連載 ロジカルコミュニケーション入門――【第2回】論理的思考で自分の価値観を見極めよう!
●論理的思考とは何か
本連載【第1回】「論理的思考で視野を広げよう!」でも解説したように、「論理的思考」とは、「思考の筋道を整理して明らかにする」ことである。たとえば「男女の三角関係」のように複雑な問題であっても、思考の筋道を整理して明らかにしていく過程で、発想の幅が広がり、それまで気づかなかった新たな論点が見えてくる。引き続き、「論理的思考」を楽しんでほしい。
●問題の具体化
さて、読者は、「美容整形」することに賛成だろうか、あるいは、あまり賛成できないだろうか?
このタイプの質問に対しては、すぐに「賛成」や「反対」と答える前に、少し落ち着いて考えてみてほしい。
そもそも「美容整形」といっても、誰が身体のどの部位を整形するのだろうか? 20代の女性が鼻を高くするのか、50代の男性が腹部の脂肪を吸引するのか、あるいは小学生が二重瞼にするのか?
何が目的で、どのような必要性に迫られて「美容整形」したいのかもわからない。つまり、この質問は、あまりにも一般的で漠然としすぎているので、「その質問は曖昧すぎて、明確に答えられない」と答えるのが、論理的思考に基づく模範解答といえる。
このタイプの曖昧な質問は、議論の最中などに故意に一種の「罠」としてぶつけられる場合もある。安易に即答して揚げ足を取られないためにも、問題は常に可能な限り具体化して考えるようにしたい。
それでは、実際に「美容整形」をするか否かで悩んでいる大学4年生の相談の実例を挙げよう。
●論点の導出
この相談は『実践・哲学ディベート』で扱ったもので、ここから5人の学生たちが多種多彩な賛成意見や反対意見を繰り広げる形式になっている。ここでは、あえてそれらの意見には触れないので、興味をお持ちの読者には『実践・哲学ディベート』をご参照いただきたい。
一般に、賛成や反対を表明する意見に含まれる一つ一つの理由や根拠のことを「論点」と呼ぶ。
私が常々学生に勧めているのは、賛否が議論になるような問題に対しては、常に「賛成論(メリット)」の立場から論点を少なくとも3つ、「反対論(デメリット)」の立場から論点を少なくとも3つは挙げられるようにしてほしい、ということである。
たとえば「日本の死刑制度を存置すべきか、廃止すべきか」といった二者択一問題に対しては、「存置すべき」という賛成論の論点を3つ、「廃止すべき」という反対論の論点を3つ挙げることが重要である。これらの賛否両論の論点を併記した上で、初めて公平な判断の土台に立つことができるからである。
ここで心配なのが、「私は死刑制度に賛成です。でも、うまく理由を言えません」というタイプの学生である。この学生は「死刑制度に賛成」だと言っている以上、何らかの理由や根拠を持っているに違いないのだが、いわば脳内がきれいに整理整頓されていない状態であるため、うまく理由や根拠を言語化できないのだと考えられる。
美容整形をしたいという子どもに「ダメ!」と頭ごなしに怒鳴りつけたり、「理由なんかどうでもいい。とにかくダメなものはダメ!」と理不尽に命令する親がいたら、やはり同じように非論理的な思考回路に陥っているといえる。論点を明確にせず、理由や根拠を何も説明せずに、ただ「反対」という結論だけを押し付けているからである。
ここで注意してほしいのは、論理的思考法で重要なのは、「結論」ではなく「過程」だという点である。美容整形にしても死刑制度にしても、冷静にメリットとデメリットの論点を書き出してみてほしい。それらを自分で思いつかなければ、もちろん文献やネットで検索しても構わない。固定観念や偏見から結論を出してしまわずに、あくまで出発点は「ニュートラル(中立)」にして、賛否両論を冷静に判断することが論理的思考法の原点である。
●自分の価値観を見極める
それでは、別の思考実験をしてみよう。読者がAさんとBさんのどちらと交際するか迷っているとする。すでに述べた論理的思考にしたがって、読者はAさんとBさんの長所と短所を書き出したとしよう。
ここではわかりやすく単純化して、Aさんは、ルックスはよいが性格に難があり、Bさんは、ルックスに難があるが性格はよいとしよう。さて、ここで読者が自分でも意識しないうちにAさんに惹かれているのであれば、実はその読者はルックスに重きを置いていることが判明する。もしBさんに惹かれるならば、ルックスよりも思いやりや優しさを重視していることが明らかになる。
AがよいかBがよいかの論点を整理したうえで、どの論点を重視するかは、もちろん個人の自由である。逆に言えば、論理的に整理することによって、自分が何を重視しているかが見えてくる。つまり、論理的思考によって、自分の価値観を見極めることができるわけである。
論理的思考に基づいて議論すると、当初は日本の死刑制度に大賛成だった学生が、賛否両論の論点を整理していくうちに、反対に変わったり、逆に反対だった学生が賛成に変わることもある。それはそれで、まったく構わない。最終的な結論は個人の価値観に依存し、その結論を変更するのも個人の自由だからである。
●論理的思考が視野を広げ、新たな結論を導く
さきほどの「美容整形」の相談について、賛否両論の多種多彩な議論を経て、相談者は次のような結論に到達している。
この相談者は、「美容整形」の是非を議論していくうちに、その背景に当初は思いもしなかった「ルッキズム」の影響があるという可能性に気づいた。そのうえで先輩からアドバイスをもらって、結果的に「外見にこだわるよりも、内面からお客様の想いに応えられるようなCAになりたい」という当人なりの結論に到達できたわけである。
ここでまとめておくと、「論理的思考」に基づく「ロジカルコミュニケーション」とは、①賛成論と反対論の論点を可能な限り(少なくとも双方3つ以上)明らかにして、②どの論点に自分が価値を置いているのかを見極め、③新たなアイディアを発見するディスカッションの過程を重視し、④結論を変更しても構わないので、⑤その時点における自分の最適解を発見するコミュニケーション・スタイルだということになる。
●相手を黙らせるのが「ロジカル」ではない!
「ロジカルコミュニケーション」は、基本的に「楽しい」コミュニケーションである。実際に、学生たちは目を輝かせながら新たな論点を探し、反論にも公平に耳を傾け、最終的に当人がどこに価値を置いているのかを見出して「自分は、この論点を大事にしていたのか、こんな人間だったのか」と自分自身を発見している。
お互いに知的好奇心を刺激し合い、誰かがそれまで気づかなかったアイディアを話すと、「そんな考え方もあったのか!」と驚いた表情になり、なぜか皆ニコニコとした笑顔になる。彼らが、この愉快なコミュニケーションをもっと続けたいと感じているのがわかる。
一方、「ロジカルコミュニケーション」の対極に位置するのが、いわば「相手を黙らせるコミュニケーション」である。こちらは、自己主張を大声で述べ、相手の発言を平気で遮り、自分の立場は絶対に譲らず、場合によっては相手を嘲笑したり罵倒したりして、相手が黙り込むと「はい、論破!」と勝ち誇るというタイプのコミュニケーションである。
テレビやネットの討論番組などの影響もあるのか、このような「論破」こそが「ロジカル」だと勘違いしている学生が稀にいるが、それはまったくの誤解である。
そもそも賛否両論が生じるような問題の背景には複雑な論点が隠れていることが多く、どの解決法にも複数のメリットとデメリットがあり、安易に「論破」できるような単純なものはほとんどない。
本当の意味で「論破」が成立するのは、数学のように議論の大前提となる体系(一般に「公理系」と呼ばれる)が定められている世界での話である。
私がアメリカの大学の数学科に在籍していた頃、ある定理を発見したと考えて、グラフ理論の世界的権威である教授に報告に行ったことがある。
教授は、私の「証明」を眺めた瞬間、即座に次のように言った。「あははは、残念! 君の証明は、Aの部分からBの部分にかけて論理的な飛躍がある。この飛躍を君は埋めたいだろうが、それは無理だ。なぜならAが成立してもBは必ずしも成立しないからだ。その証拠として次のような具体例がある。したがって、君の定理は成立しない!」
ここまで完全に「論破」されると、気分は爽快になり、自分の間違いに気づかせてくれた教授に心から感謝したくなる。つまり、本当の「論破」は、愉快なものなのである。
これに対して、「相手を黙らせるコミュニケーション」は、一般に論点をすりかえたり、言葉の暴力で相手を黙らせているだけで、とても生産性のあるコミュニケーションとは思えない。このタイプのコミュニケーションは、絶滅させるべきであろう。
●ロジカルコミュニケーションの第2歩は自分を見極めること!
さて、最近の日本で侃々諤々の論争を巻き起こしている問題を考えてみよう。読者は「憲法改正」に賛成だろうか、あるいは、あまり賛成できないだろうか?
すぐに「賛成」や「反対」と答えてしまった読者は、もう一度この連載【第2回】を最初から読み直してほしい。そもそも日本の最高法規である「日本国憲法」は、前文と103条の条文から成立しているわけだから、どの条文をどのように改正する話なのか、質問を具体化しなければ論理的に答えられない。
それでは「自民党の改正案では憲法97条を削除することになっています。この点に賛成ですか」と質問されたらどうだろう? ここで読者は、賛成論と反対論の論点を調べ上げて、自分がどの論点を重視しているか見極めたうえで、最終的に賛成か反対の判断を下すことができる。
この思考法こそが「自分の頭で論理的に考える」ことであり、その成果を同じように「自分の頭で論理的に考える」他者と分かち合い、愉快に話し合うのが「ロジカルコミュニケーション」である。
参考文献
高橋昌一郎『哲学ディベート』NHK出版(NHKブックス)2007年
高橋昌一郎『東大生の論理』筑摩書房(ちくま新書)2010年
高橋昌一郎『自己分析論』光文社(光文社新書)2020年
イラスト・題字:平尾直子
高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)
國學院大學教授・情報文化研究所所長。専門は論理学・科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『実践・哲学ディベート』(NHK出版新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。
動画【ロジ研#1】ロジカルコミュニケーション入門【第1回】のご案内
本連載の内容について情報文化研究所の研究員たちがディスカッションしています。ぜひご視聴ください!
https://note.com/logician/n/ndb054bab6aec