったのか、その足跡を綴ったエッセイ連載です。
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#19 だからなんだ
「自分だけ、なぜこんな目にあわなければいけないのか」、と思い、つぎの瞬間に、「もっとしんどい思いをしているひとがいるのに、なんて自分勝手なことを考えたのだろう」と、自己嫌悪に陥ることはないだろうか。こどくはしょっちゅうだ。いつも、そんなことを考えては、落ち込んで、さらに自分を追い詰めてしまう。
自分より、遥かにしんどい「だれか」を作りあげ、勝手に落ち込む。無駄な時間だと思いつつも、こどくはよく、寝る前に「うああああ」となる。激しいときは、頭のなかをその落ち込みが埋めつくして、眠れなくなる。ついでにその日起きたさまざまなことについて、落ち込んだりもする。
おくすりを飲んだり、お医者さんに相談したり、おともだちと話したりすると、多少その思いは和らぐが、それでも根本的な解決には遠い。
しかしある日、こどくは気がついた。
「しんどさ」というのは、相対的な見方でとらえないほうがいい、ということだ。
どういうことかというと、「しんどい」と感じている自分自身を、まずは認めてあげて、他人とくらべないこと。このよのなかはすごく広いから、こどくよりしんどいひとはたくさんいるだろう。だからこそ、あえてこう言う。
「だからなんだ」と。
しんどさは、ひととくらべるべきではない。それよりも、自分のなかで、「どれほどしんどいのか」に目を向けるべきだ。そのうえで、しんどさが限界突破しそうなときは、おくすりなど医療の力に頼ればいい。
「しんどい」と感じているのは自分自身であり、ほかのだれにも、それを完全に理解してもらうことはできない。だからこそ、相対的な「しんどさ」ではなく、絶対的な「しんどさ」と受け取るべきなのだ。
もちろん、他人のしんどさによりそうこともだいじ。だが、それでくらべられるようであったら、自分でくらべてしまうようであったら、あえて、こう言おう。
「だからなんだ」と。
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※本連載は毎週月曜日に更新予定です。
プロフィール
もりのこどく
VTuber。「同じ病で苦しむ仲間とつながりたい、救いたい、当事者以外の人たちにも病気のことを知ってほしい」。そんな思いで19歳で配信を始めた。バーチャルの強みを生かして、当事者たちの居場所をクラウドファンディングでメタバース上に創るなど幅広く活動。2023年、SDGsスカラシップ岩佐賞を受賞。